智囊 / 遠猶・張詠
張忠定知崇陽縣。民以茶為業,公曰:「茶利厚,官將榷之,不若早自異也。」命拔茶而植桑,民以為苦。其後榷茶,他縣皆失業,而崇陽之桑皆已成,為絹歲百萬匹。民思公之惠,立廟報之。〔馮述評〕文溫州林官永嘉時,其地產美梨。有持獻中官者,中官令民納以充貢。公曰:「梨利民幾何?使歲為例,其害大矣!」俾悉伐其樹。中官怒而譖之,會薦卓異得免。近年虎丘茶亦為僧所害,僧亦伐樹以絕之。嗚呼!中官不足道,為人牧而至使民伐樹以避害,此情可不念歟?〔馮注:林、衡山先生之父。〕《泉南雜誌》云:泉地出甘蔗,為糖利厚,往往有改稻田種蔗者。故稻米益乏,皆仰給於浙直海販。蒞茲土者,當設法禁之,驟似不情,惠後甚溥。
新字:張忠定知崇陽県。民以茶為業,公曰:「茶利厚,官将榷之,不若早自異也。」命抜茶而植桑,民以為苦。其後榷茶,他県皆失業,而崇陽之桑皆已成,為絹歳百万匹。民思公之恵,立廟報之。〔馮述評〕文温州林官永嘉時,其地産美梨。有持献中官者,中官令民納以充貢。公曰:「梨利民幾何?使歳為例,其害大矣!」俾悉伐其樹。中官怒而譖之,会薦卓異得免。近年虎丘茶亦為僧所害,僧亦伐樹以絶之。嗚呼!中官不足道,為人牧而至使民伐樹以避害,此情可不念歟?〔馮注:林、衡山先生之父。〕《泉南雑誌》云:泉地出甘蔗,為糖利厚,往往有改稲田種蔗者。故稲米益乏,皆仰給於浙直海販。莅茲土者,当設法禁之,驟似不情,恵後甚溥。
書き下し
張忠定、崇陽県に知たり。民は茶を以て業と為す。公曰く、「茶の利は厚し、官将に之を榷せんとす。早く自ら異にするに若かず」と。命じて茶を抜きて桑を植えしむ。民以て苦しと為す。其の後、茶を榷するに、他県は皆な業を失い、而して崇陽の桑は皆已に成り、絹を為すこと歳に百万匹。民公の恵みを思い、廟を立てて之に報ず。〔馮述評〕文温州林、永嘉に官たりし時、其の地に美梨を産す。持ちて中官に献ずる者有り、中官は民をして納めて以て貢に充てしむ。公曰く、「梨の民を利すること幾何ぞ。歳ごとに例と為さば、其の害大なり」と。悉く其の樹を伐らしむ。中官怒りて之を譖す。会たま卓異に薦められて免るるを得たり。近年、虎丘の茶も亦僧の害する所と為り、僧も亦樹を伐りて以て之を絶つ。嗚呼、中官は道うに足らず。人の牧と為りて民をして樹を伐りて以て害を避けしむるに至る、此の情、念わざるべけんや。〔馮注:林は、衡山先生の父なり。〕《泉南雑誌》に云う、泉の地は甘蔗を出し、糖を為して利厚し。往往にして稲田を改めて蔗を種うる者有り。故に稲米益々乏しく、皆な浙直の海販に仰給す。茲の土に蒞む者は、当に法を設けて之を禁ずべし。驟かには情ならざるに似たるも、恵後は甚だ溥し、と。
現代語訳
張詠(忠定)が崇陽県の知事だったとき、民は茶の栽培を生業としていた。張詠は言った。「茶の利益は大きい。やがて官が専売にするだろう。早めに別の作物に切り替えたほうがよい」。命じて茶の木を抜かせ、桑を植えさせた。民は辛いことだと思った。その後、茶が専売となると、他の県は皆生業を失ったが、崇陽の桑はすでに育っていて、絹は年に百万匹にのぼった。民は張詠の恵みを思い、廟を建ててその恩に報いた。〔馮夢龍の評〕温州の文林が永嘉の官だったとき、その地は美味な梨を産した。梨を中官に献上する者がおり、中官は民に納めさせて貢納に充てようとした。文林は言った。「梨が民に何ほどの利益になるか。毎年の恒例になれば、その害は大きい」。そこで梨の木をすべて伐らせた。中官は怒って彼を讒言した。ちょうど優秀な官として推薦されたので免れた。近年、虎丘の茶も僧の害を受け、僧も木を伐って絶やした。ああ、中官は論じるに足りない。民の牧となる者が、民に木を伐らせて害を避けさせるに至るのは、この気持ちを思わずにいられようか。〔馮夢龍の注:文林は、衡山先生(文徴明)の父である。〕『泉南雑誌』に言う。泉州の地は甘蔗を産し、砂糖を作れば利益が大きい。しばしば稲田を改めて蔗を植える者がいる。そのため米がますます不足し、すべて浙江や南直隷の海上商人に頼っている。この地に臨む者は、法を設けてこれを禁じるべきである。急には人情に反するようだが、恩恵は後で非常に広い、と。
解説
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