智囊 / 經務・種世衡・楊掞
種世衡所置青澗城,逼近虜境,守備單弱,芻糧俱乏。世衡以官錢貸商旅,使致之,不問所出入。未幾,倉廩皆實,又教吏民習射,雖僧道、婦人亦習之,以銀為的,中的者輒與之。既而中者益多,其銀重輕如故,而的漸厚且小矣。或爭徭役輕重,亦令射,射中者得優處。或有過失,亦令射,射中則免之。由是人人皆射,富強甲於延州。楊掞本書生,初從戎習騎射,每夜用青布藉地,乘生馬躍,初不過三尺,次五尺,次至一丈,數閃跌不顧。孟珙嘗用其法,稱為「小子房」。〔馮述評〕按《宋史》,掞嘗貸人萬緡,游襄、漢間,入娼樓,篋垂盡。夜忽自呼曰:「來此何為?」輒棄去。已在軍中,費官錢數萬,賈似道核其數,孟珙以白金六百與償,掞又費之,終日而飲。似道欲殺之,掞曰:「漢祖以黃金四萬斤付陳平,不問出入,如公瑣瑣,何以用豪傑?」似道姑置之。蓋奇士也!其參杜杲軍幕,能出奇計,解安豐之圍,惜乎不盡其用耳。
新字:種世衡所置青澗城,逼近虜境,守備単弱,芻糧倶乏。世衡以官銭貸商旅,使致之,不問所出入。未幾,倉廩皆実,又教吏民習射,雖僧道、婦人亦習之,以銀為的,中的者輒与之。既而中者益多,其銀重軽如故,而的漸厚且小矣。或争徭役軽重,亦令射,射中者得優処。或有過失,亦令射,射中則免之。由是人人皆射,富強甲於延州。楊掞本書生,初従戎習騎射,毎夜用青布藉地,乗生馬躍,初不過三尺,次五尺,次至一丈,数閃跌不顧。孟珙嘗用其法,称為「小子房」。〔馮述評〕按《宋史》,掞嘗貸人万緡,游襄、漢間,入娼楼,篋垂尽。夜忽自呼曰:「来此何為?」輒棄去。已在軍中,費官銭数万,賈似道核其数,孟珙以白金六百与償,掞又費之,終日而飲。似道欲殺之,掞曰:「漢祖以黄金四万斤付陳平,不問出入,如公瑣瑣,何以用豪傑?」似道姑置之。蓋奇士也!其参杜杲軍幕,能出奇計,解安豊之囲,惜乎不尽其用耳。
書き下し
種世衡の置く所の青澗城は、虜境に逼近し、守備は単弱にして、芻糧は倶に乏し。世衡は官銭を以て商旅に貸し、之を致さしめ、其の出入を問わず。未だ幾ばくならずして、倉廩は皆実つ。又た吏民に射を習わしめ、僧道、婦人と雖も亦た之を習わしむ。銀を以て的と為し、的に中る者には輒ち之を与う。既にして中る者益ます多く、其の銀の重軽は故の如くして、的は漸く厚く且つ小さくなる。或いは徭役の軽重を争えば、亦た射せしめ、射中する者は優処を得。或いは過失有れば、亦た射せしめ、射中すれば則ち之を免ず。是れに由りて人人皆射し、富強は延州に甲たり。楊掞は本と書生なり、初め戎に従いて騎射を習い、夜ごとに青布を用いて地に藉き、生馬に乗りて躍り、初めは三尺に過ぎず、次は五尺、次は一丈に至り、数しば閃跌するも顧みず。孟珙は嘗て其の法を用い、称して「小子房」と為す。〔馮述評〕按ずるに『宋史』に、掞は嘗て人に万緡を貸り、襄、漢の間に游び、娼楼に入り、篋は垂んど尽く。夜に忽ち自ら呼びて曰く、「来たりて此に何を為さんや」と。輒ち棄てて去る。已に軍中に在りて、官銭数万を費し、賈似道は其の数を核し、孟珙は白金六百を以て償うも、掞は又た之を費し、終日にして飲む。似道は殺さんと欲するに、掞曰く、「漢祖は黄金四万斤を陳平に付して、其の出入を問わず。公の如く瑣瑣たらば、何を以て豪傑を用いん」と。似道は姑く之を置く。蓋し奇士なり。其の杜杲の軍幕に参じ、能く奇計を出し、安豊の囲みを解く。惜しいかな其の用を尽くさざるのみ。
現代語訳
種世衡が築いた青澗城は、敵の領境に迫っていて、守りは弱く、まぐさも食糧もともに乏しかった。世衡は官の金を商人に貸し、物資を運び込ませ、その出入りを問わなかった。やがて倉庫はどれも満ちた。また役人や民に弓の稽古をさせ、僧侶や道士、女性にまで習わせた。銀を的にして、当てた者にはすぐそれを与えた。やがて当てる者がますます増えたので、銀の重さはそのままにして、的を次第に厚く、そして小さくしていった。賦役の軽重を争う者がいれば、やはり射させ、当てた者に有利に計らった。過失のある者にも射させ、当てれば許した。こうして人々はみな弓を射るようになり、豊かさと強さは延州で第一となった。楊掞はもと書生で、初め軍に入って騎射を習い、毎晩、青い布を地面に敷き、慣れない馬に乗って跳ばせた。初めは三尺にもならず、次に五尺、次に一丈に至り、何度も転んでも気にかけなかった。孟珙はかつてその方法を用い、「小子房」と称した。〔馮夢龍の評〕『宋史』を調べると、楊掞はかつて人から万緡を借り、襄陽・漢水のあたりに遊び、遊郭に入って、行李はほとんど尽きた。夜に突然、自分で叫んだ。「ここへ来て何をしているのか。」すぐに捨てて去った。軍中に入ってからも、官の金を数万費やし、賈似道がその額を調べ、孟珙が白金六百で弁償したが、楊掞はまたそれを使い、一日中酒を飲んだ。似道が殺そうとすると、掞は言った。「漢の高祖は黄金四万斤を陳平に渡して、その出入りを問わなかった。あなたのようにこせこせしていて、どうして豪傑を使えようか。」似道はしばらく見逃した。まことに奇士である。杜杲の軍幕に加わり、奇計を出して安豊の包囲を解いた。惜しいことに、その才を十分に用いなかったのである。
解説
この章句が説くこと
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