智囊 / 經務・李悝
李悝謂文侯曰:「善平糴者,必謹觀歲:有上、中、下熟。上熟其收自四,餘四百石;中熟自三,餘三百石;下熟自一,餘百石。小飢則收百石,中飢七十石,大飢三十石。故上熟,則上糴三而舍一;中熟,則糴二;下熟,則糴一。使民適足,價平則止。小飢則發小熟之所斂,中飢則發中熟之所斂,大飢則發大熟之所斂而糴。故雖遭飢饉水旱,糴不貴而民不散,取有餘而補不足也。」行之魏國,國以富強。〔馮述評〕此為常平義倉之祖,後世腐儒乃以盡地力罪悝。夫不盡地力,而盡民力乎?無怪乎諱富強,而實亦不能富強也。
新字:李悝謂文侯曰:「善平糴者,必謹観歳:有上、中、下熟。上熟其収自四,余四百石;中熟自三,余三百石;下熟自一,余百石。小飢則収百石,中飢七十石,大飢三十石。故上熟,則上糴三而舎一;中熟,則糴二;下熟,則糴一。使民適足,価平則止。小飢則発小熟之所斂,中飢則発中熟之所斂,大飢則発大熟之所斂而糴。故雖遭飢饉水旱,糴不貴而民不散,取有余而補不足也。」行之魏国,国以富強。〔馮述評〕此為常平義倉之祖,後世腐儒乃以尽地力罪悝。夫不尽地力,而尽民力乎?無怪乎諱富強,而実亦不能富強也。
書き下し
李悝、文侯に謂いて曰く、「善く糴を平らかにする者は、必ず謹みて歳を観る。上、中、下の熟有り。上熟は其の収自ら四、余り四百石。中熟は自ら三、余り三百石。下熟は自ら一、余り百石。小飢は則ち百石を収め、中飢は七十石、大飢は三十石。故に上熟は則ち上糴は三にして一を舎く。中熟は則ち糴は二。下熟は則ち糴は一。民をして適足せしめ、価平らかなれば則ち止む。小飢は則ち小熟の斂むる所を発し、中飢は則ち中熟の斂むる所を発し、大飢は則ち大熟の斂むる所を発して糴す。故に飢饉水旱に遭うと雖も、糴は貴からずして民は散ぜず、有余を取りて不足を補うなり」と。之を魏国に行い、国は以て富強なり。〔馮述評〕此れ常平義倉の祖為り。後世の腐儒は乃ち地力を尽くすを以て悝を罪す。夫れ地力を尽くさずして、民力を尽くすか。富強を諱みて、実に亦た富強なること能わざるも怪しむ無きなり。
現代語訳
李悝は文侯に言った。「穀物の買い入れを適正に行う者は、必ず慎重に年の豊凶を見ます。上、中、下の三段階の豊作があります。上の豊作は収穫が四倍で、余りが四百石。中の豊作は三倍で、余りが三百石。下の豊作は一倍で、余りが百石です。小さな飢饉は百石の収穫、中の飢饉は七十石、大飢饉は三十石です。だから上の豊作の年には、買い入れは三分の一を残して三を買い、中の豊作の年には二を買い、下の豊作の年には一を買います。民が十分に足りる状態にし、価格が安定すれば止めます。小さな飢饉の時には小豊作の年に買い入れたものを放出し、中の飢饉には中豊作の年の貯えを、大飢饉には大豊作の年の貯えを放出して売ります。こうすれば、飢饉や水害、日照りに遭っても、穀物の値は高騰せず民は離散しません。余りのある所から取って、不足を補うのです」。これを魏の国で実行し、国は富み強くなった。〔馮述評〕これが後世の常平倉や義倉のはじまりである。後の頭の固い学者は、地力を尽くしたと言って李悝を非難した。地力を尽くさないで、民の力を尽くすのか。富強を避けて、実際には富強になれないのも当然である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『管子』國蓄歳適たま美なれば、則ち市の糶に予うる無くして、狗彘人の食を食らう。歳適たま凶なれば、則ち市の糴は釜に十繦にして道に餓民有り。然らば則ち豈に壤力固より足らずして、食固より贍らざらんや。夫れ往歳の糶賤しく、狗彘人の食を食らう、故に來歳の民足らざるなり。物適たま賤しければ、則ち力を半ばにして予うる無く、民の事は其の本を償わず。物適たま貴ければ、則ち什倍して得べからず、民は其の用を失う。然らば則ち豈に財物固より寡なくして、本委固より足らざらんや。夫れ民の利の時失われて物の利の平らかならざればなり。故に善き者は民の足らざる所に委施し、民の餘り有る所に事を操る。夫れ民は餘り有れば則ち之を輕んず、故に人君は之を斂むるに輕を以てす。民は足らざれば則ち之を重んず、故に人君は之を散ずるに重を以てす。之を斂め積むに輕を以てし、之を散じ行うに重を以てす、故に君は必ず什倍の利有りて、財の櫎は得て平らかなるべきなり。
-
『君子訓』巻之下一漢の宣帝、諸国に倉を建て、米やすき時は価を增して高く買ひて入れ置き、米貴き時には価を減じて賤く売る。名づけて常平倉といふ。夫米甚やすければ、士農の為あしく、甚貴ければ工商くるしむ。貴きと賤きとは其害同じ。此ゆゑに、常平倉の法を行へば、此害なくして四民ともに困窮に至らず。我が邦にも、古は是に効ひて常平倉あり。義倉あり。義倉は水旱等の災ある時、飢民を救はんために設く。これ良法なり。但し此法、上に財乏しくては行はれず。
-
『新論』守禦常平の倉・平準の署の如き、其の斟酌して以て今に行ふべき者有らば、以て其の制を講ぜざるべからざるなり。軽重其の権を得、米価其の平を得、姦商猾賈をして利柄を専操すること無く、販夫販婦をして独り其の業を失ふこと無からしめ、善く利を導きて之を上下に布かば、則ち邦君以て士民に及ぶまで、其の穀多く蔵すべくして、経費も亦以て給すべし。士民倶に富めば、則ち商賈も亦随ひて其の利を受け、糶糴制有りて、上下倶に便なり。利を導く所以の者周ければなり。官府及び民間の取予貿易する所、多く米穀を用ゐて、金帛と相参ふれば、則ち米穀人間に流通して、一方に腐陳せざるなり。義社の倉に本づき、因りて以て陳を取り農に食はしむるの制と為さば、則ち細民乏しからずして、其の穀新旧相換ふべきなり。
-
『智囊』經務・朱熹「今の撫按の第一の美政にして急ぎ当に挙行すべき者有り。要は各項の下の贓罰銀を、各府県を督令して尽数糴穀せしむるにあり。其の罪犯の徒流以下に有るは、其の穀を以て罪を贖うを許す。大率として上県は毎年穀一万を要し、下県は五千。両直隷の巡撫の下に県凡そ百有らば、則ち是れ毎年穀七十余万有りて、積むこと三年にして、即ち二百余万有らん。若し一県の水旱の災に遇わば、則ち災無き県分に於いて通融借貸するを聴し、来年の豊熟を俟ちて補い還さしむ。則ち東南の百姓は流亡を免るべく、而して朝廷は財賦の地に於いて永く南顧の憂い無からん。善政の大なる、此れより過ぎたるは無し」と。
-
『長短経』政体涸れざるの倉に積むは、五穀を務むるなり。〔晁錯、漢の文帝に説きて曰く「今、土地人民は古に減ぜず、堯・湯の水旱無し。而して蓄積の古に及ばざるは何ぞや。地に遺利有り、人に余力有り。穀を生ずるの土は未だ尽く墾闢せず、山沢の利は未だ尽く出でず、遊食の人は未だ尽く農に帰せざればなり。当今の務めは、粟を貴ぶに在り。粟を貴ぶの道は、人をして粟を以て賞罰と為さしむるに在り。今、天下の人を募りて粟を塞下に入れしめ、以て爵を拝するを得、以て罪を除くを得。此くの如くなれば、則ち富人に爵有り、農人に銭有り、粟に余る所有りて、国用饒足せん。三歳に過ぎずして塞下の粟は必ず多からん」と。
-
『管子』山至數桓公曰く、「何をか民に藏すと謂う」と。「請う棧臺の錢を散じて諸を城陽に散じ、鹿臺の布を散じて諸を濟隂に散ぜよ。君百姓に令を下して曰く、『民富めば、君は與に貧しきこと無し。民貧しければ、君は與に富むこと無し。故に賦に錢布無く、府に藏財無く、貲は民に藏す』と。歳豐かにして、五榖登り、五榖大いに輕く、榖の賈は上歳の分を去る。幣を以て之に據れば、榖を君と為し、幣を下と為す。國幣盡く下に在れば、幣輕く榖重し。上は上歳の二分を分かちて下に在らしめ、下歳の二分は上に在り、則ち二歳の者は四分上に在り。則ち國榖の一分は下に在り、榖は三倍重し。邦布の籍は、歳を終うるに十錢。人家食を受くるに、十畆にして十を加う、是れ一家にして十户なり。國榖の筴より出でて幣に藏する者なり。國幣の分を以て、復た百姓に布く。四もて減じて國榖の三は上に在り、一は下に在り。復筴なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る