智囊 / 經務・張全義
東都薦經寇亂,其民不滿百戶。張全義為河南尹,選麾下十八人材器可任者,人給一旗一榜,謂之「屯將」,使詣十八縣故墟落中,植旗張榜,招懷流散。勸之樹藝,蠲其租稅;唯殺人者死,餘俱笞杖而已。由是民歸如市。數年之後,漸復舊規。全義每見田疇美者,輒下馬與僚佐共觀之,召田主,勞以酒食。有蠶、麥善收者,或親至其家,悉呼出老幼,賜以茶彩衣物。民間言:「張公不喜聲妓,獨見佳麥良蠶乃笑耳!」由是民竟耕蠶,遂成富庶。〔馮述評〕全義起於群盜,乃其為政,雖良吏不及。彼吏而盜者,不愧死耶!全義一笑而民勸,今則百怒而民不威,何也?
新字:東都薦経寇乱,其民不満百戸。張全義為河南尹,選麾下十八人材器可任者,人給一旗一榜,謂之「屯将」,使詣十八県故墟落中,植旗張榜,招懐流散。勧之樹芸,蠲其租税;唯殺人者死,余倶笞杖而已。由是民帰如市。数年之後,漸復旧規。全義毎見田疇美者,輒下馬与僚佐共観之,召田主,労以酒食。有蠶、麦善収者,或親至其家,悉呼出老幼,賜以茶彩衣物。民間言:「張公不喜声妓,独見佳麦良蠶乃笑耳!」由是民竟耕蠶,遂成富庶。〔馮述評〕全義起於群盗,乃其為政,雖良吏不及。彼吏而盗者,不愧死耶!全義一笑而民勧,今則百怒而民不威,何也?
書き下し
東都は薦りに寇乱を経て、其の民は百戸に満たず。張全義、河南尹と為り、麾下の材器の任ずべき者十八人を選び、人ごとに一旗一榜を給し、之を「屯将」と謂い、十八県の故墟落に詣り、旗を植え榜を張りて、流散を招懐せしむ。之に樹藝を勧め、その租税を蠲き、唯だ殺人者は死、余は俱に笞杖するのみ。是に由りて民の帰すること市の如し。数年の後、漸く旧規に復す。全義、田疇の美なる者を見る毎に、輒ち馬を下りて僚佐と共に之を観、田主を召して、労うに酒食を以てす。蚕・麦の善く収まる者あれば、或いは親ら其の家に至り、悉く老幼を呼び出し、賜うに茶・彩・衣物を以てす。民間、言う、「張公は声妓を喜ばず、独り佳き麦・良き蚕を見て乃ち笑うのみ」と。是に由りて民は竞いて耕蚕し、遂に富庶を成す。〔馮述評〕全義は群盗より起こるも、乃ち其の政を為すや、良吏も及ばず。彼の吏にして盗なる者は、愧死せざるか。全義は一笑して民勧み、今は百怒して民威れざるは、何ぞや。
現代語訳
洛陽は度重なる賊の乱を経て、民は百戸にも満たなかった。張全義は河南尹となると、配下の人材で任せられる者十八人を選び、一人ごとに旗一本と布告一通を与えて「屯将」と呼び、十八県の旧村落に行かせて、旗を立て布告を張り、離散した人を呼び戻させた。農耕を勧め、租税を免除し、ただ殺人だけは死罪、他は笞や杖で打つだけとした。こうして民が市場のように集まって帰ってきた。数年のうちに次第に元の姿を取り戻した。張全義は、田畑がよくできているのを見るたびに、必ず馬を下りて部下たちとともに眺め、田の持ち主を呼んで酒食でねぎらった。蚕や麦がよく収穫できた者には、自らその家を訪れ、老いも幼きもみな呼び出して、茶や彩りの布、衣類を与えた。民は言い合った。「張公は歌舞の女を好まず、ただよい麦とよい蚕を見て初めて笑うのだ」と。こうして民は争って耕作と養蚕に励み、ついに豊かになった。〔馮夢龍の評〕張全義は盗賊から身を起こしたが、その政治は優れた役人も及ばなかった。役人でありながら盗賊のような者は、恥じて死なないのか。張全義は一笑しただけで民が励んだのに、今は百たび怒っても民が畏れないのはなぜか。
解説
この章句が説くこと
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『政談』諸役人に器量を選ふ事加藤清正か家来に飯田覚兵衛と申す武功の者あり、初めは角兵衛と角と云ふ字を書きたるを、太閤の上意に覚と云ふ文字を書けとありて、覚文字に書きかへたるほとのものなり、この者の申したりしは、我一生は清正にだまされたり、最初武辺をしたるとき、其塲を立ちよりて見たれは、我と同き朋輩皆鉄砲に中り矢に中りて死したり、偖も〳〵危き事や、最早是切りにして武士の奉公は巳むへしと思ひたり、帰ると否や清正折を遁さす、偖も今日の働き神妙云はん方無しとて腰のものを賜はる、斯の如く毎度其の塲を去ては後悔すれとも、清正毎度時節をのかさす、或は陣羽織或は感状を与ふ、諸朋輩も皆羨みて讃嘆する故、夫に引れて引き込むことならす、さいを手に掛けて士大将と云はるゝ程に成りたるは、清正にだまされて本意を失ひたるなりとぞ、このもの忠広没落の後ち京へ引き込みて再ひ奉公をかせがす、安楽に耽りて居たるときの物語りなりと、かの家の古老の話也、
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『政談』諸役人に器量を選ふ事右に云ひたる下より申すことの理筋立ちたるとも足らぬ所有るをは、其の足らぬ所には搆はす、其の理筋の立ちたる所を随分に賞翫して、偖程を経て先日汝か申す所尤なることなり、左れとも斯の如き差支へあり、此の所は如何すへき、斯の如くして如何あるへきと程を経て申すへきことなり、箇様にあるときは理筋に叶ひたる所を賞翫の筋立つ故、下の心にちゞみ付かぬなり、其の座にて半は立て半は押ゆるときは、下たる人の心兎角上の思召しには及はさること也と思ふ故、再ひものを申さぬなり、又其の半は押へられたる所、却て無理也と思ひ付きても尚々申さぬ也、然れは其の半は立てたる所善きやうなれとも、下の心に縮みを付たる所は全く押へたると同断なり、箇様なることを孟子には五十歩百歩の違ひと云へるなり、
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