智囊 / 經務・范仲淹
仲淹知延州。先是,總官領邊兵萬人,鈐轄領五千人,都監領三千人,寇出,則官卑者先出御。仲淹曰:「將不擇人,以官為次第,敗道也。」乃大閱州兵,得萬八千人,分六將領之,將各三千,分部訓練,使量賊多寡,更番出御。〔馮述評〕梅少司馬客生疏云:「古之詔爵也以功,今之敘功也以爵。」二語極切時弊,夫臨陣,則卑者居先;敘功,又卑者居後。是直以性命媚人耳,宜志士之裹足而不出也!分將迭出之議固當,吾謂論功尤當專敘汗馬,而毋輕冒帷幄,則豪傑之氣平,而功名之士知奮矣!
新字:仲淹知延州。先是,総官領辺兵万人,鈐轄領五千人,都監領三千人,寇出,則官卑者先出御。仲淹曰:「将不択人,以官為次第,敗道也。」乃大閲州兵,得万八千人,分六将領之,将各三千,分部訓練,使量賊多寡,更番出御。〔馮述評〕梅少司馬客生疏云:「古之詔爵也以功,今之敘功也以爵。」二語極切時弊,夫臨陣,則卑者居先;敘功,又卑者居後。是直以性命媚人耳,宜志士之裹足而不出也!分将迭出之議固当,吾謂論功尤当専敘汗馬,而毋軽冒帷幄,則豪傑之気平,而功名之士知奮矣!
書き下し
仲淹は延州に知たり。先に是れ、総官は辺兵万人を領し、鈐轄は五千人を領し、都監は三千人を領し、寇出づれば、則ち官卑き者先ず出でて禦ぐ。仲淹曰く、「将は人を択ばず、官を以て次第と為すは、敗の道なり」と。乃ち大いに州兵を閲し、万八千人を得て、六将に分かちて之を領せしめ、将ごとに各三千、部を分けて訓練し、賊の多寡を量りて、更番に出でて禦がしむ。〔馮述評〕梅少司馬客生の疏に云う、「古の爵を詔るや功を以てし、今の功を叙するや爵を以てす」と。二語は極めて時弊に切なり。夫れ陣に臨めば、則ち卑き者は先に居り、功を叙すれば、又た卑き者は後に居る。是れ直に性命を以て人に媚ぶるのみ、宜なるかな志士の足を裹みて出でざるや。分将迭出の議は固より当たれり。吾謂う、論功は尤も当に専ら汗馬を叙し、帷幄を軽々しく冒すこと毋かるべし。則ち豪傑の気平らぎて、功名の士は奮うを知らん。
現代語訳
范仲淹は延州の長官となった。それまでは、総官が辺境の兵一万人を率い、鈐轄が五千人を率い、都監が三千人を率いており、敵が出てくれば、官位の低い者がまず出て防ぐ決まりだった。仲淹は言った。「将を人物で選ばず、官位の順に出すのは、敗北の道である。」そこで州の兵を大いに点検して一万八千人を得、六人の将に分けて率いさせ、将ごとにそれぞれ三千人とし、部隊を分けて訓練し、敵の多い少ないを量って、交替で出て防がせた。〔馮夢龍の評〕梅少司馬客生が上奏して言う。「昔は爵位を授けるのに功績によったが、今は功績を評価するのに爵位による。」この二句はまさに時代の弊害を言い当てている。そもそも戦場に臨めば、地位の低い者が先に立ち、功績を評価する段になると、また地位の低い者が後に回される。これでは命を投げ出して人にこびるだけで、志ある士が足を引っ込めて出てこないのも当然だ。将を分けて交替で出すという議論はもとより正しい。私が思うに、功績の評価はとくに実際に馬を汗まみれにして戦った働きを第一に記し、軽々しく幕中の謀議の者が功を冒してはならない。そうすれば豪傑の気持ちは落ち着き、功名を求める士も奮い立つことを知るだろう。
解説
この章句が説くこと
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