智囊 / 經務・李若谷・趙昌言
安豐芍陂縣,叔敖所創。為南北渠,溉田萬頃,民因旱多侵耕其間,雨水溢則盜決之,遂失灌溉之利。李若谷知壽春,下令陂決不得起兵夫,獨調瀕陂之民使之完築,自是無盜決者。天雄軍豪家芻麥亙野,時因奸人穴官堤為弊。咸平中,趙昌言為守,廉知其事,未問,,一旦堤潰,吏告急,昌言命急取豪家所積,給用塞堤,自是奸息。〔馮述評〕近日東南漕務孔亟,每冬作壩開河,勞費無算,而丹陽一路尤甚。訪其由,則居人歲收夫腳盤剝之值,利於阻塞;當起壩時,先用賄存基,俟糧過後,輒於深夜填土,至冬水涸,不得不議疏通。若依李、趙二公之策,竭一年之勞費,深加開濬;曉示居民,後有壅淤,即責成彼處自行撈掘,庶常、鎮之間或可息肩乎?或言每歲開塞,不獨腳夫利之,即官吏亦利之,此又非愚所敢知也。
新字:安豊芍陂県,叔敖所創。為南北渠,溉田万頃,民因旱多侵耕其間,雨水溢則盗決之,遂失灌溉之利。李若谷知寿春,下令陂決不得起兵夫,独調瀕陂之民使之完築,自是無盗決者。天雄軍豪家芻麦亙野,時因奸人穴官堤為弊。咸平中,趙昌言為守,廉知其事,未問,,一旦堤潰,吏告急,昌言命急取豪家所積,給用塞堤,自是奸息。〔馮述評〕近日東南漕務孔亟,毎冬作壩開河,労費無算,而丹陽一路尤甚。訪其由,則居人歳収夫脚盤剥之値,利於阻塞;当起壩時,先用賄存基,俟糧過後,輒於深夜填土,至冬水涸,不得不議疏通。若依李、趙二公之策,竭一年之労費,深加開濬;暁示居民,後有壅淤,即責成彼処自行撈掘,庶常、鎮之間或可息肩乎?或言毎歳開塞,不独脚夫利之,即官吏亦利之,此又非愚所敢知也。
書き下し
安豊の芍陂県は、叔敖の創むる所なり。南北の渠を為り、田を溉ぐこと万頃。民、旱に因りて多く其の間を侵耕し、雨水溢るれば則ち之を盗決し、遂に灌漑の利を失う。李若谷、寿春に知たりて、令を下す、陂の決するも兵夫を起こすを得ず、独り陂に瀕する民を調して之を完築せしむ。是れより盗決する者無し。天雄軍の豪家は芻麦野に亙り、時に奸人は官堤に穴して弊を為す。咸平中、趙昌言、守と為り、廉かに其の事を知り、未だ問わず。一旦、堤潰え、吏、急を告ぐ。昌言、命じて急ぎ豪家の積む所を取りて、給用して堤を塞がしむ。是れより奸は息む。〔馮述評〕近日、東南の漕務は孔だ亟く、冬ごとに壩を作り河を開き、労費は算うる無し。而して丹陽一路は尤も甚だし。其の由を訪うに、則ち居人は歳ごとに夫脚盤剥の値を収め、阻塞を利とす。壩を起こすに当たりては、先ず賄を用いて基を存し、糧の過ぐるを俟ちて後、輒ち深夜に土を填む。冬に至り水涸れれば、疏通を議せざるを得ず。若し李・趙二公の策に依り、一年の労費を竭くして深く開濬を加え、居民に曉示し、後に壅淤あらば、即ち彼の処の自ら撈掘するを責成すれば、庶くは常・鎮の間、或いは肩を息むべきか。或るひと言う、「毎歳の開塞は、独り脚夫のみ之を利とするにあらず、即ち官吏も亦た之を利とす」と。此れは又た愚の敢えて知る所にあらず。
現代語訳
安豊の芍陂は、孫叔敖が造ったものである。南北に水路を作り、一万頃の田を潤した。民は干ばつのためにその間の土地を多く勝手に耕し、雨で水があふれるとこっそり堤を切り、とうとう灌漑の利益を失った。李若谷は寿春の長官となると、命令を出した。堤が決壊しても兵や人夫を動員してはならない、ただ堤のそばに住む民を徴発して修築させよ、と。それ以来、こっそり堤を切る者はなくなった。天雄軍の豪家は、刈り草や麦を野一面に積み、ときどき悪人が官の堤に穴をあけて害をなした。咸平年間、趙昌言が長官となり、ひそかにその事実をつかんだが、まだ問いたださなかった。ある日、堤が決壊して役人が急報を告げた。趙昌言は命じて急ぎ豪家の積んでいた物を取って堤をふさぐ資材に充てさせた。それ以来、悪事は止んだ。〔馮夢龍の評〕近ごろ東南の漕運の仕事は極めて切迫し、冬ごとに堰を築き河を開くので、費用は数えきれない。中でも丹陽の一帯は特にひどい。その原因を尋ねると、住民が毎年人夫と荷の積み替えの手間賃を取り、運河がふさがるのを利益にしているのである。堰を築く時、まず賄賂を使って基礎を残し、荷船が通過した後、深夜に土を埋める。冬に水が涸れれば、通す相談をせざるを得なくなる。もし李・趙二人の策に従って、一年分の労力と費用を尽くして深く浚い、住民に告げ、後に詰まることがあれば、その場所の者に自ら掘り上げさせれば、常州・鎮江の間は少しは楽になるだろうか。ある人は、毎年開けたり塞いだりするのは、人夫だけが利益を得るのではなく、役人も利益を得ているのだと言う。これは私にはあえて知るところではない。
解説
この章句が説くこと
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