智囊 / 億中・子貢
魯定公十五年正月,邾隱公來朝,子貢觀焉。邾子執玉高,其容仰;公受玉卑,其容俯。子貢曰:「以禮觀之,二君皆有死亡焉。夫禮,死生存亡之體也:將左右、周旋、進退、俯仰,於是乎取之;朝、祀、喪、戎,於是乎觀之。今正月相朝而皆不度,心已亡矣。嘉事不體,何以能久!高仰,驕也;卑俯,替也。驕近亂,替近疾。君為主,其先亡乎?」五月公薨。孔子曰:「賜不幸言而中,是使賜多言也!」
新字:魯定公十五年正月,邾隠公来朝,子貢観焉。邾子執玉高,其容仰;公受玉卑,其容俯。子貢曰:「以礼観之,二君皆有死亡焉。夫礼,死生存亡之体也:将左右、周旋、進退、俯仰,於是乎取之;朝、祀、喪、戎,於是乎観之。今正月相朝而皆不度,心已亡矣。嘉事不体,何以能久!高仰,驕也;卑俯,替也。驕近乱,替近疾。君為主,其先亡乎?」五月公薨。孔子曰:「賜不幸言而中,是使賜多言也!」
書き下し
魯の定公十五年正月、邾の隠公来朝す。子貢観る。邾子玉を執ること高く、其の容は仰ぐ。公玉を受くること卑く、其の容は俯す。子貢曰く、「礼を以て之を観れば、二君皆な死亡有らん。夫れ礼は死生存亡の体なり。将に左右・周旋・進退・俯仰、是に於いて之を取る。朝・祀・喪・戎、是に於いて之を観る。今、正月に相い朝して皆な度らず。心已に亡し。嘉事の体せざる、何を以て能く久しからん。高く仰ぐは驕なり。卑く俯すは替なり。驕は乱に近く、替は疾に近し。君は主たり。其れ先ず亡ぶか。」五月公薨ず。孔子曰く、「賜は不幸にして言いて中つ。是れ賜をして多言ならしむるなり。」
現代語訳
魯の定公十五年の正月、邾の隠公が来朝した。子貢はその様子を見ていた。邾の隠公は玉を捧げる位置が高く、顔は上を向いていた。定公が玉を受けるときは位置が低く、顔は下を向いていた。子貢は言った。「礼の観点から見ると、二人の君主はどちらも死や亡びがあるでしょう。礼とは、生死存亡を形にしたものです。左右や動作、進退、うつむきと仰ぎ見る所作も、ここから取り、朝会・祭祀・葬儀・軍事も、ここで観察します。いま正月に互いに朝見して、どちらも作法の度に合わない。心がすでに失われています。めでたい儀式が整わないのでは、どうして長続きしましょう。高く仰ぐのは驕りで、低く俯くのは怠りです。驕りは乱に近く、怠りは病に近い。君は主人です。先に亡ぶのは定公でしょうか。」五月、定公は亡くなった。孔子は言った。「賜(子貢)は不幸にして、言ったことが当たってしまった。これでは賜をおしゃべりにしてしまうことになる。」
解説
この章句が説くこと
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『講孟余話』滕文公上 第二章然れば後世の士君子、宜しく外は習俗に従ひ、内は心制を持するあるのみ。近世儒先往々是れを行ふ、実に歆仰すべきことなり。吾が知る所、江戸の人斎藤弥九郎の如き、母を喪してより三年、未だ嘗て酒肉を御せず。蓋し其の師水府藤田氏の教を奉ずるなり。先師山鹿素行先生、甚だ名を立て俗を駭かすことを悪む。其の父の喪を操る、五十日にして酒肉を御す。蓋し母氏の心を慰めん為に曲げて習俗に従ふなり。然れども百日に至るまで酒肉を御すること僅かに三度のみ。而して皆已むを得ざるに迫るなり。余深く其の操持に服す。
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『春秋左氏伝』僖公三十年 周公閲、備物の饗を辞す初め、鄭の公子蘭出でて晉に奔り、晉侯に從ひて鄭を伐つ。鄭を圍むに與ること無からんことを請ふ。之を許し、命を東に待たしむ。鄭の石甲父・侯宣多逆へて以って大子と為し、以って成を晉に求む。晉人之を許す。冬、王周公閱をして來聘せしむ。饗に昌歜(しゃうさん)・白・黑・形鹽有り。辭して曰く、「國君は、文は以って昭らかにするに足り、武は畏る可きなり。則ち備物の饗有りて、以って其の德に象る。五味を薦め、嘉穀を羞(すす)め、鹽は虎の形にして、以って其の功を獻ず。吾何を以ってか之に堪へん」と。東門襄仲將に周に聘せんとし、遂に初めて晉に聘す。
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『春秋左氏伝』昭公二十五年 礼は天地の経緯昏媾・姻亞を為りて、以って天明に象る。政事・庸力・行務を為りて、以って四時に從ふ。刑罰・威獄を為りて、民をして畏忌せしめ、以って其の震曜殺戮に類す。溫・慈・惠・和を為りて、以って天の生殖長育に效ふ。民に好惡喜怒哀樂有り、六气より生ず。是の故に審らかに宜しく類して、以って六志を制す。哀に哭泣有り、樂に謌舞有り、喜に施舍有り、怒に戰鬥有り。喜は好より生じ、怒は惡より生ず。是の故に行ひを審らかにし令を信にし、禍福賞罰、以って死生を制す。生は好む物なり。死は惡む物なり。好む物は樂なり、惡む物は哀なり。哀樂失はざれば、乃ち能く天地の性に協ふ。是を以って長久なり」と。簡子曰く、「甚だしいかな禮の大なるや」と。對へて曰く、「禮は上下の紀、天地の經緯なり、民の生くる所以なり。是を以って先王之を尚ぶ。故に人の能く自ら曲直して以って禮に赴く者、之を成人と謂ふ。大なること亦た宜ならずや」と。簡子曰く、「鞅や、請ふ身を終ふるまで此の言を守らん」と。
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荀子・修身篇扁く善なるの度、以て気を治め生を養なわば、則ち彭祖に後れ、以て身を脩め名を自らにせば、則ち堯・禹に配す。時に宜しくして通じ、利ありて以て窮に処る、礼信是れなり。凡そ血気・志意・知慮を用うるに、礼に由れば則ち治通し、礼に由らざれば則ち勃乱提僈す。食飲・衣服・居処・動静、礼に由れば則ち和節し、礼に由らざれば則ち触陥して疾を生ず。容貌・態度・進退・趨行、礼に由れば則ち雅なり、礼に由らざれば則ち夷固・僻違、庸衆にして野なり。故に人は礼無ければ則ち生きず、事は礼無ければ則ち成らず、国家は礼無ければ則ち寧からず。詩に曰く、「礼儀卒に度あり、笑語卒に獲たり」とは、此れを之れ謂うなり。
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言志四録・言志録 第六十八条 礼の妙用情に循ひて情を制し、欲を達して欲を遏む。是れ礼の妙用なり。
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