武家家訓集 / 朝倉敏景十七箇条第十六条
一神社佛閣幷町屋等を通られむごときは、少々馬を留めて、奇麗なるをば聊稱美し、破損せるをば稍惠憐の詞をも加へられ候はゞ、到らぬ者共は、御詞を懸りたるなどとて、歎抃に挑ずして、惡きをば早く改め、能は彌可相嗜候乎、然れば造作も不入して、見事に持なす事も、專可依主君の一心候事、
新字:一神社仏閣幷町屋等を通られむごときは、少々馬を留めて、奇麗なるをば聊称美し、破損せるをば稍恵憐の詞をも加へられ候はゞ、到らぬ者共は、御詞を懸りたるなどとて、嘆抃に挑ずして、悪きをば早く改め、能は弥可相嗜候乎、然れば造作も不入して、見事に持なす事も、専可依主君の一心候事、
書き下し
一、神社佛閣幷びに町屋等を通られんごときは、少々馬を留めて、奇麗なるをば聊か稱美し、破損せるをば稍く惠憐の詞をも加へられ候はば、到らぬ者共は、御詞を懸りたるなどとて、歎抃に挑ずして、惡きをば早く改め、能きは彌々嗜むべく候か。然れば造作も入らずして、見事に持ち成す事も、專ら主君の一心に依るべく候事、
現代語訳
神社や寺院、町家などを通るようなときは、少し馬を止めて、きれいなものはいささかほめ、傷んでいるものにはいくらか思いやりの言葉を加えなさい。そうすれば、行き届かぬ者たちは、お言葉を掛けていただいたなどといって喜びを抑えきれず、悪いところは早く改め、よいところはいよいよ大切にするであろうか。そうなれば、手間や費用をかけずに見事に維持できるのも、ひとえに主君の心がけしだいである。
解説
第十六条は、主君が通りがかりの神社仏閣や町家で、馬を少し止めて声をかけるよう求めます。きれいなものは軽くほめ、傷んだものには気づかうひと言を添えれば、言葉を掛けられた者は喜び、悪いところを早く改め、よい点はいっそう大切にすると見ています。そうすれば普請の費用をかけずに町並みが整うのも、主君の一心しだいだと結びます。ねぎらいと承認が、指示や命令より人を動かすという観察です。現代の管理職にも、現場を見回って良い点を具体的に認め、不具合には責めずに関心を示す関わりとして通用します。目を向けられていると感じることが、改善の動機になるという示唆です。
この章句が説くこと
承認声かけ現場巡回動機づけ主君の一心武家家訓集
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