人物志 / 釋爭
君子知屈之可以為伸,故含辱而不辭;知卑讓之可以勝敵,故下之而不疑。
新字:君子知屈之可以為伸,故含辱而不辞;知卑譲之可以勝敵,故下之而不疑。
書き下し
君子は屈するの以て伸と為す可きを知る、故に辱を含みて辞せず。卑讓の以て敵に勝つ可きを知る、故に之に下りて疑わず。
現代語訳
君子は、屈することがやがて伸びることにつながると知っているから、屈辱を受けても逃げずに耐える。へりくだり譲ることが結局は相手に勝つことにつながると知っているから、ためらうことなく一歩を譲る。
解説
一時的に屈することが後の伸びにつながり、へりくだることが結局は相手に勝つことにつながると知っているからこそ、屈辱にも耐え、ためらいなく譲ることができると劉劭は説く。目の前の屈辱や譲歩を、その場限りの負けとして受け止めてしまうと、耐えることも譲ることもただの我慢に終わってしまう。長い目で見た先の展開を見据えられれば、今の屈辱や譲歩は次への足場に変わり得る。今の一歩を、その先にどうつながるかという視点で見直してみる価値がある。
この章句が説くこと
屈と伸戦略的忍耐長期的視点
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