智囊 / 剖疑・王曾・張詠
真宗時,西京訛言有物如席帽,夜飛入人家,又變為犬狼狀,能傷人,民間恐懼。每夕重閉深處,操兵自衛。至是京師民訛言帽妖至,達旦叫噪。詔立賞格,募告為嬌者。知應天府王曾令夜開里門,有倡言者即捕之,妖亦不興。張詠知成都,民間訛言有白頭老翁過,食男女。詠召其屬,使訪市肆中,有大言其事者,但立證解來。明日得一人,命戮於市,即日帖然。詠曰:「訛言之興,沴氣乘之。妖則有形,訛則有聲。止訛之術,在乎明決,不在厭勝也。」〔馮述評〕隆慶中,吳中以狐精相駭,怪幻不一,亦多病癘。居民鳴鑼守夜,偶見一貓一鳥,無不狂叫。有道人自稱能收狐精,鬻符懸之,有驗。太守命擒此道人,鞫之,即以妖法剪紙為狐精者。斃諸杖下,而妖頓止。此即祖王曾,張詠之智。
新字:真宗時,西京訛言有物如席帽,夜飛入人家,又変為犬狼状,能傷人,民間恐懼。毎夕重閉深処,操兵自衛。至是京師民訛言帽妖至,達旦叫噪。詔立賞格,募告為嬌者。知応天府王曽令夜開里門,有倡言者即捕之,妖亦不興。張詠知成都,民間訛言有白頭老翁過,食男女。詠召其属,使訪市肆中,有大言其事者,但立証解来。明日得一人,命戮於市,即日帖然。詠曰:「訛言之興,沴気乗之。妖則有形,訛則有声。止訛之術,在乎明決,不在厭勝也。」〔馮述評〕隆慶中,呉中以狐精相駭,怪幻不一,亦多病癘。居民鳴鑼守夜,偶見一貓一鳥,無不狂叫。有道人自称能収狐精,鬻符懸之,有験。太守命擒此道人,鞫之,即以妖法剪紙為狐精者。斃諸杖下,而妖頓止。此即祖王曽,張詠之智。
書き下し
真宗の時、西京に訛言あり、物の席帽の如きもの有り、夜飛びて人家に入り、また変じて犬狼の状と為り、能く人を傷つくと。民間恐懼し、夕べごとに深き処を重ねて閉ざし、兵を操りて自ら衛る。是に至りて京師の民、帽妖至ると訛言し、旦に達するまで叫び噪ぐ。詔して賞格を立て、嬌を為す者を告ぐるを募る。応天府を知する王曾、夜に里門を開かしめ、倡言する者有らば即ち之を捕らえしむれば、妖も亦た興らず。張詠、成都を知するに、民間に訛言あり、白頭の老翁の過ぎる有り、男女を食らうと。詠、其の属を召し、市肆の中を訪ねしめ、大いに其の事を言う者有らば、但だ証を立てて解き来たれと。明日一人を得、命じて市に戮せしめ、即日帖然たり。詠曰く、「訛言の興るは、沴気之に乗ずるなり。妖は則ち形有り、訛は則ち声有り。訛を止むるの術は、明決に在り、厭勝に在らざるなり」と。〔馮述評〕隆慶中、呉中に狐精を以て相駭かし、怪幻一ならず、亦た病癘多し。居民は鑼を鳴らして夜を守り、偶たま一猫一鳥を見れば、狂叫せざる無し。道人有り、自ら能く狐精を収むと称し、符を鬻ぎて之を懸けしむれば、験有り。太守命じて此の道人を擒えしめ、之を鞫すれば、即ち妖法を以て紙を剪りて狐精を為りし者なり。諸を杖下に斃して、妖頓に止む。此れ即ち王曾、張詠の智を祖とするなり。
現代語訳
真宗の時代、西京でこんなうわさが流れた。席帽のような物体が夜に飛んで人家に入り、さらに犬や狼の姿に変わって人を傷つけるという。民は恐れ、毎晩奥まった所を厳重に閉ざし、武器を持って身を守った。やがて都でも帽子の妖怪が来たとのうわさが立ち、夜明けまで人々が叫び騒いだ。朝廷は懸賞を定め、いたずらをする者を告発する者を募った。応天府の長官王曾は、夜に町の門を開けさせ、うわさを言い立てる者がいればすぐ捕らえるよう命じた。すると妖怪騒ぎも起こらなくなった。張詠が成都を治めていた時、白髪の老人が通りがかりに男女を食うといううわさが広まった。張詠は部下を集め、市場を探らせて、このことを大げさに言う者がいれば証拠を立てて連れて来いと言った。翌日一人を捕らえ、市で処刑させると、その日のうちに静まった。張詠は言った。「うわさが起こるのは、よどんだ悪い気がそれに乗じるからだ。妖怪には形があるが、うわさには声があるだけだ。うわさを止める方法は、はっきりと決断することにあり、まじないで抑えることにはない」。〔馮述評〕隆慶年間、呉の地方で狐の化け物のうわさが人々を脅かし、怪しい話が次々に出て、病人も多かった。住民は銅鑼を鳴らして夜通し見張り、たまたま猫や鳥を見かけただけで狂ったように叫んだ。ある道士が、自分は狐の化け物を収められると称して護符を売り、これを掛けさせると効き目があった。長官が命じてこの道士を捕らえ、取り調べると、まさに妖術で紙を切って狐の化け物を作っていた者だった。杖で打ち殺すと、妖怪騒ぎはぴたりと止んだ。これこそ王曾や張詠の智恵に学んだものである。
解説
この章句が説くこと
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