智囊 / 經務・劉大夏
弘治十年,命戶部劉大夏出理邊餉,或曰:「北邊糧草,半屬中貴人子弟經營,公素不與先輩合,恐不免剛以取禍。」大夏曰:「處事以理不以勢,俟至彼圖之。」既至,召邊上父老日夕講究,遂得其要領。一日,榜榜通衢云:「某倉缺糧若干石,每石給官價若干,凡境內外官民客商之家,但願輸者,米自十石以上,草自百束以上,俱准告。」雖中貴子弟亦不禁。不兩月,倉場充牛刃,蓋往時糧百石、草千束方准告,以故中貴子弟爭相為市,轉買邊人糧草,陸續運至,牟利十五。自此法立,有糧草之家自得告輸,中貴子弟即欲收糴,無處可得,公有餘積,家有餘。〔馮述評〕忠宣法誠善,然使不召邊上父老日夕講究,如何得知?能如此虛心訪問,實心從善,何官不治?何事不濟?昔唐人目台中坐席為「癡牀」,謂一坐此牀,驕倨如癡。今上官公坐皆「癡牀」矣,民間利病,何由上聞?
新字:弘治十年,命戸部劉大夏出理辺餉,或曰:「北辺糧草,半属中貴人子弟経営,公素不与先輩合,恐不免剛以取禍。」大夏曰:「処事以理不以勢,俟至彼図之。」既至,召辺上父老日夕講究,遂得其要領。一日,榜榜通衢云:「某倉欠糧若干石,毎石給官価若干,凡境内外官民客商之家,但願輸者,米自十石以上,草自百束以上,倶准告。」雖中貴子弟亦不禁。不両月,倉場充牛刃,蓋往時糧百石、草千束方准告,以故中貴子弟争相為市,転買辺人糧草,陸続運至,牟利十五。自此法立,有糧草之家自得告輸,中貴子弟即欲収糴,無処可得,公有余積,家有余。〔馮述評〕忠宣法誠善,然使不召辺上父老日夕講究,如何得知?能如此虚心訪問,実心従善,何官不治?何事不済?昔唐人目台中坐席為「痴牀」,謂一坐此牀,驕倨如痴。今上官公坐皆「痴牀」矣,民間利病,何由上聞?
書き下し
弘治十年、戸部の劉大夏に命じて出でて辺餉を理めしむ。或るひと曰く、「北辺の糧草は半ば中貴人の子弟の経営に属す。公は素より先輩と合わず、恐らくは剛を以て禍を取るを免れざらん」と。大夏曰く、「事を処するは理を以てし勢を以てせず。彼に至るを俟ちて之を図らん」と。既に至り、辺上の父老を召して日夕講究し、遂に其の要領を得たり。一日、通衢に榜して云う、「某倉は糧若干石を欠く。石ごとに官価若干を給す。凡そ境内外の官民・客商の家、但だ輸せんことを願う者は、米は十石以上、草は百束以上より、俱に告するを准す」と。中貴の子弟と雖も亦た禁ぜず。両月ならずして、倉場は牛刃に充つ。蓋し往時は糧百石、草千束にして方に告するを准せしが故に、中貴の子弟争いて市を為し、辺人の糧草を転買し、陸続として運び至り、利を牟ること十に五なり。此の法立つより、糧草ある家は自ずから告輸するを得、中貴の子弟は収糴せんと欲すと雖も、得る処無く、公に余積あり、家に余あり。〔馮述評〕忠宣の法は誠に善し。然れども辺上の父老を召して日夕講究せしめずんば、如何にして知るを得んや。能く此の如く虚心に訪問し、実心に善に従わば、何の官か治まらざらん、何の事か済らざらん。昔、唐人は台中の坐席を目して「癡牀」と為す。謂えらく、一たび此の牀に坐すれば、驕倨すること癡の如しと。今、上官公坐は皆な「癡牀」なり。民間の利病、何に由りて上聞せん。
現代語訳
弘治十年、戸部の劉大夏が命じられて辺境の軍糧の管理にあたることになった。ある人が言った。「北辺の食糧と飼料は、半ば宦官の子弟が取り仕切っています。あなたはもともと先輩たちと合わない方ですから、強硬なやり方で災いを招くのではないでしょうか」。劉大夏は答えた。「物事は道理で処理するもので、勢いでやるものではない。現地に着いてから考えよう」。着任すると、辺境の老人たちを呼んで毎日話し合い、ついて要点をつかんだ。ある日、大通りに掲示を出した。「某倉は食糧が若干石不足している。一石ごとに官の価格で若干を支払う。国内外の官民・商人の家で納めたい者は、米は十石以上、飼料は百束以上から、すべて申告を認める」。宦官の子弟であっても禁じなかった。二か月たたないうちに倉は満ちあふれた。以前は食糧百石、飼料千束でなければ申告を認めなかったため、宦官の子弟が争って商売をし、辺境の人の食糧と飼料を買い取っては続々と運び込み、五割の利益を得ていたのである。この制度ができてからは、食糧や飼料を持つ家が自分で納められるようになり、宦官の子弟は買い集めようとしても入手先がなく、公の倉には蓄えが生まれ、民の家にも余りができた。〔馮夢龍の評〕劉大夏の法は実によいが、辺境の老人たちを呼んで毎日検討しなかったら、どうやって実情を知り得ただろうか。このように心を空にして尋ね、誠実に善に従えば、どんな役所でも治まらず、どんな事でも成らないことはない。昔、唐の人は御史台の座席を「癡牀」と呼んだ。一度この席に座ると、驕り高ぶって愚か者のようになるという意味である。今の上官の席はみな「癡牀」だ。民間の利害が、どうして上に届くだろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・衛霊公篇顔淵、邦を為むるを問う。子曰く、「夏の時を行い、殷の輅に乗り、周の冕を服し、楽は則ち韶舞。鄭声を放ち、佞人を遠ざく。鄭声は淫にして、佞人は殆し。」
-
三略・中略故に聖王の世を御するや、盛衰を観、得失を度りて、之が制を為す。故に諸侯は二師、方伯は三師、天子は六師なり。世乱るれば則ち叛逆生じ、王沢竭くれば則ち盟誓相ひ誅伐す。
-
説苑・政理景差、鄭に相たり。鄭人に冬水を渉る者有り、出でて脛寒し。後に景差之を過り、陪乗を下して之を載せ、覆うに上衽を以てす。晋の叔向之を聞きて曰く、「景子人国の相為るや、豈に固ならずや。吾聞く、良吏之に居りて三月にして溝渠修まり、十月にして津梁成る、六畜すら且つ足を濡らさず、而るを況んや人をや。」
-
説苑・貴德桓公平陵に之き、家人の年老いて自ら養ふ有るを見る、公其の故を問ふ、対へて曰く、「吾に子九人有るも、家貧しくして以て之に妻あはすること無く、吾傭せしめて未だ返らざるなり」と。桓公外御の者五人を取りて之に妻あはす、管仲入りて見えて曰く、「公の恵を施すこと亦た小なるかな」と。公曰く、「何ぞや」と。対へて曰く、「公見る所を待ちて恵を施せば、則ち斉国の妻有る者少なからん」と。公曰く、「若何せん」と。管仲曰く、「国の丈夫をして三十にして室せしめ、女子をして十五にして嫁せしめよ」と。
-
『呻吟語』内篇・應務・禮の用は和を貴しと為す禮法を制して以て萬世に垂れ天下を繩する者は、須らく是れ時中の聖人天理人情の至を斟酌して之を為すべし。一に以て極を立て、一毫の矯拂心無く、一毫の懲創心無く、一毫の一切心無し。嚴なれども人情に苦しからず、寬なれども天則に亂れず。天下をして肯へて從ひ萬世相安んぜしむ。故に曰く、「禮の用は和を貴しと為す」と。和の一字は、禮法を制する時合下便ち有り。豈に美と為さずや。是を以て繁密なる者は人の躁心を激し、嚴峻なる者は人の畔心を激す。甚だしき者は、乃ち之を驅るなり。
-
尉繚子・制談凡そ兵制は必ず先ず制を定む、先ず定まれば則ち士亂れず、士亂れざれば則ち刑乃ち明らかなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る