史記 / 管晏列伝
管仲富擬於公室、有三歸、反坫、齊人不以為侈。管仲卒、齊國遵其政、常彊於諸侯。後百餘年而有晏子焉。
新字:管仲富擬於公室、有三帰、反坫、斉人不以為侈。管仲卒、斉国遵其政、常彊於諸侯。後百余年而有晏子焉。
書き下し
管仲の富、公室に擬し、三帰・反坫有るも、斉人以て侈と為さず。管仲卒す。斉国、其の政に遵ひ、常に諸侯より彊し。後百余年にして晏子有り。
現代語訳
管仲の富は君主の家に匹敵し、三帰(三邸の夫人)や反坫(諸侯だけが持てる酒器の台)まで備えていたが、斉の人々はそれを贅沢だとは見なさなかった。管仲が世を去った後も、斉は彼の定めた政治のやり方を守り続け、いつも諸侯の中で最も強かった。それから百年あまり後に、晏子が現れた。
解説
分不相応にも見える管仲の富を、斉の人々が咎めなかったのはなぜか――彼が国に絶大な成果をもたらし、その処遇に見合う貢献をしたと万人が認めていたからです。ここには、報酬や待遇の正当性は「額の大小」ではなく「貢献との釣り合い」と「周囲の納得」で決まる、という組織論があります。さらに重要なのは、管仲の死後も斉が彼の「仕組み」を守って強国であり続けた点です。優れたリーダーの真価は、在任中の成果以上に、自分がいなくなっても回り続ける制度・政策を遺したかにあります。個人の力量に依存する組織ではなく、仕組みとして残す。これこそ持続的に強い組織の条件であり、次代(晏子)への橋渡しにもなっています。
この章句が説くこと
仕組み化属人化からの脱却持続性貢献と報酬後世に残す制度
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