智囊 / 制勝・曹瑋
曹瑋知渭州,時年十九。嘗出戰小捷,虜引去,瑋偵虜去已遠,乃緩驅所掠牛馬輜重而還。虜聞瑋逐利行遲,師又不整,遽還兵來襲,將至,瑋使諭之曰:「軍遠來,必甚疲,我不乘人之急,請休憩士馬,少選決戰。」虜方甚疲,欣然解嚴,歇良久,瑋又使諭之:「歇定,可相馳矣!」於是鼓軍而進,大破之。因謂其下曰:「吾知虜已疲,故為貪利以誘之,比其復來,幾行百里矣。若乘銳以戰,猶有勝負,遠行之人,小憩則足痹,不能立,人氣亦闌,吾以此取之。」瑋在軍,得人死力,平居甚暇,及用師,出入若神。一日,張樂飲僚吏,中坐失瑋所在,明日徐出視事,則賊首已擲庭下矣。賈同造瑋,欲按邊,邀與俱,同問:「從兵安在?」曰:「已具。」既出就騎,見甲士三千環列,初不聞人馬聲。〔評〕只看城中肅然不聞雞犬,便知劉錡必能勝敵;只看甲士三千環列,初不聞人馬聲,便知敵必不能犯曹瑋。
新字:曹瑋知渭州,時年十九。嘗出戦小捷,虜引去,瑋偵虜去已遠,乃緩駆所掠牛馬輜重而還。虜聞瑋逐利行遅,師又不整,遽還兵来襲,将至,瑋使諭之曰:「軍遠来,必甚疲,我不乗人之急,請休憩士馬,少選決戦。」虜方甚疲,欣然解厳,歇良久,瑋又使諭之:「歇定,可相馳矣!」於是鼓軍而進,大破之。因謂其下曰:「吾知虜已疲,故為貪利以誘之,比其復来,幾行百里矣。若乗鋭以戦,猶有勝負,遠行之人,小憩則足痹,不能立,人気亦闌,吾以此取之。」瑋在軍,得人死力,平居甚暇,及用師,出入若神。一日,張楽飲僚吏,中坐失瑋所在,明日徐出視事,則賊首已擲庭下矣。賈同造瑋,欲按辺,邀与倶,同問:「従兵安在?」曰:「已具。」既出就騎,見甲士三千環列,初不聞人馬声。〔評〕只看城中粛然不聞鶏犬,便知劉錡必能勝敵;只看甲士三千環列,初不聞人馬声,便知敵必不能犯曹瑋。
書き下し
曹瑋、渭州を知す。時に年十九なり。嘗て出でて戦い小捷す。虜引き去る。瑋、虜の去ること已に遠きを偵い、乃ち緩く掠むる所の牛馬輜重を駆りて還る。虜、瑋の利を逐いて行くこと遅く、師も又整わざるを聞き、遽かに兵を還して来り襲う。将に至らんとするに、瑋使いして之に諭して曰く、「軍は遠く来りて必ず甚だ疲れん。我は人の急に乗ぜず。請う、士馬を休憩し、少選にして決戦せん」と。虜方に甚だ疲れ、欣然として厳を解き、歇むこと良に久し。瑋又使いして諭す、「歇み定まらば、相い馳すべし」と。是に於いて軍を鼓して進み、大いに之を破る。因りて其の下に謂いて曰く、「吾は虜の已に疲れたるを知る。故に利を貪りて以て之を誘う。其の復た来るに比び、幾ど行くこと百里なり。若し鋭に乗じて以て戦わば、猶お勝負有らん。遠行の人は、小憩すれば則ち足痹れて立つ能わず、人気も亦闌く。吾は此を以て之に取れり」と。瑋、軍に在りて、人の死力を得、平居は甚だ暇なるも、師を用うるに及んで、出入すること神の若し。一日、楽を張りて僚吏に飲ましむ。中座に瑋の所在を失い、明日徐ろに出でて事を視るに、則ち賊の首は已に庭下に擲たれたり。賈同、瑋に造り、辺を按ぜんと欲し、邀して与に倶にせんとす。同問う、「従兵安くに在りや」と。曰く、「已に具わる」と。既に出でて騎に就くに、甲士三千の環列するを見る。初め人馬の声を聞かず。〔評〕只だ城中粛然として鶏犬を聞かざるを看て、便ち劉錡の必ず能く敵に勝つを知る。只だ甲士三千の環列して、初め人馬の声を聞かざるを看て、便ち敵の必ず曹瑋を犯す能わざるを知る。
現代語訳
曹瑋は渭州の知事でした。そのとき十九歳でした。かつて出陣して小さな勝利を収めました。敵は引き揚げました。曹瑋は敵が遠くまで去ったことを偵察して確かめ、そこでゆっくりと奪った牛馬や輜重を追いたてて帰りました。敵は、曹瑋が利益を追って歩みが遅く、軍の隊列も整っていないと聞いて、急に兵を引き返して襲いに来ました。敵が到着しようとするとき、曹瑋は使者を送って伝えさせました。「軍は遠くから来て、さぞ疲れているだろう。私は人の急に乗じることはしない。兵馬を休ませて、しばらくしてから決戦しよう」。敵はちょうどひどく疲れていたので、喜んで警戒を解き、長いこと休みました。曹瑋はまた使者を送って伝えました。「休み終わったなら、互いに馳せ合おう」。そこで軍に太鼓を打たせて進み、大いに破りました。そして部下に言いました。「私は敵がすでに疲れていると知っていた。だから、利を貪るふりをして誘ったのだ。彼らがまた来るまでに、ほとんど百里を行軍している。もし鋭気のままに戦えば、まだ勝負はつかなかったかもしれない。遠く行軍した人は、少し休むと足がしびれて立てず、気力も衰える。私はこれによって勝った」。曹瑋は軍にいて、人々の死力を得て、平素はひどく暇そうでしたが、軍を動かす段になると、出入りが神のようでした。ある日、楽の宴を開いて役人たちに酒を振る舞いました。宴の最中に曹瑋の姿が見えなくなり、翌日ゆっくり出てきて政務を見ると、賊の首はすでに庭に投げ込まれていました。賈同が曹瑋のもとを訪れ、辺境を視察しようとして、曹瑋を誘って一緒に行こうとしました。賈同は尋ねました。「お供の兵はどこにいるのですか」。曹瑋は「もう整っている」と言いました。外に出て馬に乗ると、甲冑の兵三千人が取り囲んで並んでいるのを見ました。それまで人馬の声は聞こえませんでした。〔評〕城中が静まり返って鶏や犬の声も聞こえないのを見るだけで、劉錡が必ず敵に勝てると分かります。甲冑の兵三千が並んでいても、人馬の声が聞こえないのを見るだけで、敵が必ず曹瑋を犯せないと分かります。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 張耳陳余列伝人をして陳王に報ぜしむ。陳王大いに怒り、尽く武臣等の家を族し、而して兵を発して趙を撃たんと欲す。陳王の相国房君諫めて曰く、「秦未だ亡びずして武臣等の家を誅せば、此れ又一秦を生ずるなり。因りて之を賀し、急ぎ兵を引きて西のかた秦を撃たしむるに如かず」と。陳王之を然りとし、其の計に従ひ、武臣等の家を宮中に徙系し、張耳の子敖を封じて成都君と為す。陳王使者をして趙を賀せしめ、趣やかに兵を発して西のかた関に入らしむ。張耳・陳餘武臣に説きて曰く、「王の趙に王たるは、楚の意に非ず。特だ計を以て王を賀するのみ。楚已に秦を滅ぼさば、必ず兵を趙に加へん。願はくは王西に兵する毋く、北のかた燕・代を徇へ、南のかた河内を収めて以て自ら広くせよ。趙南に大河に拠り、北に燕・代有らば、楚秦に勝つと雖も、必ず敢て趙を制せず」と。趙王以て然りと為し、因りて西に兵せず、而して韓広をして燕を略し、李良をして常山を略し、張黶をして上党を略せしむ。韓広燕に至る。燕人因りて広を立てて燕王と為す。趙王乃ち張耳・陳餘と北のかた地を燕の界に略す。趙王間に出で、燕軍の得る所と為る。燕将之を囚へ、与に趙の地の半ばを分かたんと欲し、乃ち王を帰さんとす。使者往けば、燕輒ち之を殺して以て地を求む。張耳・陳餘之を患ふ。廝養の卒有りて其の舎中に謝して曰く、「吾公の為に燕に説き、趙王と載せて帰らん」と。舎中皆笑ひて曰く、「使者往くこと十余輩、輒ち死す。若何を以て能く王を得ん」と。乃ち燕の壁に走る。燕将之を見る。燕将に問ひて曰く、「臣が何をか欲するを知るか」と。燕将曰く、「若は趙王を得んと欲するのみ」と。曰く、「君は張耳・陳餘の何如なる人なるかを知るか」と。燕将曰く、「賢人なり」と。曰く、「其の志の何をか欲するかを知るか」と。曰く、「其の王を得んと欲するのみ」と。趙の養卒乃ち笑ひて曰く、「君は未だ此の両人の欲する所を知らざるなり。夫れ武臣・張耳・陳餘は馬箠を杖つきて趙の数十城を下す。此れ亦各々南面して王たらんと欲す。豈に卿相と為りて己を終へんと欲せんや。
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『春秋左氏伝』僖公三十三年 子上、泜水に退く晉・陳・鄭許を伐つ、其の楚に貳するを討つなり。楚の令尹子上陳・蔡を侵す。陳・蔡成す。遂に鄭を伐ち、將に公子瑕を納れんとす。桔柣(きつてつ)の門に門す。瑕周氏の汪(わう)に覆る。外僕の髡屯(こんとん)之を禽へて以って獻ず。文夫人斂めて之を鄶城の下に葬る。晉の陽處父蔡を侵す。楚の子上之を救ひ、晉の師と泜(ち)を夾みて軍す。陽子之を患ひ、子上に謂はしめて曰く、「吾之を聞く、『文は順を犯さず、武は敵を違けず』と。子若し戰はんと欲せば、則ち吾退舍せん。子濟りて陳せよ。遲速唯だ命のままにせん。然らずんば、我を紓(ゆる)せ。師を老(つか)らせ財を費やすも、亦た益無きなり」と。乃ち駕して以って待つ。子上涉らんと欲す。大孫伯曰く、「不可なり。晉人信無し。半ば涉りて我に薄らば、悔い敗るとも何ぞ及ばん。之を紓すに如かず」と。乃ち退舍す。陽子宣言して曰く、「楚の師遁れたり」と。遂に歸る。楚の師も亦た歸る。大子商臣子上を譖(しん)して曰く、「晉の賂を受けて之を辟く、楚の恥なり。罪焉より大なるは莫し」と。王子上を殺す。僖公を葬る。緩なり。主を作る、禮に非ざるなり。凡そ君薨ずれば、卒哭して祔(ふ)し、祔して主を作り、特に主に祀り、烝・嘗・禘は廟に於いてす。
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史記 孟嘗君列伝斉王、秦・楚の毀りに惑ひ、以為へらく孟嘗君は名その主より高くして斉国の権を擅にすと。遂に孟嘗君を廃す。諸客孟嘗君の廃せらるるを見て、皆去る。馮驩曰く、「臣に車一乗を借せ、以て秦に入るべき者、必ず君をして国に重くして奉邑益々広からしめん、可なるか」と。孟嘗君乃ち車幣を約してこれを遣る。馮驩乃ち西して秦王に説きて曰く、「天下の游士の軾に馮り靷を結びて西して秦に入る者は、秦を彊くして斉を弱めんと欲せざるは無し。軾に馮り靷を結びて東して斉に入る者は、斉を彊くして秦を弱めんと欲せざるは無し。此れ雄雌の国なり、勢ひ両立して雄たらず、雄たる者は天下を得ん」と。秦王跽きてこれに問ひて曰く、「何を以てせば秦をして雌と為ること無からしめて可ならん」と。馮驩曰く、「王もまた斉の孟嘗君を廃せるを知るか」と。秦王曰く、「これを聞く」と。馮驩曰く、「斉をして天下に重からしむる者は、孟嘗君なり。今、斉王毀りを以てこれを廃す、その心怨み、必ず斉に背かん。斉に背きて秦に入らば、則ち斉国の情、人事の誠、尽くこれを秦に委ね、斉の地得べきなり、豈に直だに雄たるのみならんや。君、急ぎ使ひをして幣を載せて陰かに孟嘗君を迎へしめよ、時を失ふべからざるなり。如し斉覚悟する有りて、また孟嘗君を用ひば、則ち雌雄の在る所未だ知るべからざるなり」と。秦王大いに悦び、乃ち車十乗・黄金百鎰を遣りて以て孟嘗君を迎へしむ。馮驩辞して以て先に行き、斉に至り、斉王に説きて曰く、「天下の游士の軾に馮り靷を結びて東して斉に入る者は、斉を彊くして秦を弱めんと欲せざる者は無し。軾に馮り靷を結びて西して秦に入る者は、秦を彊くして斉を弱めんと欲せざる者は無し。夫れ秦・斉は雄雌の国なり、秦彊ければ則ち斉弱し、此れ勢ひ両雄ならず。
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史記 匈奴列伝故約は、漢常に翁主を遣はし、繒絮食物を給すること品有り、以て和親す。而して匈奴も亦辺を擾さず。今乃ち古に反し、吾が太子をして質と為さしめんと欲す。幾ど無からん」と。匈奴の俗、漢の使の中貴人に非ざるを見れば、其の儒先なるは、以為へらく説かんと欲すと、其の弁を折く。其の少年なるは、以為へらく刺さんと欲すと、其の気を折く。漢の使匈奴に入る毎に、匈奴輒ち報償す。漢匈奴の使を留むれば、匈奴も亦漢の使を留め、必ず当たるを得て乃ち肯へて止む。楊信既に帰る。漢王烏を使はす。而して単于復た甘言を肴して、多く漢の財物を得んと欲し、紿きて王烏に謂ひて曰く、「吾漢に入りて天子に見え、面相約して兄弟と為らんと欲す」と。王烏帰りて漢に報ず。漢単于の為に邸を長安に築く。匈奴曰く、「漢の貴人の使を得るに非ずんば、吾与に誠語せず」と。匈奴其の貴人をして漢に至らしむ。病む。漢薬を予へて、之を愈やさんと欲するも、不幸にして死す。而して漢の使路充国二千石の印綬を佩びて往きて使ひし、因りて其の喪を送り、厚く葬ること数千金に直り、曰く「此れ漢の貴人なり」と。単于以為へらく漢吾が貴使者を殺せりと。乃ち路充国を留めて帰さず。諸々の言ふ所の者は、単于特に空しく王烏を紿くのみにして、殊に漢に入り及び太子を遣はして来り質たらしむるに意無し。是に於て匈奴数々奇兵をして辺を侵犯せしむ。漢乃ち郭昌を拝して抜胡将軍と為し、及び浞野侯朔方以東に屯して、胡に備ふ。路充国匈奴に留まること三歳、単于死す。烏維単于立ちて十歳にして死し、子烏師廬立ちて単于と為る。年少く、号して児単于と為す。是の歳は元封六年なり。此より後、単于益々西北し、左方の兵は雲中に直り、右方は酒泉・燉煌郡に直る。児単于立ち、漢両使者をして、一は単于を弔ひ、一は右賢王を弔はしめ、以て其の国を乖かしめんと欲す。使者匈奴に入る。匈奴悉く将ゐて単于に致す。単于怒りて尽く漢の使を留む。
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『呻吟語』内篇・應務・無用の樸は君子貴ばず無用の樸は、君子貴ばず。機械變詐を事とせずと雖も、德慧術知に至りては、亦た無かる可からず。
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