智囊 / 剖疑・黃震
既徵僧夢,乃集同侶舍材構宇於思靈寺,寺僧足尋愈。於是楊山太尉香火盡遷於周殿,遠近奔走如騖。太守周公欲止巫風,於太尉生辰日封錮其門,不許禮拜,而並封周宣靈王殿。逾月始開,則周廟絕無肸饗,而太尉之香火如故矣。夫宣靈之靈也,能加毒於老僧,而不能行報於女子之父;能見夢於徽商,而不能違令於郡守之封,且也能驟奪一時之香火,而終不能中分久後之人心,豈神之盛衰亦有數邪?抑靈鬼憑之,不勝陽官而去乎?因附此為隨俗媚神者之戒。
新字:既徴僧夢,乃集同侶舎材構宇於思霊寺,寺僧足尋愈。於是楊山太尉香火尽遷於周殿,遠近奔走如騖。太守周公欲止巫風,於太尉生辰日封錮其門,不許礼拝,而並封周宣霊王殿。逾月始開,則周廟絶無肸饗,而太尉之香火如故矣。夫宣霊之霊也,能加毒於老僧,而不能行報於女子之父;能見夢於徽商,而不能違令於郡守之封,且也能驟奪一時之香火,而終不能中分久後之人心,豈神之盛衰亦有数邪?抑霊鬼憑之,不勝陽官而去乎?因附此為随俗媚神者之戒。
書き下し
既に僧の夢を徴し、乃ち同侶を集め、材を舎てて宇を思霊寺に構う。寺僧の足、尋いで愈ゆ。是に於いて楊山太尉の香火、尽く周殿に遷り、遠近奔走して騖するが如し。太守周公、巫風を止めんと欲し、太尉の生辰の日に其の門を封錮し、礼拝を許さず、而して並びに周宣霊王の殿を封ず。月を逾えて始めて開けば、則ち周廟は絶えて肸饗無く、而して太尉の香火は故の如し。夫れ宣霊の霊なるや、能く毒を老僧に加うるも、報いを女子の父に行う能わず。能く夢を徽商に見すも、令を郡守の封に違う能わず。且つ能く驟かに一時の香火を奪うも、終に久後の人心を中分する能わず。豈に神の盛衰も亦た数有るか。抑そも霊鬼の憑るや、陽官に勝たずして去るか。因りて此れを附して、俗に随いて神に媚ぶる者の戒めと為す。
現代語訳
老僧の夢の知らせを確かめた後、仲間を集め、資材を寄付して思霊寺に殿を建てた。寺の僧の足は、まもなく治った。そこで楊山太尉の線香の火はすべて周殿に移り、遠近から人々が競って駆けつけた。太守の周公は巫の風習を止めようとして、太尉の誕生日に、その廟の門を封鎖して礼拝を許さず、同時に周宣霊王の殿も封じた。一か月を過ぎて開くと、周の廟には供物を受ける気配がまったくなく、太尉の線香の火は元のままであった。そもそも宣霊王の霊験は、老僧に毒を加えることはできても、女の父に報復することはできなかった。徽州の商人に夢を見せることはできても、郡守の封鎖の命令に逆らうことはできなかった。しばらくの間の線香の火を急に奪うことはできても、結局は長い年月の人心を二分することはできなかった。神の盛衰にも運数があるのだろうか。あるいは霊鬼が取り憑いても、現世の官に勝てずに去ったのだろうか。ここにこれを附して、世の風潮に従って神にこびる者への戒めとする。
解説
この章句が説くこと
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史記 高祖本紀且つ吾の軍を霸上に還す所以は、諸侯の至るを待ちて約束を定めんのみ。」と。乃ち人をして秦の吏と県郷邑を行かしめ、之に告諭す。秦人大いに喜び、争ひて牛羊酒食を持ちて軍士に献饗す。沛公又譲りて受けず、曰く、「倉粟多し、乏しきに非ず、人に費さしむるを欲せず。」と。人又益々喜び、唯だ沛公の秦王と為らざらんことを恐る。
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『洗心洞箚記』卷下・第七十九條或ひと梁恵王曰く寡人の国に於けるやの章の義を問ふ。曰く、恵王の尽心と、後章の其の心を尽くす者は其の性を知るなりの尽心とは、字同じくして旨異なり。如し先づ之を弁ぜずして、一章の義を解すれば、則ち無数の言語を費して、天理人欲、終に分暁なること能はざるなり。夫れ恵王の尽心は、即ち人心を尽くす者なり。人心は、便ち是れ人欲にして不仁なり。恵王の戦を好むの心は、乃ち人欲の中尤も不仁なる者なり。人欲の中尤も不仁なるの心を尽くして、飢民を転遷し以て其の多少を計較す。要するに一身を肥やして独楽を極めんと欲する者なり。盗賊の心と奚を以て異ならんや。是の故に終に其の民を糜爛し子弟を駆りて以て之に殉ぜしむ。是れ皆自ら人心を尽くす上より来る。然らば則ち人心を尽くすは、断絶せざるべからざるなり。
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