智囊 / 億中・常安民
呂惠卿出知大名府,監察御史常安民慮其復留,上言:「北都重鎮,而除惠卿。惠卿賦性深險,背王安石者,其事君可知。今將過闕,必言先帝而泣,感動陛下,希望留京矣。」帝納之。及惠卿至京師,請對,見帝果言先帝事而泣。帝正色不答,計卒不施而去。
新字:呂恵卿出知大名府,監察御史常安民慮其復留,上言:「北都重鎮,而除恵卿。恵卿賦性深険,背王安石者,其事君可知。今将過闕,必言先帝而泣,感動陛下,希望留京矣。」帝納之。及恵卿至京師,請対,見帝果言先帝事而泣。帝正色不答,計卒不施而去。
書き下し
呂恵卿、出でて大名府に知たり。監察御史常安民、其の復た留まらんことを慮り、上言す。「北都は重鎮なるに、恵卿を除す。恵卿は賦性深険にして、王安石に背く者なり。其の君に事うること知るべし。今、将に闕を過ぎんとし、必ず先帝を言いて泣き、陛下を感動せしめ、京に留まらんことを希望せん」と。帝、之を納る。恵卿、京師に至るに及び、対を請い、帝に見ゆるに、果たして先帝の事を言いて泣く。帝、色を正して答えず。計、卒に施さずして去る。
現代語訳
呂恵卿が都を出て大名府の長官になることとなった。監察御史の常安民は、恵卿がまた都に留まるのではないかと心配し、上言した。「北都は重要な鎮であるのに、恵卿を任じました。恵卿は生まれつき陰険で、王安石に背いた者です。その君主への仕え方も知れています。今、宮門のそばを通るとき、必ず先帝のことを語って泣き、陛下を感動させ、都に留まろうとするでしょう」。帝はこの言葉を受け入れた。恵卿が都に着き、拝謁を願い出て帝に会うと、果たして先帝のことを語って泣いた。帝は表情を引き締めて答えなかった。恵卿の計略は結局うまくいかず、そのまま去った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』億中・邵雍王安石、相を罷め、呂恵卿、政事に参知す。富鄭公、康節に見えて憂色有り。康節曰く、「豈に恵卿の凶暴なること安石に過ぐるを以てか」と。曰く、「然り」と。康節曰く、「憂うること勿れ。安石、恵卿は本と勢利を以て相合す。今、勢利相敵すれば、将に自ら仇と為らんとす。他人を害するに暇あらざるなり」と。未だ幾ばくならずして、恵卿、果たして安石に叛く。〔按〕荊公、新法を行い、新進を任用す。温公、貽るに書を以てして曰く、「忠信の士は、公の路に当たる時に於いて齟齬して憎むべしと雖も、後に必ず其の力を得ん。諂諛の人は、今に於いて誠に順適の快有るも、一旦勢を失わば、必ず公を売りて以て自ら售らんとする者有らん」と。蓋し呂恵卿を指すなり。熙寧の初め、王宣徽の子、名は正甫、字は茂直、西京糧料院を監す。一日、邵康節を約し、呉処厚、王平甫と飯を食わんとするに、康節、辞するに疾を以てす。明日、茂直、来たりて康節に会を辞せし故を問う。康節曰く、「処厚は議論を好み、毎に執政の新法を譏刺す。平甫は介甫の弟なり。甚しくは其の兄を主とせずと雖も、人の面に之を罵るが若きは、則ち亦た堪えざらん。此れ某の辞せし所以なり」と。茂直、歎じて曰く、「先生の事を料ること審らかなること此くの如し。昨、処厚、席間に介甫を毀り、平甫、色を作し、其の事を府に列せんと欲す。某、之を解くこと甚だ苦しみ、乃ち已む」と。嗚呼、康節は道徳を以て一代に尊ばるるに、平居の出処、一飯食の間にも、其の慎むこと此くの如し。
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