智囊 / 不戰・李愬
岳侯平楊么,李愬克元濟,無一不資才於敵,亦由威信素孚,操縱在手故也。後人漫然學之,鮮不墮敵之間矣!岑彭、費禕亡其身,俱為降人刺殺,曹瞞、苻堅亡其師,赤壁之役,操信黃蓋之降以取敗;淝水之戰,降將朱序謀歸晉,陰導晉敗秦,彼皆老於兵事者,而猶如此,可不慎與?李愬之將襲蔡也,舊令敢舍諜者族。愬刊其令,一切撫之,故諜者反效以情,愬益悉賊虛實。〔述評〕能用諜,不妨舍諜。然必先知諜,方能用諜;必能使民不隱諜,方能知諜;必恩威有以服民,方能使民不隱諜。嗚呼,難言矣。近有邑宰,急欲弭盜,謂諸盜往往獲自妓家,必驅妓出境,乃清盜藪。夫妓家果藪盜,正宜留之,以為捕役耳目之徑。若藪之境外,與藪之境內庸愈?假令盜藪民家,亦將盡民而驅之乎?不深嚴捕役之督,而求盜無藪,斯無策之甚者也。
新字:岳侯平楊么,李愬克元済,無一不資才於敵,亦由威信素孚,操縦在手故也。後人漫然学之,鮮不堕敵之間矣!岑彭、費禕亡其身,倶為降人刺殺,曹瞞、苻堅亡其師,赤壁之役,操信黄蓋之降以取敗;淝水之戦,降将朱序謀帰晋,陰導晋敗秦,彼皆老於兵事者,而猶如此,可不慎与?李愬之将襲蔡也,旧令敢舎諜者族。愬刊其令,一切撫之,故諜者反効以情,愬益悉賊虚実。〔述評〕能用諜,不妨舎諜。然必先知諜,方能用諜;必能使民不隠諜,方能知諜;必恩威有以服民,方能使民不隠諜。嗚呼,難言矣。近有邑宰,急欲弭盗,謂諸盗往往獲自妓家,必駆妓出境,乃清盗藪。夫妓家果藪盗,正宜留之,以為捕役耳目之径。若藪之境外,与藪之境内庸愈?仮令盗藪民家,亦将尽民而駆之乎?不深厳捕役之督,而求盗無藪,斯無策之甚者也。
書き下し
岳侯の楊么を平らげ、李愬の元済に克つは、一として才を敵に資らざるなく、また威信素より孚し、操縦手にあるに由るなり。後人は漫然としてこれに学べば、敵の間に墮ちざること鮮し。岑彭、費禕はその身を亡ぼし、俱に降人に刺殺せらる。曹瞞、苻堅はその師を亡ぼす。赤壁の役に、操は黄蓋の降を信じて以て敗れ、淝水の戦に、降将朱序は晋に帰せんことを謀り、陰に晋を導いて秦を敗る。彼は皆兵事に老いたる者なるも、なお此くの如し。慎まざるべけんや。李愬の蔡を襲わんとするや、旧令に敢えて諜を舍く者は族す。愬はその令を刊して、一切これを撫す。故に諜者は反って情を効し、愬は益々賊の虚実を悉くす。〔述評〕よく諜を用うれば、諜を舍くを妨げず。然れども必ず先に諜を知りて、方によく諜を用う。必ずよく民をして諜を隠さざらしめて、方によく諜を知る。必ず恩威もて以て民を服せしめて、方によく民をして諜を隠さざらしむ。ああ、言い難し。近ごろ邑宰あり、急に盗を弭めんと欲し、諸盗は往々にして妓家に獲らるるを謂い、必ず妓を駆りて境を出ださしめ、乃ち盗藪を清めんとす。それ妓家が果たして盗を藪とせば、正に留めて以て捕役の耳目の径と為すべし。もし境外に藪とせば、境内に藪とするといずれか愈れるか。仮に盗が民家に藪とすれば、また尽く民を駆らんとするか。深く捕役の督を厳しくせずして、盗の藪なきを求むるは、これ無策の甚だしきなり。
現代語訳
岳侯が楊么を平らげ、李愬が呉元済に勝ったのは、どちらも敵から人材を借りたものであり、また日頃から威信が信頼され、操縦する手綱を握っていたからである。後の人がただ漫然とこれをまねれば、敵の罠に陥らないことは稀である。岑彭と費禕は身を滅ぼし、どちらも降人に刺し殺された。曹操と苻堅は軍を滅ぼした。赤壁の戦いでは、曹操は黄蓋の降伏を信じて敗れ、淝水の戦いでは、降将の朱序が晋に帰ろうと謀り、ひそかに晋を導いて秦を破らせた。彼らはみな兵事に長けた者であるが、それでもこのようである。慎まずにいられようか。李愬が蔡を襲おうとするとき、古い令では、あえて間者を許す者は一族皆殺しとされていた。李愬はその令を取り消して、すべてこれを慰撫した。だから間者は逆に実情を差し出し、李愬はますます賊の虚実をすべて知った。〔述評〕よく間者を用いれば、間者を許すことも妨げない。しかし必ずまず間者を知って、初めて間者を用いられる。必ず民に間者を隠させないようにして、初めて間者を知れる。必ず恩と威で民を服させて、初めて民に間者を隠させなくできる。ああ、言うのは難しい。近ごろある県の長官が、急いで盗賊をなくそうとして、盗賊はしばしば妓楼で捕らえられると言い、妓をすべて境の外に追い出して盗賊の巣窟を清めようとした。そもそも妓楼が本当に盗賊の巣なら、むしろ残して、捕吏の耳目の通路にすべきである。もし境の外を巣窟にするなら、境内に巣窟があるのとどちらがよいのか。仮に盗賊が民家を巣窟にしたら、民をすべて追い出すのか。捕吏の監督を厳しくしないで、盗賊の巣窟がないことを求めるのは、無策の甚だしいものだ。
解説
この章句が説くこと
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