智囊 / 剖疑・寇準
楚王元佐,太宗長子也,因申救廷美不獲,遂感心疾,習為殘忍;左右微過,輒彎弓射之。帝屢誨不悛。重陽,帝宴諸王,元佐以病新起,不得預,中夜發憤,遂閉媵妾,縱火焚宮。帝怒,欲廢之。會寇準通判鄆州,得召見,太宗謂曰:「卿試與朕決一事,東宮所為不法,他日必為桀、紂之行,欲廢之,則宮中亦有甲兵,恐因而招亂。」准曰:「請某月日,令東宮於某處攝行禮,其左右侍從皆令從之,陛下搜其宮中,果有不法之事,俟還而示之;廢太子,一黃門力耳。」太宗從其策,及東宮出,得淫刑之器,有剜目,挑筋,摘舌等物,還而示之,東宮服罪,遂廢之。〔馮述評〕搜其宮中,如無不法之事,東宮之位如故矣。不然,亦使心服無冤耳。江充、李林甫,豈可共商此事?
新字:楚王元佐,太宗長子也,因申救廷美不獲,遂感心疾,習為残忍;左右微過,輒彎弓射之。帝屡誨不悛。重陽,帝宴諸王,元佐以病新起,不得預,中夜発憤,遂閉媵妾,縦火焚宮。帝怒,欲廃之。会寇準通判鄆州,得召見,太宗謂曰:「卿試与朕決一事,東宮所為不法,他日必為桀、紂之行,欲廃之,則宮中亦有甲兵,恐因而招乱。」准曰:「請某月日,令東宮於某処摂行礼,其左右侍従皆令従之,陛下捜其宮中,果有不法之事,俟還而示之;廃太子,一黄門力耳。」太宗従其策,及東宮出,得淫刑之器,有剜目,挑筋,摘舌等物,還而示之,東宮服罪,遂廃之。〔馮述評〕捜其宮中,如無不法之事,東宮之位如故矣。不然,亦使心服無冤耳。江充、李林甫,豈可共商此事?
書き下し
楚王元佐は、太宗の長子なり。廷美を申救して獲ざるに因りて、遂に心疾に感じ、習いて残忍と為り、左右の微過あれば、輒ち弓を彎きて之を射る。帝、屢ば誨えて悛めず。重陽に、帝、諸王に宴するに、元佐、病の新たに起くるを以て預かるを得ず。中夜に発憤して、遂に媵妾を閉じ、火を縦ちて宮を焚く。帝、怒り、之を廃せんと欲す。会たま寇準、鄆州に通判たり、召見するを得たり。太宗、謂いて曰く、「卿、試みに朕と一事を決せよ。東宮の所為、法に非ず。他日必ず桀、紂の行いを為さん。之を廃せんと欲すれば、則ち宮中にも亦た甲兵有り、恐らくは因りて乱を招かん」と。準曰く、「請う、某月日に、東宮をして某処に於いて礼を摂行せしめ、其の左右の侍従、皆な之に従わしめよ。陛下、其の宮中を捜し、果たして不法の事有らば、還るを俟ちて之に示さん。太子を廃するは、一黄門の力のみ」と。太宗、其の策に従う。東宮の出ずるに及び、淫刑の器を得たり。目を剜り、筋を挑し、舌を摘ぐ等の物有り。還りて之を示せば、東宮、罪に服し、遂に之を廃す。〔馮述評〕其の宮中を捜し、如し不法の事無くば、東宮の位は故の如きなり。然らずんば、亦た心服して冤無からしむるのみ。江充、李林甫、豈に共に此の事を商るべけんや。
現代語訳
楚王の元佐は、太宗の長子である。叔父の廷美を救おうと申し立てて果たせなかったことから、ついに心の病にかかり、次第に残忍になった。側近に少しでも過ちがあれば、すぐ弓を引いて射た。帝がしばしば戒めても改まらなかった。重陽の節句に、帝が諸王に宴を催した際、元佐は病が治ったばかりで出席できなかった。夜中に憤り、妻妾を閉じ込めて火を放ち、宮殿を焼いた。帝は怒って廃しようと考えた。そのとき寇準が鄆州の通判で、召されて拝謁した。太宗は言った。「卿よ、試みに朕と一つのことを決めてほしい。東宮のふるまいは法に外れている。いつか必ず桀、紂のような行いをするだろう。廃そうとすれば、東宮にも兵がおり、それによって乱を招くかもしれない」。寇準は言った。「某月某日に、東宮にある場所で儀礼を代行させ、その側近や侍従をみな従わせてください。陛下がその間に東宮の中を捜し、もし本当に不法の事があれば、帰ってきたところで示してください。太子を廃するのは、一人の宦官の力で足りるでしょう」。太宗はその策に従った。東宮が出かけたあと、残酷な刑具を見つけた。目をえぐり、筋を切り、舌を抜く道具などがあった。帰ったところで示すと、東宮は罪に服し、そのまま廃された。〔馮夢龍の評〕東宮の中を捜して、もし不法なことがなければ、東宮の地位は元のままである。そうでなくとも、本人を心服させ、冤罪を生まないことになる。江充や李林甫のような者と、この事を相談できるだろうか。
解説
この章句が説くこと
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