智囊 / 剖疑・錢元懿・蘇東坡
錢元懿牧新定,一日里閭間輒數起火,居民頗憂恐。有巫楊媼因之遂興妖言,曰:「某所復當火。」皆如其言,民由是競禱之。元懿謂左右曰:「火如巫言,巫為火也。宜殺之。」乃斬媼於市,自此火遂息。蘇東坡知揚州,一夕夢在山林間,見一虎來噬,公方驚怖,一紫袍黃冠以袖障公,叱虎使去。及旦,有道士投謁曰:「昨夜不驚畏否?」公叱曰:「鼠子乃敢爾?本欲杖汝脊,吾豈不知汝夜來術邪?」道士駭惶而走。
新字:銭元懿牧新定,一日里閭間輒数起火,居民頗憂恐。有巫楊媼因之遂興妖言,曰:「某所復当火。」皆如其言,民由是競祷之。元懿謂左右曰:「火如巫言,巫為火也。宜殺之。」乃斬媼於市,自此火遂息。蘇東坡知揚州,一夕夢在山林間,見一虎来噬,公方驚怖,一紫袍黄冠以袖障公,叱虎使去。及旦,有道士投謁曰:「昨夜不驚畏否?」公叱曰:「鼠子乃敢爾?本欲杖汝脊,吾豈不知汝夜来術邪?」道士駭惶而走。
書き下し
銭元懿、新定に牧たり。一日、里閭の間にて輒ち数ば火を起こし、居民頗る憂恐す。巫の楊媼なる有り、之に因りて遂に妖言を興し、曰く、「某所復た当に火あるべし」と。皆其の言の如し。民、是に由りて競いて之に祷る。元懿、左右に謂いて曰く、「火の巫の言の如きは、巫の火を為せばなり。宜しく之を殺すべし」と。乃ち媼を市に斬り、此より火遂に息む。蘇東坡、揚州を知するに、一夕夢に山林の間に在り、一虎の来たりて噬むを見る。公方に驚怖するに、一紫袍黄冠の以て袖もて公を障い、虎を叱して去らしむ。旦に及びて、道士の投謁する有り、曰く、「昨夜驚き畏れざりしや」と。公叱して曰く、「鼠子、乃ち敢えて爾るか。本より汝の脊を杖たんと欲す。吾豈に汝の夜来の術を知らざらんや」と。道士駭惶して走る。
現代語訳
銭元懿が新定の長官であった時、ある日、町内でたびたび火事が起こり、住民はひどく心配した。巫女の楊婆さんがこれに乗じて予言を言い触らし、「某所でまた火が出るだろう」と告げると、どれもその言葉どおりになった。民はそれで競って彼女に祈った。元懿は側近に言った。「火事が巫女の言うとおりになるのは、巫女が火をつけているからだ。殺すべきだ」。そこで婆さんを市で斬ると、それから火事はやんだ。蘇東坡が揚州を治めていた時、ある晩、山林の中にいる夢を見た。虎が来て噛みつこうとし、東坡が驚き恐れていると、紫の衣に黄色い冠の人が袖で東坡をかばい、虎を叱って去らせた。朝になると、一人の道士が面会に来て言った。「昨夜は驚き恐れられませんでしたか」。東坡は叱って言った。「鼠のような小者が、よくもこんなことを。本来なら背中を杖で打ってやるところだ。お前が夜にかけた術を、私が知らないとでも思うか」。道士はうろたえて逃げ去った。
解説
この章句が説くこと
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史記 南越列伝使者皆東郷し、太后南郷し、王北郷し、相嘉・大臣皆西郷し、侍坐して飲む。嘉の弟将為り、卒を将ゐて宮外に居る。酒行はれ、太后嘉に謂ひて曰く、「南越の内属は、国の利なり、而るに相君苦だ便ならずとする者は、何ぞや」と。以て使者を激怒せしめんとす。使者狐疑して相杖り、遂に敢て発する莫し。嘉耳目の是に非ざるを見て、即ち起ちて出づ。太后怒り、嘉を鏦くに矛を以てせんと欲す、王太后を止む。嘉遂に出で、其の弟の兵を分かちて舎に就き、病と称し、王及び使者に見ゆるを肯ぜず。乃ち陰に大臣と乱を作さんとす。王素より嘉を誅するに意無し、嘉之を知る、故を以て数月発せず。太后淫行有り、国人附かず、独り嘉等を誅せんと欲するも、力又能はず。天子嘉の王に聴かず、王・王太后弱孤にして制すること能はず、使者怯えて決無きを聞く。又以為へらく王・王太后已に漢に附く、独り呂嘉乱を為す、以て兵を興すに足らずと、荘参をして二千人を以て往きて使ひせしめんと欲す。参曰く、「好を以て往かば、数人にて足れり。武を以て往かば、二千人以て為す足る無し」と。辞して可かず、天子参を罷む。郟の壮士、故の済北の相韓千秋奮ひて曰く、「区区たる越を以て、又王・太后の応ずる有り、独り相呂嘉害を為す、願はくは勇士二百人を得て、必ず嘉を斬りて以て報ぜん」と。是に於て天子千秋と王太后の弟樛楽とを遣はし二千人を将ゐて往かしめ、越の境に入る。呂嘉等乃ち遂に反し、令を国中に下して曰く、「王年少し。太后は、中国の人なり、又使者と乱し、専ら内属を欲し、尽く先王の宝器を持して入りて天子に献じて以て自ら媚び、多く人を従へ、行きて長安に至り、虜売して以て僮僕と為さんとす。自ら一時の利を脱するを取り、趙氏の社稷を顧み、万世の為に慮計するの意無し」と。乃ち其の弟と卒を将ゐて王・太后及び漢の使者を攻め殺す。
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