智囊 / 經務・陳霽岩
北方州縣,唯審均傜為治之大端。三年一審,合一州八十八里之民,集庭而校勘之,自極富至極貧,定為九則,賦役皆準此而派。區中首領,有里長、老人、書手,官唯據此三等人,三等人因得招權要賄。公蒞任,輪審均傜尚在一年後,乃取舊冊,查自上上至下上七則戶,照名里開填,分作二簿。每日上堂,輒以自隨,或放告,或聽斷,或理雜務,看有曉事且樸實者,出其不意,喚至案前,問是「何里人」,就摘里中大戶,問其「家道何如,比年間,何戶驟富,何戶漸消」,隨其所答,手注簿內,如此數次,參驗之,所答略同。又一日,點查農民,本州概有二百餘人。
新字:北方州県,唯審均傜為治之大端。三年一審,合一州八十八里之民,集庭而校勘之,自極富至極貧,定為九則,賦役皆準此而派。区中首領,有里長、老人、書手,官唯拠此三等人,三等人因得招権要賄。公莅任,輪審均傜尚在一年後,乃取旧冊,查自上上至下上七則戸,照名里開填,分作二簿。毎日上堂,輒以自随,或放告,或聴断,或理雑務,看有暁事且樸実者,出其不意,喚至案前,問是「何里人」,就摘里中大戸,問其「家道何如,比年間,何戸驟富,何戸漸消」,随其所答,手注簿内,如此数次,参験之,所答略同。又一日,点查農民,本州概有二百余人。
書き下し
北方の州県は、唯だ審均傜を治の大端と為す。三年に一たび審し、一州八十八里の民を合わせて庭に集めて之を校勘し、極富より極貧に至るまで定めて九則と為し、賦役は皆な此に準じて派す。区中の首領には、里長、老人、書手有り。官は唯だ此の三等の人に拠り、三等の人因りて権を招き賄を要むるを得。公、蒞任するに、輪審均傜は尚お一年の後に在り。乃ち旧冊を取り、上上より下上に至る七則の戸を査し、名里に照らして開填し、分かちて二簿と作す。毎日堂に上るに、輒ち以て自ら随い、或いは放告し、或いは聴断し、或いは雑務を理む。曉事にして且つ樸実なる者有るを看れば、其の不意に出でて、喚びて案前に至らしめ、問う、「何れの里の人ぞ」と。就きて里中の大戸を摘みて、問う、「家道何如、比年の間、何れの戸か驟かに富み、何れの戸か漸く消するか」と。其の答うる所に随いて、手ずから簿内に注す。此の如きこと数次、之を参験するに、答うる所略ぼ同じ。又一日、農民を点査す。本州の概ね二百余人有り。
現代語訳
北方の州県では、ただ「審均徭」(役の割り当ての見直し)が政治の大きな柱であった。三年に一度、一州八十八里の民を庭に集めて調べ、極めて富む者から極めて貧しい者まで九等に定め、税と役はすべてこれに従って割り当てた。地区の頭には、里長、老人、書記がいた。官はただこの三種類の人に頼り、三種類の人はそのために権力を振るい賄賂を要求できた。公は着任したが、次の審査はなお一年先であった。そこで古い名簿を取り、最上位から下の上までの七等の戸を調べ、名前と里に照らして記入し、二冊の帳簿に分けた。毎日役所に出るたびに、これを自分の傍らに置き、訴えを受け付け、裁判をし、雑務を処理する間にも、事情に通じて素朴な人を見かけると、不意にその人を呼んで机の前に来させ、尋ねた。「どの里の者か」。そしてその里の大戸を挙げて、「暮らし向きはどうか、近年はどの戸が急に富み、どの戸が次第に衰えたか」と聞いた。答えるところに従って、手ずから帳簿に書き込んだ。こうして数回繰り返して照合すると、答えはほぼ同じだった。また別の日、農民を点検した。州にはおよそ二百人あまりいた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『大和俗訓』巻之五・言語一人をほめ毀ること、つつしんで過不及なかるべし。人の小悪を大悪に言ひなし、小過を大過に言ひなし、虚なることを実に言ひなすは、讒言なり。又左程なきことを、甚しく人をほめ過すも、正直の道にあらず。へつらひて其人に私するなり。誉めそしること、かるがるしくすべからず。たとへば権量を以て、物の軽重をはかるが如くなるべし。一毫もかろくし重くして、過不及あるべからず。誉むべからざる人をほめ、毀るべからざる人をそしり、或はほめ過し、そしり過すは、ともに不智なり。論語に子貢曰、君子は一言以て智とし、一言以て不智とす。言慎まずんばあるべからずといへり。よき人は、許可をつつしむとて、人をみだりにゆるしほめず。されども、小善をもすてず、一芸をも用ふるは、君子のする所なり。
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『臣軌』卷上 公正章賢臣は六正の道に処り、六邪の術を行わず。故に上安くして下理まり、生きては則ち楽しまれ、死しては則ち思わる。此れ人臣の術なり。
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『春秋左氏伝』宣公十六年 民の多幸は国の不幸十六年春、晉の士會師を帥ゐて赤狄の甲氏及び留吁・鐸辰を滅ぼす。三月、狄の俘を獻ず。晉侯王に請ひ、戊申、黻冕を以て士會に命じて中軍に將とし、且つ大傅と為す。是に於て晉國の盜、逃れて秦に奔る。羊舌職曰く、「吾之を聞く、禹善人を稱げて、不善人遠ざかると。此の謂なり。夫れ詩に曰く、『戰戰兢兢として、深淵に臨むが如く、薄冰を履むが如し』と。善人上に在るなり。善人上に在れば、則ち國に幸民無し。諺に曰く、『民の幸多きは、國の不幸なり』と。是れ善人無きの謂なり」と。夏、成周の宣榭火あり、人之に火するなり。凡そ火は、人火を火と曰ひ、天火を災と曰ふ。秋、郯の伯姬來り歸る、出されたるなり。毛・召の難の故の為に、王室復た亂る。王孫蘇晉に奔る、晉人之を復す。冬、晉侯士會をして王室を平がしむ。定王之を享し、原襄公禮を相く。殽烝す。武子私かに其の故を問ふ。王之を聞き、武子を召して曰く、「季氏、而聞かざるか。王の享には體薦有り、宴には折俎有り。公は享に當り、卿は宴に當る、王室の禮なり」と。武子歸りて典禮を講求し、以て晉國の法を脩む。
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説苑・說叢命を知る者は天を怨みず、己を知る者は人を怨みず。人にして愛せざれば則ち仁なる能わず、佞にして巧ならざれば則ち信なる能わず。善を言うに身に及ぶ毋かれ、惡を言うに人に及ぶ毋かれ。上清くして欲無ければ、則ち下正しくして民樸なり。來事は追うべきなり、往事は及ぶべからず。思慮の心無ければ則ち達せず、談說の辭無ければ則ち樂しからず。
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