智囊 / 億中・楊廷和
彭澤將西討流賊鄢本恕等,入問計廷和。廷和曰:「以君才,賊何憂不平?所戒者班師早耳。」澤後破誅本恕等,奏班師,而餘黨復蝟起,不可制。澤既發而復留,乃歎曰:「楊公之先見,吾不及也!」〔馮述評〕張英國三定交州而竟不能有,以英國之去也。假使如黔國故事,俾英國世為交守,雖至今郡縣可矣。故平賊者,勝之易,格之難,所戒於早班師者,必有一番安戢鎮撫作用,非僅僅仗兵威以脅之已也。
新字:彭沢将西討流賊鄢本恕等,入問計廷和。廷和曰:「以君才,賊何憂不平?所戒者班師早耳。」沢後破誅本恕等,奏班師,而余党復蝟起,不可制。沢既発而復留,乃嘆曰:「楊公之先見,吾不及也!」〔馮述評〕張英国三定交州而竟不能有,以英国之去也。仮使如黔国故事,俾英国世為交守,雖至今郡県可矣。故平賊者,勝之易,格之難,所戒於早班師者,必有一番安戢鎮撫作用,非僅僅仗兵威以脅之已也。
書き下し
彭沢、将に西のかた流賊鄢本恕らを討たんとして、入りて計を廷和に問う。廷和曰く、「君の才を以てすれば、賊何ぞ平らげざるを憂えん。戒むる所の者は班師の早きのみ」と。沢、後に本恕らを破り誅して、班師を奏するも、餘党復た蝟のごとく起こり、制すべからず。沢は既に発して復た留まり、乃ち歎じて曰く、「楊公の先見は、吾及ばざるなり」と。〔馮述評〕張英国は三たび交州を定むるも竟に有する能わざるは、英国の去りしを以てなり。仮使い黔国の故事の如く、英国をして世ゝ交守たらしめば、今に至るまで郡県たるも可ならん。故に賊を平らぐる者は、之に勝つは易く、之を格すは難し。早く班師するを戒むる所の者は、必ず一番の安戢鎮撫の作用有りて、僅僅として兵威に仗りて以て之を脅すのみに非ざるなり。
現代語訳
彭沢が西へ向かい、流賊の鄢本恕らを討とうとして、入ってきて楊廷和に計略を尋ねた。廷和は言った。「君の才があれば、賊を平らげられないことを心配する必要はない。戒めるべきは、軍を引き上げるのが早すぎることだけだ」。沢はのちに本恕らを破って誅殺し、軍の引き揚げを上奏したが、残党がまたハリネズミのように起こり、抑えられなくなった。沢はすでに出発していたのに再び留まり、嘆いて言った。「楊公の先見には、私は及ばなかった」。〔馮夢龍の評〕張英国は三度交州を平定したが結局領有できなかったのは、英国が去ったからである。もし黔国(沐氏)の例のように、英国に代々交州を守らせていれば、今に至るまで郡県であっても良かっただろう。だから賊を平らげる者は、勝つことは易しく、正すことは難しい。早く軍を引き上げることを戒めるのは、必ず安んじ鎮める働きが必要であり、ただ武力の威圧に頼って脅すだけではないからである。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』億中・班超班超、西域に久しく、上疏して生きて玉門関に入らんことを願う。乃ち超を召し還し、戊己校尉任尚を以て之に代わらしむ。尚、超に謂いて曰く、「君侯は外域に在ること三十餘年、而して小人は猥りに君の後を承く。任は重く慮は浅し、宜しく以て之を誨うる有るべし」と。超曰く、「塞外の吏士は、本より孝子順孫に非ず、皆な罪過を以て徙されて辺屯に補せらる。而して蛮夷は鳥獣の心を懐き、養い難く敗れ易し。今、君の性は厳急なり。水清ければ魚無く、察政は下と和せず。宜しく蕩佚簡易にして、小過を寛くし、大綱を総ぶるのみ」と。超去りて後、尚は私かに親しむ所に謂いて曰く、「我、班君に尚お奇策有りと以為いしに、今の言う所は平平のみ」と。尚は留まること数年にして西域反叛し、超の戒むる所の如し。
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『智囊』不戰・李愬岳侯の楊么を平らげ、李愬の元済に克つは、一として才を敵に資らざるなく、また威信素より孚し、操縦手にあるに由るなり。後人は漫然としてこれに学べば、敵の間に墮ちざること鮮し。岑彭、費禕はその身を亡ぼし、俱に降人に刺殺せらる。曹瞞、苻堅はその師を亡ぼす。赤壁の役に、操は黄蓋の降を信じて以て敗れ、淝水の戦に、降将朱序は晋に帰せんことを謀り、陰に晋を導いて秦を敗る。彼は皆兵事に老いたる者なるも、なお此くの如し。慎まざるべけんや。李愬の蔡を襲わんとするや、旧令に敢えて諜を舍く者は族す。愬はその令を刊して、一切これを撫す。故に諜者は反って情を効し、愬は益々賊の虚実を悉くす。〔述評〕よく諜を用うれば、諜を舍くを妨げず。然れども必ず先に諜を知りて、方によく諜を用う。必ずよく民をして諜を隠さざらしめて、方によく諜を知る。必ず恩威もて以て民を服せしめて、方によく民をして諜を隠さざらしむ。ああ、言い難し。近ごろ邑宰あり、急に盗を弭めんと欲し、諸盗は往々にして妓家に獲らるるを謂い、必ず妓を駆りて境を出ださしめ、乃ち盗藪を清めんとす。それ妓家が果たして盗を藪とせば、正に留めて以て捕役の耳目の径と為すべし。もし境外に藪とせば、境内に藪とするといずれか愈れるか。仮に盗が民家に藪とすれば、また尽く民を駆らんとするか。深く捕役の督を厳しくせずして、盗の藪なきを求むるは、これ無策の甚だしきなり。
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『智囊』迎刃・王益・賈耽王益は韶州に知たり、州に屯兵五百人有り。代わる者久しく至らず、変を為さんと謀る。事覚れ、一郡皆な駭く。益は動ずる為さず、其の首五人を取り、即日之を断流す。或いは獄に付せんことを請うも、聴かず。既にして其の徒の言うを聞く、「若し五人が獄に繋がれなば、当に夜に之を劫かすべし」と。衆は乃ち服す。賈耽は山南東道節度使と為り、行軍司馬樊沢をして事を奏せしめんとして行在に使わしむ。沢は既に命を反し、方に大宴するに、急牒の至る有り、沢を以て耽に代う。耽は牒を懐中に内れ、顔色改まらず、宴罷りて、即ち将吏に命じて沢に謁せしむ。牙将張献甫は怒りて曰く、「行軍は自ら節鉞を図る、人に事えて忠ならず、請う、之を殺さん」と。耽曰く、「天子の命ずる所なれば、即ち節度使為り」と。即日鎮を離れ、献甫を以て自ら随わしむれば、軍府は遂に安し。
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