智囊 / 億中・傅岐
侯景叛魏歸梁,封河南王。魏相高澄忽遣使議和,時舉朝皆請從之。傅岐為如新令,適在朝,獨曰:「高澄方新得志,何事須和?必是設間以疑侯景,使景意不自安,則必圖禍亂。若許之,正墮其計耳!」帝惑朱異言,竟許和。景未信,乃偽作鄴人書,求以貞陽侯換景。帝答書,有「貞陽旦至,侯景夕返」語,景遂反。
新字:侯景叛魏帰梁,封河南王。魏相高澄忽遣使議和,時舉朝皆請従之。傅岐為如新令,適在朝,独曰:「高澄方新得志,何事須和?必是設間以疑侯景,使景意不自安,則必図禍乱。若許之,正堕其計耳!」帝惑朱異言,竟許和。景未信,乃偽作鄴人書,求以貞陽侯換景。帝答書,有「貞陽旦至,侯景夕返」語,景遂反。
書き下し
侯景、魏に叛きて梁に帰し、河南王に封ぜらる。魏の相高澄、忽ち使いを遣わして和を議せしむ。時に挙朝皆之に従わんことを請う。傅岐、如新令と為り、適たま朝に在りて、独り曰く、「高澄、方に新たに志を得たり、何の事ありてか和を須ちんや。必ず是れ間を設けて以て侯景を疑わしめ、景の意をして自ら安んぜざらしめば、則ち必ず禍乱を図らん。若し之を許さば、正に其の計に堕つるのみ」と。帝は朱異の言に惑い、竟に和を許す。景は未だ信ぜず、乃ち偽りて鄴人の書を作り、貞陽侯を以て景に換えんことを求む。帝、書に答えて、「貞陽旦に至らば、侯景夕べに返らん」の語有り、景遂に反す。
現代語訳
侯景は魏にそむいて梁に帰順し、河南王に封じられた。魏の宰相高澄が、突然使者を送って和議を持ちかけてきた。そのとき朝廷の者は皆これに従うことを願った。傅岐は如新の県令であったが、たまたま朝廷にいて、ただひとり言った。「高澄はちょうど志を得たばかりです。どうして和議を必要としましょう。きっと間者を仕掛けて侯景に疑いを抱かせ、景の心を落ち着かなくさせれば、必ず乱を起こすだろうと狙っているのです。もしこれを許せば、まさにその計略にはまることになります」。皇帝は朱異の言葉に惑わされ、結局和議を許した。景はまだ信じなかったので、偽って鄴の人からの手紙を作り、貞陽侯を景と交換したいと求めさせた。皇帝は返書に、「貞陽侯が朝に着けば、侯景は夕べに帰す」という語を書き、景はそこで反乱を起こした。
解説
この章句が説くこと
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