智囊 / 億中・王瓊
又晉溪總制三邊時,每一巡邊,雖中火亦費百金,未嘗折乾,到處皆要供具,燒羊亦數頭,凡物稱是。晉溪不數臠,盡撤去,散於從官,雖下吏亦沾及。故西北一有警,則人人效命。當時法網疏闊,故豪傑得行其意;使在今日,則台諫即時論罷矣。梅衡湘播州監軍,行時請帑金三千備犒賞之需,及事定,所費僅四百金,登籍報部,無分毫妄用。雖性生手段大小不同,要亦時為之也。
新字:又晋渓総制三辺時,毎一巡辺,雖中火亦費百金,未嘗折乾,到処皆要供具,焼羊亦数頭,凡物称是。晋渓不数臠,尽撤去,散於従官,雖下吏亦沾及。故西北一有警,則人人効命。当時法網疏闊,故豪傑得行其意;使在今日,則台諫即時論罷矣。梅衡湘播州監軍,行時請帑金三千備犒賞之需,及事定,所費僅四百金,登籍報部,無分毫妄用。雖性生手段大小不同,要亦時為之也。
書き下し
又た晋渓、三辺を総制せし時、一たび辺を巡る毎に、中火と雖も亦た百金を費やし、未だ嘗て折乾せず、到る処皆な供具を要し、焼羊も亦た数頭、凡そ物は是に称う。晋渓は数臠にも及ばず、尽く撤去して、従官に散じ、下吏と雖も亦た沾及す。故に西北に一たび警有らば、則ち人人命を效す。当時は法網疏闊にして、故に豪傑は其の意を行うを得たり。今日に在らしめば、則ち台諫は即時に論罷せん。梅衡湘は播州に監軍たりしとき、行くに帑金三千を請いて犒賞の需に備えしが、事定まるに及び、費やす所は僅かに四百金、籍に登して部に報じ、分毫の妄用無し。性生の手段は大小同じからずと雖も、要するに亦た時の為せるなり。
現代語訳
また晋渓(王瓊)が三辺を総督していた時、辺境を巡るたびに、昼食だけでも百金を費やし、金銭に換えて受け取ったことはなく、行く先々で皆が供応の品を求められ、焼いた羊も数頭、他の物もそれに見合っていた。晋渓は数切れも食べず、すべて撤去して、随行の官に分け与え、下役の者にまで及んだ。そのため西北でひとたび警報があれば、人々は皆命をかけて働いた。当時は法の網が緩やかで、それゆえ豪傑は自分の考えを行えた。今日であれば、監察官がすぐに弾劾して罷免させるだろう。梅衡湘が播州の監軍であった時、出発に際して公金三千を請い、将兵を労う用意としたが、事が定まると、使ったのはわずか四百金で、帳簿に記して部に報告し、少しも無駄遣いはしなかった。生まれつきの手腕は大小同じではないが、要するにこれも時勢によるものである。
解説
この章句が説くこと
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