智囊 / 知微・東海張公
東海張公世居草蕩。既任官,其家以城中為便,買宅於陶行橋。公聞而甚悔之,曰:「吾子孫必敗於此。」公六子,其後五廢產。〔陳眉公曰〕吾鄉兩張尚書:莊簡公悅、莊懿公鎣,宅在東門外龜蛇廟左;孫文簡公承恩,宅在東門外太清庵右;顧文僖公清,宅在西門外超果寺前。當時與與四公同榜同朝者,其居在城市中,皆已轉售他姓矣,唯四公久存至今。信乎城市不如郊郭,郊郭不如鄉村,前輩之先見,真不可及。
新字:東海張公世居草蕩。既任官,其家以城中為便,買宅於陶行橋。公聞而甚悔之,曰:「吾子孫必敗於此。」公六子,其後五廃産。〔陳眉公曰〕吾郷両張尚書:荘簡公悦、荘懿公鎣,宅在東門外亀蛇廟左;孫文簡公承恩,宅在東門外太清庵右;顧文僖公清,宅在西門外超果寺前。当時与与四公同榜同朝者,其居在城市中,皆已転售他姓矣,唯四公久存至今。信乎城市不如郊郭,郊郭不如郷村,前輩之先見,真不可及。
書き下し
東海の張公は世ゝ草蕩に居る。既に官に任ずるに及び、其の家は城中を以て便なりと為し、宅を陶行橋に買う。公聞きて甚だ之を悔い、曰く、「吾が子孫は必ず此に敗れん。」公に六子あり、其の後五人は産を廃す。〔陳眉公曰く〕吾が郷の両張尚書、荘簡公悦・荘懿公鎣は、宅は東門外の亀蛇廟の左に在り。孫文簡公承恩は、宅は東門外の太清庵の右に在り。顧文僖公清は、宅は西門外の超果寺の前に在り。当時四公と同榜同朝なる者は、其の居は城市の中に在りて、皆な已に転じて他姓に售れり。唯だ四公のみ久しく存すること今に至る。信なるかな、城市は郊郭に如かず、郊郭は郷村に如かず。前輩の先見、真に及ぶべからず。
現代語訳
東海の張公は、代々草蕩に住んでいた。官に就いたあと、家の者は城中のほうが便利だと考え、陶行橋に屋敷を買った。公はこれを聞いて大いに悔やみ、言った。「我が子孫は必ずこの屋敷のせいで没落するだろう。」公には六人の子がおり、その後、五人は家産を失った。〔陳眉公の言〕我が郷里の二人の張尚書、荘簡公張悦と荘懿公張鎣は、屋敷は東門外の亀蛇廟の左にあった。孫文簡公承恩は、屋敷は東門外の太清庵の右にあった。顧文僖公清は、屋敷は西門外の超果寺の前にあった。当時、この四公と同じ科挙に合格し同じ朝廷に仕えた者は、その住まいは城中にあったが、皆すでに他の姓の手に渡った。ただ四公の家だけが今まで長く続いている。まことに、城市は郊外に及ばず、郊外は村里に及ばない。先人の先見には本当に及ばない。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公元年 禹微かりせば吾魚ならん天王劉定公をして趙孟を潁に勞はしむ。雒汭に館す。劉子曰く、「美なるかな禹の功、明德遠し。禹微かりせば、吾其れ魚ならんか。吾子と弁冕端委して、以て民を治め諸侯に臨むは、禹の力なり。子盍ぞ亦た遠く禹の功を績ぎて、大いに民を庇はざる」と。對へて曰く、「老夫は罪戾を是れ懼る。焉んぞ能く遠きを恤へん。吾儕は偷食し、朝に夕を謀らず。何ぞ其れ長からん」と。劉子歸りて以て王に語りて曰く、「諺に所謂『老いて將に知らんとして耄之に及ぶ』とは、其れ趙孟の謂か。晉の正卿と為りて、以て諸侯を主り、而も隸人に儕しくし、朝に夕を謀らず。神人を棄てたり。神怒り民叛かば、何を以てか能く久しからん。趙孟は年を復せざらん。神怒れば其の祀を歆けず、民叛けば其の事に即かず。祀事從はずんば、又何を以てか年あらん」と。叔孫歸る。曾夭季孫に御して以て之を勞ふ。旦より日中に及ぶまで、出でず。曾夭曾阜に謂ひて曰く、「旦より日中に及ぶ。吾罪を知れり。魯は相忍ぶを以て國を為むるなり。其の外に忍びて、其の內に忍ばずんば、焉んぞ之を用ゐん」と。阜曰く、「數月外に於てし、一旦是に於てす。庸ぞ何ぞ傷まん。賈して贏を欲して、囂を惡まんや」と。阜叔孫に謂ひて曰く、「以て出づべし」と。叔孫楹を指して曰く、「是を惡むと雖も、其れ去るべけんや」と。乃ち出でて之に見ゆ。
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