智囊 / 經務・劉晏
先是運關東谷入長安者,以河流湍悍,率一斛得八斗,至者則為成勞,受優賞。晏以為江、汴、河、渭,水力不同,各隨便宜造運船,江船達揚州,汴船達河陰,河船達渭口,渭船達太倉,其間緣水置倉,轉相受給。自是每歲運至百餘萬斛,無升斗沉覆者。又州縣初取富人督漕車免,謂之「船頭」;主郵遞,謂之「捉驛」;稅外橫取,謂之「白著」。人不堪命,皆去為盜。晏始以官主船漕,而吏主驛事,罷無名之斂,民困以蘇,戶口繁息。〔馮述評〕晏常言:「戶口滋多,則賦稅自廣。」故其理財常以養民為先,可謂知本之論,其去桑,孔遠矣!王荊公但知理財,而實無術以理之;亦自附養民,而反多方以害之。故上不能為劉晏,而下且不逮桑、孔。晏專用榷鹽法充軍國之用,以為官多則民擾,故但於出鹽之鄉置鹽官,取鹽戶所煮之鹽,轉鬻於商人,任其所之,自餘州縣不復置鹽官。其江嶺間去鹽鄉遠者,轉官鹽於彼貯之;或商絕鹽貴,則減價鬻之,謂之「常平鹽」。官獲其利,而民不困弊。〔馮述評〕常平鹽之法所以善者,代商之匱,主於便民故也。若今日行之,必且與商爭鬻矣。
新字:先是運関東谷入長安者,以河流湍悍,率一斛得八斗,至者則為成労,受優賞。晏以為江、汴、河、渭,水力不同,各随便宜造運船,江船達揚州,汴船達河陰,河船達渭口,渭船達太倉,其間縁水置倉,転相受給。自是毎歳運至百余万斛,無升斗沈覆者。又州県初取富人督漕車免,謂之「船頭」;主郵逓,謂之「捉駅」;税外横取,謂之「白著」。人不堪命,皆去為盗。晏始以官主船漕,而吏主駅事,罷無名之斂,民困以蘇,戸口繁息。〔馮述評〕晏常言:「戸口滋多,則賦税自広。」故其理財常以養民為先,可謂知本之論,其去桑,孔遠矣!王荊公但知理財,而実無術以理之;亦自附養民,而反多方以害之。故上不能為劉晏,而下且不逮桑、孔。晏専用榷塩法充軍国之用,以為官多則民擾,故但於出塩之郷置塩官,取塩戸所煮之塩,転鬻於商人,任其所之,自余州県不復置塩官。其江嶺間去塩郷遠者,転官塩於彼貯之;或商絶塩貴,則減価鬻之,謂之「常平塩」。官獲其利,而民不困弊。〔馮述評〕常平塩之法所以善者,代商之匱,主於便民故也。若今日行之,必且与商争鬻矣。
書き下し
先に関東の谷を運びて長安に入るる者は、河流の湍悍なるを以て、率ね一斛にして八斗を得、至る者は則ち成労と為して優賞を受く。晏以為えらく、江、汴、河、渭は水力同じからず、各おの便宜に随いて運船を造り、江船は揚州に達し、汴船は河陰に達し、河船は渭口に達し、渭船は太倉に達し、其の間水に縁りて倉を置き、転相い受給せしむと。是より毎歳運び至ること百余万斛、升斗の沈覆する者無し。又州県は初め富人を取りて漕車を督して免ず、之を船頭と謂う。郵逓を主るを、之を捉駅と謂う。税外に横取するを、之を白著と謂う。人は命に堪えず、皆な去りて盗と為る。晏始めて官を以て船漕を主らしめ、吏を以て駅事を主らしめ、無名の斂を罷め、民の困しみ以て蘇り、戸口繁息す。〔馮述評〕晏は常に言う、「戸口滋多ければ、則ち賦税自ずから広し」と。故に其の財を理むるや常に民を養うを以て先と為す。本を知るの論と謂うべし。其の桑、孔を去ること遠し。王荊公は但だ財を理むるを知るのみにして、実に之を理むる術無し。亦た自ら養民に附するも、反って多方以て之を害す。故に上は劉晏と為る能わず、下は且つ桑、孔にも逮ばず。晏は専ら榷塩の法を用いて軍国の用に充て、官多ければ則ち民擾るるを以て、故に但だ塩を出だす郷に塩官を置き、塩戸の煮る所の塩を取りて、転じて商人に鬻ぎ、其の之く所に任せ、自余の州県には復た塩官を置かず。其の江嶺の間の塩郷より遠き者は、官塩を転じて彼に貯え、或いは商絶えて塩貴ければ、則ち価を減じて之を鬻ぐ。之を常平塩と謂う。官は其の利を獲、民は困弊せず。〔馮述評〕常平塩の法の善き所以は、商の匱を代わり、主として民を便にするが故なり。若し今日之を行わば、必ず且つ商と争いて鬻がん。
現代語訳
それまで関東の穀物を長安に運ぶ場合、黄河の流れが激しいため、おおむね一斛につき八斗しか届かず、到着した者は功労ありとして手厚い褒賞を受けた。晏は、長江、汴水、黄河、渭水は水勢がそれぞれ異なると考え、各々に合った運搬船を造らせ、長江の船は揚州まで、汴水の船は河陰まで、黄河の船は渭口まで、渭水の船は太倉までとし、その間の水路沿いに倉を置いて、順に受け渡させた。これ以後、毎年百万斛あまりが運ばれ、一升一斗も沈んだり覆ったりすることがなくなった。また州県では当初、富裕な者に運搬の督促をさせて免税とし、これを「船頭」と呼んだ。宿駅の運営を任せるのを「捉駅」と呼んだ。税のほかに無理に取るのを「白著」と呼んだ。民は耐えられず、皆逃げ出して盗賊になった。晏は初めて官が船運を担当し、役人が宿駅の業務を担当するようにして、名目のない徴収をやめ、民の苦しみは癒え、戸数と人口は増えた。〔馮述評〕晏はいつも「戸数が増えれば、税収は自然に広がる」と言った。だから財政を整えるのに、常に民を養うことを優先した。根本を知る議論と言える。桑弘羊や孔僅とは遠く隔たっている。王安石は財政を整えることを知っていただけで、実際にそれを整える方法がなかった。民を養うことに結びつけようとしても、かえって様々な方法で害した。だから上は劉晏のようになれず、下は桑弘羊や孔僅にも及ばなかった。晏は専売の塩の法で軍と国の費用を賄い、役人が多いと民が煩わされるとして、塩の産地にだけ塩官を置き、塩戸が煮た塩を買い取って商人に転売し、行き先は商人に任せ、他の州県には塩官を置かなかった。長江や嶺南の間で産地から遠い地域には官塩を運んで貯えておき、商人が途絶えて塩が高くなれば、値を下げて売った。これを常平塩という。官は利益を得て、民は苦しまなかった。〔馮述評〕常平塩の法が優れている理由は、商人の不足を補い、民の便宜を第一にしたからである。もし今日これを行えば、必ず商人と争って売ることになろう。
解説
この章句が説くこと
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