智囊 / 經務・董博霄
董博霄,磁州人,至正十六年建議於朝曰:寧一境不通舟楫,軍糧唯可陸運。瀕海之人,屢經寇亂,且宜曲加存撫,權令軍人運送。其陸運之方:每人行十步,三十六人可行一里,三百六十人可行十里,三千六百人可行一百里。每人負米四斗,以夾布囊盛之,用印封識,人不息肩,米不著地,排列成行,日五百回,計路二十八里,輕行一十四里,重行一十四里,日可運米二百石,每運可供二萬人--此百里一日運糧之數也。〔馮按〕夫長陵北征時,命侍郎師逵督餉。逵以道險車載,民疲糧乏,乃擇平坦之地,均其里數,置站堡;每夫一人運米一石,此送彼接,朝往暮來,民不困而食足。亦法此意。
新字:董博霄,磁州人,至正十六年建議於朝曰:寧一境不通舟楫,軍糧唯可陸運。瀕海之人,屡経寇乱,且宜曲加存撫,権令軍人運送。其陸運之方:毎人行十歩,三十六人可行一里,三百六十人可行十里,三千六百人可行一百里。毎人負米四斗,以夾布嚢盛之,用印封識,人不息肩,米不著地,排列成行,日五百回,計路二十八里,軽行一十四里,重行一十四里,日可運米二百石,毎運可供二万人--此百里一日運糧之数也。〔馮按〕夫長陵北征時,命侍郎師逵督餉。逵以道険車載,民疲糧乏,乃択平坦之地,均其里数,置站堡;毎夫一人運米一石,此送彼接,朝往暮来,民不困而食足。亦法此意。
書き下し
董博霄は磁州の人。至正十六年、朝に建議して曰く、「寧の一境は舟楫通ぜず、軍糧は唯だ陸運すべし。海に瀕する人は、屡ば寇乱を経たれば、且つ宜しく曲げて存撫を加え、権に軍人をして運送せしむべし。その陸運の方は、人ごとに行くこと十歩、三十六人にして一里を行くべく、三百六十人にして十里を行くべく、三千六百人にして一百里を行くべし。人ごとに米四斗を負い、夾布の囊を以て盛り、印を用いて封識し、人は肩を息めず、米は地に著かず、排列して行を成し、日に五百回、路を計ること二十八里、軽く行くこと一十四里、重く行くこと一十四里、日に米二百石を運ぶべく、一運ごとに二万人に供すべし。此れ百里一日の運糧の数なり」と。〔馮按〕夫れ長陵の北征の時、侍郎師逵に命じて餉を督せしむ。逵は道険にして車載し、民疲れ糧乏しきを以て、乃ち平坦の地を択び、その里数を均しくし、站堡を置く。夫一人ごとに米一石を運び、此に送り彼に接ぎ、朝に往きて暮に来る。民は困しまずして食足る。亦た此の意に法るなり。
現代語訳
董博霄は磁州の人である。至正十六年、朝廷に建議して言った。「寧の一帯は舟が通れず、軍糧は陸路で運ぶしかありません。海辺の人々はたびたび賊の乱を経験していますから、いたわって落ち着かせ、当面は軍人に運送させるのがよいでしょう。その陸運の方法は、一人が十歩ずつ進めば、三十六人で一里を進み、三百六十人で十里、三千六百人で百里を進めます。各人は米四斗を背負い、二重の布袋に入れて印で封をし、人は肩を休めず、米は地に着けず、列を作って進み、一日に五百回往復します。路程は二十八里で、空荷で十四里、荷を負って十四里進み、一日に米二百石を運べて、一回の運搬で二万人を養えます。これが百里を一日で運ぶ糧の数です」。〔馮夢龍の注〕かつて長陵(永楽帝)が北征した時、侍郎の師逵に兵糧の監督を命じた。師逵は道が険しいので車で運ぶことを選んだが、民は疲れ食糧も乏しかったため、平坦な土地を選んで里程を均等に分け、駅の砦を置いた。一人が米一石を運び、ここで送って次で受け継ぎ、朝に出て夕方に戻るようにした。民は苦しまず、食糧は足りた。これも董博霄の発想にならったものである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・滕文公章句上神農の言を為す者許行有り。楚より滕に之き、門に踵りて文公に告げて曰く、「遠方の人、君の仁政を行ふを聞く。願はくは一廛を受けて氓と為らん。」文公之に処を与ふ。其の徒数十人、皆褐を衣、屨を捆ち、席を織りて以て食を為す。陳良の徒陳相と其の弟辛と、耒耜を負ひて宋より滕に之く。曰く、「君聖人の政を行ふと聞く。是れ亦た聖人なり。願はくは聖人の氓と為らん。」陳相許行を見て大いに悦び、尽く其の学を棄てて焉に学ぶ。陳相孟子に見え、許行の言を道ひて曰く、「滕君は則ち誠に賢君なり。然りと雖も、未だ道を聞かざるなり。賢者は民と并び耕して食ひ、饔飧して治む。今や滕に倉廩府庫有り、則ち是れ民を厲まして以て自ら養ふなり。悪くんぞ賢なるを得ん。」孟子曰く、「許子は必ず粟を種ゑて而る後に食ふか。」曰く、「然り。」「許子は必ず布を織りて而る後に衣るか。」曰く、「否。許子は褐を衣る。」「許子は冠するか。」曰く、「冠す。」曰く、「奚をか冠する。」曰く、「素を冠す。」曰く、「自ら之を織るか。」曰く、「否。粟を以て之に易ふ。」曰く、「許子奚為れぞ自ら織らざる。」曰く、「耕すに害あればなり。」曰く、「許子は釜甑を以て爨ぎ、鉄を以て耕すか。」曰く、「然り。」「自ら之を為るか。」曰く、「否。粟を以て之に易ふ。」「粟を以て械器に易ふる者は、陶冶を厲ますと為さず。陶冶も亦た其の械器を以て粟に易ふる者、豈に農夫を厲ますと為さんや。且つ許子何ぞ陶冶を為し、舎皆諸を其の宮中に取りて之を用ひざる。何為れぞ紛紛然として百工と交易する。何ぞ許子の煩はしきを憚らざる。」曰く、「百工の事は、固より耕し且つ為す可からざるなり。」「然らば則ち天下を治むるは独り耕し且つ為す可けんや。大人の事有り、小人の事有り。且つ一人の身にして、百工の為す所備はる。如し必ず自ら為りて而る後に之を用ひば、是れ天下を率ゐて路せしむるなり。故に曰く、或いは心を労し、或いは力を労す。心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治めらる。
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『墨子』尚賢中然らば則ち天の能を使いし所の者は誰ぞや。曰く、昔者の禹・稷・臯陶の若き是れなり。何を以て其の然るを知るや。先王の書、呂刑、之を道いて曰く、「皇帝、清く下民に問う。苗に辭有り、曰く、『羣后の逮ぶこと下に在り、明明として常を棐け、鰥寡も盖わるる無し。徳の威、維れ威、徳の明、維れ明なり』と。乃ち三后に命じて、功を民に恤えしむ。伯夷は典を降して、民を折くに維れ刑を以てす。禹は水土を平らげ、名山川を主る。稷は播種を降して、嘉榖を農殖す。三后、功を成し、維れ民に殷んなり」と。
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『墨子』耕柱治徒娛・縣子碩、子墨子に問いて曰く、「義を為すに孰れをか大務と為す」と。子墨子曰く、「譬えば牆を築くが若く然り。能く築く者は築き、能く壤を實つる者は壤を實て、能く掀ぐる者は掀げ、然る後に牆成る。義を為すも猶お是のごときなり。能く談辯する者は談辯し、能く書を説く者は書を説き、能く事に従う者は事に従い、然る後に義事成る」と。
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『学問のすゝめ』三編・一身独立して一国独立すること・権義あればしたがって職分ありもとより国の政をなす者は政府にて、その支配を受くる者は人民なれども、こはただ便利のために双方の持ち場を分かちたるのみ。一国全体の面目にかかわることに至りては、人民の職分として政府のみに国を預け置き、傍よりこれを見物するの理あらんや。すでに日本国の誰、英国の誰と、その姓名の肩書に国の名あれば、その国に住居し、起居眠食、自由自在なるの権義あり。すでにその権義あれば、またしたがってその職分なかるべからず。
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論語・子路篇樊遅、稼を学ばんことを請う。子曰く、「吾老農に如かず。」圃を為るを学ばんことを請う。曰く、「吾老圃に如かず。」樊遅出づ。子曰く、「小人なるかな、樊須や。上礼を好めば、則ち民敢えて敬せざること莫し。上義を好めば、則ち民敢えて服せざること莫し。上信を好めば、則ち民敢えて情を用いざること莫し。夫れ是くの如くんば、則ち四方の民、其の子を襁負して至らん。焉んぞ稼を用いん。」
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