智囊 / 剖疑・宋均・李德裕
光武時,宋均為九江太守。所屬濬遒縣有唐、後二山,民共祠之。諸巫初取民家男女以為公嫗,後沿為例,民家遂至相戒不敢娶嫁。均至,乃下教,自後凡為祠山娶者,皆娶巫家女,勿擾良民,未幾祠絕。寶曆中,亳州云出「聖水」,服之愈宿疾。自洛及江西數十郡人,爭施金往汲,獲利千萬,人轉相惑。李德裕在浙西,命於大市集人置釜,取其水,用豬肉五斤煮,云:「若聖水也,肉當如故。」須臾肉爛,自此人心稍定,妖亦尋敗。
新字:光武時,宋均為九江太守。所属濬遒県有唐、後二山,民共祠之。諸巫初取民家男女以為公嫗,後沿為例,民家遂至相戒不敢娶嫁。均至,乃下教,自後凡為祠山娶者,皆娶巫家女,勿擾良民,未幾祠絶。宝暦中,亳州云出「聖水」,服之愈宿疾。自洛及江西数十郡人,争施金往汲,獲利千万,人転相惑。李徳裕在浙西,命於大市集人置釜,取其水,用豬肉五斤煮,云:「若聖水也,肉当如故。」須臾肉爛,自此人心稍定,妖亦尋敗。
書き下し
光武の時、宋均、九江太守たり。属する所の濬遒県に唐、後の二山有り、民、共に之を祠る。諸巫、初め民家の男女を取りて以て公嫗と為し、後に沿いて例と為す。民家、遂に相戒めて敢えて娶嫁せざるに至る。均、至るや、乃ち教を下す。「自後、凡そ祠山の為に娶る者は、皆な巫家の女を娶れ。良民を擾すこと勿かれ」と。未だ幾ばくならずして祠、絶ゆ。宝暦中、亳州に「聖水」出ずると云い、之を服せば宿疾愈ゆ。洛より江西に自るまで数十郡の人、争いて金を施して往きて汲み、利を獲ること千万、人、転た相惑う。李徳裕、浙西に在り、大市に於いて人を集めて釜を置かしめ、其の水を取り、豚肉五斤を用いて煮て、云う、「若し聖水ならば、肉は当に故の如くなるべし」と。須臾にして肉、爛る。此れより人心稍や定まり、妖も亦た尋いで敗る。
現代語訳
光武帝の時代、宋均は九江太守であった。管轄する濬遒県に唐山と後山の二つの山があり、民は共にこれを祭っていた。巫たちは、はじめ民家の男女を取って山の神の夫婦とし、後にこれが慣例となった。民家は互いに戒め合って、嫁取りも嫁入りもしなくなるに至った。宋均は着任すると、命令を出した。「今後、山の祭りのために配偶者を娶る者は、すべて巫の家の娘を娶れ。良民を煩わせてはならない」。まもなく祭りは絶えた。宝暦年間、亳州に「聖水」が湧き、これを飲めば長年の病が治ると言われた。洛陽から江西まで数十郡の人々が、争って金を出して汲みに行き、得られた利益は千万に及び、人々はますます惑った。李徳裕は浙西にいて、大きな市場に人を集めて釜を置かせ、その水を取って、豚肉五斤を煮て言った。「もし聖水なら、肉は元のままのはずだ」。しばらくして肉は煮崩れた。これで人心は少し落ち着き、妖しい風も間もなく廃れた。
解説
この章句が説くこと
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