智囊 / 經務・曹瑋
曹瑋在泰州時,環慶屬羌,田多為邊人所市,單弱不能自存,因沒彼中。瑋盡令還其故,以後有犯者,遷其家內地。所募弓箭手,使馳射較強弱,勝者與田二頃。再更秋獲,課市一馬,馬必勝甲,然後官籍之,則加五十畝。至三百人以上,因為一指揮,要害處為築堡,使自塹其地為方田環之。立馬社,一馬死,眾皆出錢市馬。後開邊壕,悉令深廣丈五尺,山險不可塹者,因其峭絕治之,使足以限敵。後皆以為法。
新字:曹瑋在泰州時,環慶属羌,田多為辺人所市,単弱不能自存,因没彼中。瑋尽令還其故,以後有犯者,遷其家内地。所募弓箭手,使馳射較強弱,勝者与田二頃。再更秋獲,課市一馬,馬必勝甲,然後官籍之,則加五十畝。至三百人以上,因為一指揮,要害処為築堡,使自塹其地為方田環之。立馬社,一馬死,衆皆出銭市馬。後開辺壕,悉令深広丈五尺,山険不可塹者,因其峭絶治之,使足以限敵。後皆以為法。
書き下し
曹瑋は泰州に在りし時、環慶の属羌、田は多く辺人の市う所と為り、単弱にして自存する能わず、因りて彼の中に没す。瑋は尽く其の故に還さしめ、以後犯す者有らば、其の家を内地に遷さんとす。募る所の弓箭手は、馳射して強弱を較べ、勝つ者には田二頃を与う。再び秋獲を更ぬれば、一馬を市うことを課し、馬は必ず甲に勝りて、然る後に官は之を籍し、則ち五十畝を加う。三百人以上に至れば、因りて一指揮と為し、要害の処には為に堡を築き、自ら其の地に塹して方田を為り、之を環らしむ。馬社を立て、一馬死すれば、衆は皆銭を出して馬を市う。後に辺壕を開くに、悉く深広丈五尺ならしめ、山険にして塹す可からざる者は、其の峭絶に因りて之を治め、以て敵を限るに足らしむ。後に皆以て法と為せり。
現代語訳
曹瑋が泰州にいたとき、環州・慶州の属国の羌族は、田地の多くを辺境の人々に買い取られ、弱くて自力で立ち行かなくなり、そのまま相手の中に没してしまった。瑋はそれらをすべて元の持ち主に返させ、以後これに違反する者があれば、その家を内地に移すと定めた。募集した弓箭手は、馬を走らせて射ることで強弱を競わせ、勝った者には田二頃を与えた。再び秋の収穫を経たら、馬を一頭買うことを課し、その馬が必ず上等なものでなければならず、それから官が名簿に記して、さらに五十畝を加えた。三百人以上になれば、一つの指揮に編成し、要害の地には堡を築き、自分たちでその土地に堀を掘って方形の田をつくり、それを囲ませた。馬社を立て、一頭の馬が死んだら、みなで金を出して馬を買った。のちに辺境の堀を開くとき、すべて深さと幅を一丈五尺にさせ、山が険しくて掘れない所は、その切り立った地形を利用して手を加え、敵を阻むのに十分なものとした。のちにはこれらがみな制度となった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』前集巻三・曹瑋瑋、弓箭手を募る。馳射せしめて強弱を校べ、勝つ者には田二頃を予う。再び秋穫を更め、課して一馬を市わしむ。馬は必ず甲に勝えて然る後に官之を籍す。則ち田五十畆を加う。三百人以上に至れば、團して一指揮と為す。要害の處を擇びて為に堡を築き、自ら其の地を塹して方田と為して之を環らしむ。馬社を立つ。一馬死せば、衆為に錢を出だして馬を市う。邉濠を開くこと、率ね深廣丈五尺ならしむ。山險にして塹る可からざる者は、其の峭絶に因りて之を治め、以て虜を限るに足らしむ。後、皆な法と為る。三都の戰より威、四海を震わす。唃厮囉、公の姓名を聞けば、即ち手を以て顙に加う。天雄に在り、契丹の使い魏の地を過ぐれば、輒ち隂かに其の從人を勒して髙語疾驅するを得る無からしむ。多く公を憚りて敢えて仰ぎ視ず。
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『宋名臣言行録』前集巻三・曹瑋公、將と為ること幾んど四十年。兵を用いて未だ嘗て敗衂せず。尤も西方に功有り。舊、羌の中國の人を殺すは、羊馬を以て死を贖うを得ること羌の法の如し。公謂えらく、此くの如きは中國を尊び吾が人を愛する所以に非ずと。奏請して其の贖を許さず。陜西、歳に邉人を取りて弓箭手と為す。公、塞上の廢地を以て人を募りて之を為さしむ。若干畆にして一卒を出だし、若干畆にして一馬を出だす。其の種歛に至りて州兵を發して戍守と為す。今に至るまで邉之に賴りて實つ。募る所は皆な精兵と為る。
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『智囊』制勝・曹瑋曹瑋、渭州を知す。時に年十九なり。嘗て出でて戦い小捷す。虜引き去る。瑋、虜の去ること已に遠きを偵い、乃ち緩く掠むる所の牛馬輜重を駆りて還る。虜、瑋の利を逐いて行くこと遅く、師も又整わざるを聞き、遽かに兵を還して来り襲う。将に至らんとするに、瑋使いして之に諭して曰く、「軍は遠く来りて必ず甚だ疲れん。我は人の急に乗ぜず。請う、士馬を休憩し、少選にして決戦せん」と。虜方に甚だ疲れ、欣然として厳を解き、歇むこと良に久し。瑋又使いして諭す、「歇み定まらば、相い馳すべし」と。是に於いて軍を鼓して進み、大いに之を破る。因りて其の下に謂いて曰く、「吾は虜の已に疲れたるを知る。故に利を貪りて以て之を誘う。其の復た来るに比び、幾ど行くこと百里なり。若し鋭に乗じて以て戦わば、猶お勝負有らん。遠行の人は、小憩すれば則ち足痹れて立つ能わず、人気も亦闌く。吾は此を以て之に取れり」と。瑋、軍に在りて、人の死力を得、平居は甚だ暇なるも、師を用うるに及んで、出入すること神の若し。一日、楽を張りて僚吏に飲ましむ。中座に瑋の所在を失い、明日徐ろに出でて事を視るに、則ち賊の首は已に庭下に擲たれたり。賈同、瑋に造り、辺を按ぜんと欲し、邀して与に倶にせんとす。同問う、「従兵安くに在りや」と。曰く、「已に具わる」と。既に出でて騎に就くに、甲士三千の環列するを見る。初め人馬の声を聞かず。〔評〕只だ城中粛然として鶏犬を聞かざるを看て、便ち劉錡の必ず能く敵に勝つを知る。只だ甲士三千の環列して、初め人馬の声を聞かざるを看て、便ち敵の必ず曹瑋を犯す能わざるを知る。
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『智囊』靈變・曹瑋・張濬曹武穆瑋は渭州に知たり、号令は明肃にして、西人は之を憚る。一日、方に諸将を召して飲む。会々叛卒数千が賊境に亡奔する有り、候騎報じて至る。諸将は相い視て色を失う。公は言笑すること平時の如く、徐ろに騎に謂いて曰く、「吾が命なり。汝は顕らかに言う勿れ」と。西人は聞き、己を襲うと以為い、盡く之を殺す。統制の酈瓊は呂祉を縛り、叛きて劉豫に帰す。張魏公は方に宴す。僚佐の報至り、満座色を失う。公は色変えず、楽飲して夜に至り、乃ち蠟書を為り、死士を遣わして瓊に持遣せしむ。言う、「事、成るべくんば之を成せ。成るべからずんば、速やかに軍を全うして以て帰れ」と。虜は書を得て、瓊を疑い、その衆を分隷して之を困苦せしめ、辺は賴りて以て安し。〔述評〕此れ即ち馮睢が宮他を殺すの智なり。西周の宮他は東周に亡げ、盡く国情を以て之に輸す。西周君は大いに怒る。馮睢曰く、「臣は能く他を殺さん」と。君は金三十斤を予う。睢は人をして金と書を操りて宮他に問遺せしめ、云云す。東周君は宮他を殺す。
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『智囊』經務・顧玠此より前、土官は每石の糧に銀八九銭を徴す。余は其の心を収めんと欲し、先ず上司に申達し、該峒の黎糧の品を将て搭見の徴無きと徴有るとを、均しく京価二銭五分に照らして徴収す。各黎に示すに俱に親身もて赴き納めしめ、其の来帰に因りて、人人撫諭し、其の名氏を籍し、十甲に編置す。糧を辦ずるに排年を除くの外、每排に別に知数、協辦、小甲各おの二名を立て、又た総置、総甲、黎老各おの二名、共に百余人有り、則ち掌兵の頭目は各おの事とする所有りて、自ら専らにすることを楽しみ、其の主を顧みず。日久しくして寢く有司に向かう。余は密かに其の情を察識して、却って諸首悪五十余名を将て、省獄二千里の外に解し、相い継いで牢死し、大患は潜かに消ゆ。後に落窯峒の黎、風を聞きて化に向かい、亦た版籍に編まんことを告げ、糧差訖わり、州倉に積存し、徴する糧斛を聴きて本州官軍の俸糧に准じて敷散し、地方は平安なり。
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『智囊』經務・張仁願・餘玠嘉靖中、大同巡撫の張文錦は議して鎮城の北九十里に五堡を築き、鎮卒二千五百家を徙して往きて之を戍らしめ、堡ごとに五百家、大同の藩籬と為さんとす。此れ亦た百世の利なり。然れども五堡は孤り懸かること幾ど百里、戍卒は虜を憚りて往くを願わず。必ずや屯田を興し、廬舎を葺き、民をして趨く可きの利を見せしめ、而して又た訓練の将を置き、互援の条を厳にし、武備をして飭いて恃む有りて恐れ無からしめば、民は誰か欣然として趨かざらんや。乃ち機宜を察せずして、徒らに峻法を用いて民を死地に駆り、任ずる所の賈鑑なる者は、又た国に体して公に奉ずる能わず、以て衆怒を犯し、遂に身を殺し国を辱むるに致り、蔡天祐の機に相いて撫定するに頼りて、僅かにして恙無し。功を建て事に任ぜんと欲する者は、先ず人情を体悉するに在るかな。
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