智囊 / 迎刃・朱勝非
苗、劉之亂,勤王兵向闕。朱忠靖從中調護,六龍反正。有詔以二凶為淮南兩路制置使,令將部曲之任。時朝廷幸其速去,其黨張達為畫計,使請鐵券,既朝辭,遂造堂袖札以懇。忠靖顧吏取筆,判奏行給賜,令所屬檢詳故事,如法製造。二凶大喜。明日將朝,郎官傅宿扣漏院白急事,速命延入。宿曰:「昨得堂貼,給賜二將鐵券,此非常之典,今可行乎?」忠靖取所持貼,顧執政秉燭同閱。忽顧問曰:「檢詳故事,曾檢得否?」曰:「無可檢。」又問:「如法製造,其法如何?」曰:「不知。」又曰:「如此可給乎?」執政皆笑,宿亦笑,曰:「已得之矣。」遂退。〔馮述評〕妙在不拒而自止。若腐儒,必出一段道理相格,激成小人之怒;怒而懼,即破例奉之不辭矣!
新字:苗、劉之乱,勤王兵向闕。朱忠靖従中調護,六竜反正。有詔以二凶為淮南両路制置使,令将部曲之任。時朝廷幸其速去,其党張達為画計,使請鉄券,既朝辞,遂造堂袖札以懇。忠靖顧吏取筆,判奏行給賜,令所属検詳故事,如法製造。二凶大喜。明日将朝,郎官傅宿扣漏院白急事,速命延入。宿曰:「昨得堂貼,給賜二将鉄券,此非常之典,今可行乎?」忠靖取所持貼,顧執政秉燭同閲。忽顧問曰:「検詳故事,曽検得否?」曰:「無可検。」又問:「如法製造,其法如何?」曰:「不知。」又曰:「如此可給乎?」執政皆笑,宿亦笑,曰:「已得之矣。」遂退。〔馮述評〕妙在不拒而自止。若腐儒,必出一段道理相格,激成小人之怒;怒而懼,即破例奉之不辞矣!
書き下し
苗・劉の乱に、勤王の兵が闕に向かった。朱忠靖が中から調護し、六龍は正に反った。詔が有って二凶を淮南両路の制置使とし、部曲を率いて任に赴かせようとした。時に朝廷は彼らの速やかに去ることを幸いとし、その党の張達が計を画して、鉄券を請わせた。既に朝辞すると、遂に堂に造って札を袖にして懇願した。忠靖は吏を顧みて筆を取らせ、奏して行い給賜せよと判し、所属に故事を検詳させ、法の如く製造させた。二凶は大いに喜んだ。明日朝せんとして、郎官の傅宿が漏院を叩いて急事を白し、速やかに延き入れさせた。宿は曰く、「昨日堂貼を得ました、二将に鉄券を給賜せよと。これは非常の典です、今行ってよいものでしょうか」と。忠靖は持っていた貼を取り、執政を顧みて燭を乗らせ同じく閲した。忽ち顧みて問うて曰く、「故事を検詳せよとしたが、曾て検し得たか」と。曰く、「検すべきもの無し」と。また問う、「法の如く製造せよとあるが、その法は如何」と。曰く、「知りません」と。また曰く、「かくして給してよいか」と。執政は皆笑い、宿もまた笑って、曰く、「已に分かりました」と。遂に退いた。〔馮述評〕妙は拒まずして自ら止まるところに在る。もし腐儒ならば、必ず一段の道理を出して相い格み、小人の怒りを激成させる。怒って懼れれば、たとい例を破っても奉じて辞さないであろう。
現代語訳
苗傅・劉正彦の乱のとき、勤王の兵が都に向かった。朱勝非は朝廷の中で取りなして働き、天子は帝位に復した。詔が出て、二人の凶徒を淮南東西両路の制置使に任じ、手勢を率いて赴任させることになった。朝廷は彼らがすぐ去ってくれることを望んでいた。その一味の張達が策を立て、鉄券を請わせた。二人は朝廷にいとまごいをしたあと、役所の堂まで来て、願書を袖に入れて懇願した。朱勝非は役人を振り返って筆を取らせ、上奏して与えることを許可し、担当部署に先例を調べさせ、規定どおりに作らせるよう命じた。二人は大喜びした。翌日出仕しようとすると、郎官の傅宿が漏院の戸を叩いて急用を告げ、すぐに通された。傅宿は言った。「昨日、二人の将に鉄券を与えよという堂貼を受け取りました。これは特別な恩典ですが、今与えてよいものでしょうか」。朱勝非は手にしていた貼を取り、同僚の執政にろうそくを持たせて一緒に見て、ふと問うた。「先例を調べよと言ったが、調べ当てたか」。「調べても先例はありません」。また問うた。「規定どおりに作れとあるが、その規定とはどういうものか」。「分かりません」。「ではこれで与えてよいか」。執政は皆笑い、傅宿も笑って言った。「分かりました」。そして退出した。〔馮夢龍の評〕妙味は、拒まないのに自然に止まるところにある。もし頭の固い儒者なら、必ず道理を並べてぶつかり、小人の怒りをかき立てただろう。怒って恐れれば、先例を破ってでも与えるしかなくなったはずだ。
解説
この章句が説くこと
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史記 呉王濞列伝当に賜ふべき者有らば寡人に告げよ。寡人且に往きて之を遺らんとす。敬みて以て聞す」と。七国反するの書天子に聞す。天子乃ち太尉条侯周亜夫をして三十六将軍を将ゐて、往きて呉楚を撃たしむ。曲周侯酈寄を遣はして趙を撃たしむ。将軍欒布斉を撃つ。大将軍竇嬰滎陽に屯し、斉趙の兵を監す。呉楚反するの書聞す。兵未だ発せず、竇嬰未だ行かざるに、故の呉の相袁盎を言ふ。盎時に家居す。詔して召して入見せしむ。上方に晁錯と兵を調へ軍食を笇ふ。上袁盎に問ひて曰く、「君嘗て呉の相為り。呉の臣田禄伯の人と為りを知るか。今呉楚反す。公に於て何如」と。対へて曰く、「憂ふるに足らざるなり。今破れん」と。上曰く、「呉王山に即きて銭を鋳、海水を煮て塩と為し、天下の豪桀を誘ひ、白頭にして事を挙ぐ。此の若くんば、其の計百全ならずんば、豈に発せんや。何を以て其の能く為す無しと言ふや」と。袁盎対へて曰く、「呉に銅塩の利有るは則ち之有り。安くんぞ豪桀を得て之を誘はん。誠に呉をして豪桀を得しめば、亦且に王を輔けて義を為さんとし、反せざらん。呉の誘ふ所は皆無頼の子弟、亡命して銭を鋳る姦人なり。故に相率ゐて以て反す」と。晁錯曰く、「袁盎の之を策すること善し」と。上問ひて曰く、「計安くにか出づる」と。盎対へて曰く、「願はくは左右を屏けよ」と。上人を屏く。独り錯在り。盎曰く、「臣の言ふ所は、人臣知るを得ざるなり」と。乃ち錯を屏く。錯趨りて東廂に避け、恨むこと甚だし。上卒に盎に問ふ。盎対へて曰く、「呉楚相遺る書に曰く、『高帝子弟を王とし各々分地有り。今賊臣晁錯擅に諸侯を適過し、之が地を削奪す』と。故に反するを以て名と為し、西して共に晁錯を誅し、故地を復して罷めんとす。方今の計は、独り晁錯を斬り、使を発して呉楚七国を赦し、其の故の削地を復せば、則ち兵は刃に血ぬること無くして倶に罷むべし」と。是に於て上嘿然たること良久しくして、曰く、「顧ふに誠に何如。吾一人を愛しみて以て天下に謝せざらんや」と。盎曰く、「臣の愚計は此に出づる無し。願はくは上之を孰計せよ」と。
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説苑・君道高宗なる者は武丁なり、高くして之を宗とす、故に高宗と号す。成湯の後、先王の道欠け、刑法違犯せられ、桑穀倶に朝に生じ、七日にして大いに拱す。武丁其の相を召して之を問う。其の相曰く、「吾之を知ると雖も、吾言うを得ざるなり。之を祖己に聞く、桑穀なる者は野草なり、而して朝に生ず、意うに国亡びんとするか」と。武丁恐駭し、身を飭め行いを修め、先王の政を思い、滅国を興し絶世を継ぎ、逸民を挙げ、養老を明らかにす。三年の後、蛮夷重訳して朝する者七国、此を之れ存亡継絶の主と謂う、是を以て高くして之を尊ぶなり。
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説苑・奉使秦楚兵を轂う。秦王人をして楚に使いせしむ。楚王人をして之を戲れしめて曰く、「子來るに亦た之を卜せしか。」對えて曰く、「然り。」「卜して何をか謂うや。」對えて曰く、「吉なり。」楚人曰く、「噫、甚だしいかな、子の國良龜無きなり。王將に子を殺して以て鐘に釁らんとす、其の吉なること如何。」使者曰く、「秦楚兵を轂う、吾が王我をして先んじて窺わしむ。我死して還らずんば、則ち吾が王警戒を知り、兵を整齊して以て楚に備う。是れ吾が所謂吉なり。且つ死者にして知無くんば、又た何ぞ鐘に釁らん。死者にして知有らば、吾豈に秦を錯きて楚を相みんや。我將に楚の鐘鼓をして聲無からしめんとす。鐘鼓聲無くんば則ち將に其の士卒を整齊して君の軍を理むる無からんとす。夫れ人の使いを殺し、人の謀を絕つは、古の通議に非ざるなり。子大夫試みに熟ら之を計れ。」使者以て楚王に報ず。楚王之を赦す。此れを之れ「造命」と謂う。
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『春秋左氏伝』哀公十六年 葉公、冑を免ぐ遂に之を殺して、王を以て高府に如く。石乞、門に尹たり。圉公陽、宮に穴し、王を負ひて以て昭夫人の宮に如く。葉公も亦た至る。北門に及ぶ。或ひと之に遇ひて曰く、「君胡ぞ冑せざる。國人の君を望むこと、慈父母を望むが如し。盜賊の矢、若し君を傷つけば、是れ民の望を絕つなり。之を若何ぞ冑せざる」と。乃ち冑して進む。又一人に遇ふ。曰く、「君胡ぞ冑する。國人の君を望むこと、歲を望むが如し。日日以て幾ふ。若し君の面を見ば、是れ艾を得るなり。民、死せざるを知らば、其れ亦た夫の奮心有らん。猶ほ將に君を旌して以て國に徇へんとす。而るを反つて面を掩ひて以て民の望を絕つ。亦た甚だしからずや」と。乃ち冑を免ぎて進む。箴尹固の、其の屬を帥ゐて將に白公に與せんとするに遇ふ。子高曰く、「二子微かりせば、楚は國ならず。德を棄てて賊に從ふ、其れ保つ可けんや」と。乃ち葉公に從ふ。國人と與に以て白公を攻めしむ。白公、山に奔りて縊る。其の徒、之を微す。石乞を生拘して、白公の死を問ふ。對へて曰く、「余、其の死所を知る。
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史記 陳丞相世家漢王大いに怒りて罵る、陳平漢王を躡む。漢王も亦た悟り、乃ち厚く斉の使を遇し、張子房をして卒に信を立てて斉王と為さしむ。平を封ずるに戸牖郷を以てす。其の奇計策を用ひ、卒に楚を滅ぼす。常に護軍中尉を以て従ひて燕王臧荼を定む。漢六年、人の上書して楚王韓信の反くを告ぐる者有り。高帝諸将に問ふ、諸将曰く、「亟やかに兵を発して豎子を阬にせんのみ」と。高帝黙然たり。陳平に問ふ、平固く辞謝して、曰く、「諸将は云何」と。上具に之を告ぐ。陳平曰く、「人の上書して信の反くを言ふ、之を知る者有るか」と。曰く、「未だ有らず」と。曰く、「信之を知るか」と。曰く、「知らず」と。陳平曰く、「陛下の精兵は楚に孰与ぞ」と。上曰く、「過ぐる能はず」と。平曰く、「陛下の将の兵を用ふるに能く韓信に過ぐる者有るか」と。上曰く、「及ぶ莫きなり」と。平曰く、「今兵は楚の精に如かず、而して将は及ぶ能はず、而して兵を挙げて之を攻むるは、是れ之に戦ひを趣すなり、窃かに陛下の為に之を危ぶむ」と。上曰く、「之を為すこと奈何」と。平曰く、「古者天子巡狩し、諸侯を会す。南方に雲夢有り、陛下弟だ出でて偽りて雲夢に遊び、諸侯を陳に会せよ。陳は、楚の西界なり、信天子の好を以て出遊するを聞かば、其の勢必ず事無くして郊迎し謁せん。謁せば、而して陛下因りて禽にせよ、此れ特だ一力士の事のみ」と。高帝以て然りと為し、乃ち使を発して諸侯に陳に会せんことを告げしむ、「吾将に南のかた雲夢に遊ばんとす」と。上因りて随ひて以て行く。行きて未だ陳に至らざるに、楚王信果たして道中に郊迎す。高帝豫め武士を具へ、信の至るを見て、即ち之を執縛し、後車に載す。信呼びて曰く、「天下已に定まる、我固より当に烹らるべし」と。高帝顧みて信に謂ひて曰く、「若声すること毋かれ。而の反くこと、明らかなり」と。武士反接す。遂に諸侯に陳に会し、尽く楚の地を定む。還りて雒陽に至り、信を赦して以て淮陰侯と為し、而して功臣と符を剖きて封を定む。是に於て平と符を剖き、世世絶ゆること勿からしめ、戸牖侯と為す。平辞して曰く、「此れ臣の功に非ざるなり」と。
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