智囊 / 經務・高鬱
楚王馬殷既得湖南,不徵商旅,由是四方商旅輻輳。湖南地多鉛鐵,軍都判官高鬱請鑄為錢,商旅出境,無所用之,皆易他貨而去,國用富饒。湖南民不事蠶桑,鬱令輸稅者皆以帛代錢,未幾,民間機杼大盛。〔馮述評〕官府無私,即鉛鐵尚可行,況銅乎?夫錢法所以壅而不行者,官出而不官入。即入也,以惡錢出而以良錢入,出價厚而入價廉,民誰甘之?故曰:「君子平其政。」上下平則政自行矣。
新字:楚王馬殷既得湖南,不徴商旅,由是四方商旅輻輳。湖南地多鉛鉄,軍都判官高鬱請鋳為銭,商旅出境,無所用之,皆易他貨而去,国用富饒。湖南民不事蠶桑,鬱令輸税者皆以帛代銭,未幾,民間機杼大盛。〔馮述評〕官府無私,即鉛鉄尚可行,況銅乎?夫銭法所以壅而不行者,官出而不官入。即入也,以悪銭出而以良銭入,出価厚而入価廉,民誰甘之?故曰:「君子平其政。」上下平則政自行矣。
書き下し
楚王馬殷、既に湖南を得て、商旅に徴せず、是れに由りて四方の商旅輻輳す。湖南の地は鉛鉄多し。軍都判官高鬱、請いて鋳て銭と為し、商旅の境を出づるや、之を用うる所無く、皆な他貨に易えて去り、国用富饒となる。湖南の民は蚕桑を事とせず、鬱、税を輸する者をして皆な帛を以て銭に代えしめ、未だ幾ばくならずして、民間の機杼は大いに盛んなり。〔馮述評〕官府に私無くんば、即ち鉛鉄すら尚お行うべし、況んや銅をや。夫れ銭法の壅して行われざる所以は、官は出して官は入れざればなり。即ち入るるも、悪銭を以て出して良銭を以て入れ、出す価は厚く入るる価は廉なれば、民は誰か甘んぜん。故に曰く、「君子は其の政を平らかにす」と。上下平らかなれば政は自ずから行われん。
現代語訳
楚王の馬殷は、湖南を領有した後、商人に税をかけなかったので、四方の商人が集まってきた。湖南の土地は鉛や鉄が多い。軍都判官の高鬱は、これを鋳て銭にすることを願い出た。商人が国境を出れば、その銭は使い道がなく、みな他の品物に替えて去っていったので、国の財政は豊かになった。湖南の民は養蚕に励まなかったが、高鬱は税を納める者にみな絹織物で銭の代わりとさせたので、まもなく民間の機織りは大いに盛んになった。〔馮夢龍の評〕官府に私心がなければ、鉛や鉄の銭でさえ通用する。まして銅銭ならなおさらである。そもそも貨幣制度が滞って通用しない理由は、官が出すだけで受け入れないからだ。受け入れるとしても、悪い銭で出して良い銭で受け取り、出す時の値は高く、受け取る時の値は安くすれば、民は誰も納得しない。だから「君子はその政治を公平にする」と言う。上下が公平であれば、政治は自然に行われる。
解説
この章句が説くこと
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