人物志 / 釋爭
君子知屈之可以為伸,故含辱而不辭;知卑讓之可以勝敵,故下之而不疑。
新字:君子知屈之可以為伸,故含辱而不辞;知卑譲之可以勝敵,故下之而不疑。
書き下し
君子は屈するの以て伸と為す可きを知る、故に辱を含みて辞せず。卑讓の以て敵に勝つ可きを知る、故に之に下りて疑わず。
現代語訳
君子は、屈することがやがて伸びることにつながると知っているから、屈辱を受けても逃げずに耐える。へりくだり譲ることが結局は相手に勝つことにつながると知っているから、ためらうことなく一歩を譲る。
解説
一時的に屈することが後の伸びにつながり、へりくだることが結局は相手に勝つことにつながると知っているからこそ、屈辱にも耐え、ためらいなく譲ることができると劉劭は説く。目の前の屈辱や譲歩を、その場限りの負けとして受け止めてしまうと、耐えることも譲ることもただの我慢に終わってしまう。長い目で見た先の展開を見据えられれば、今の屈辱や譲歩は次への足場に変わり得る。今の一歩を、その先にどうつながるかという視点で見直してみる価値がある。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
屈と伸戦略的忍耐長期的視点
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『春秋左氏伝』襄公二十六年 子産、楚を禦がず冬、十月、楚子鄭を伐つ。鄭人將に之を禦がんとす。子產曰く、「晉・楚將に平らがんとし、諸侯將に和せんとす。楚王是の故に一たび來るに昧るのみ。逞くして歸らしむるに如かず。乃ち成り易からん。夫れ小人の性は、勇に釁き、禍に嗇り、以て其の性を足して、名を求むる者は、國家の利に非ざるなり。若何ぞ之に從はん」と。子展說び、寇を禦がず。十二月、乙酉、南里に入り、其の城を墮ち、樂氏に涉り、師之梁に門す。縣門發し、九人を獲たり。氾を涉りて歸る。而る後に許の靈公を葬る。衛人衛姬を晉に歸る。乃ち衛侯を釋す。君子是を以て平公の政を失ふを知る。晉の韓宣子周に聘す。王事を請はしむ。對へて曰く、「晉の士起將に時事を宰旅に歸せんとす。他事無し」と。王之を聞きて曰く、「韓氏其れ晉に昌阜ならんか。辭舊を失はず」と。齊人郟に城くの歲、其の夏、齊の烏餘廩丘を以て晉に奔る。衛の羊角を襲ひて之を取る。遂に我が高魚を襲ふ。大雨有り、其の竇より入り、其の庫に介して、以て其の城に登り、克ちて之を取る。又邑を宋に取る。是に於いて范宣子卒す。諸侯治むる能はず。趙文子政を為すに及び、乃ち卒に之を治む。文子晉侯に言ひて曰く、「晉盟主為り。諸侯或いは相侵さば、則ち討ちて其の地を歸さしむ。今烏餘の邑は、皆討類なり。而るに之を貪るは、是れ以て盟主為ること無きなり。請ふ之を歸さん」と。公曰く、「諾。孰か使ふべき」と。對へて曰く、「胥梁帶能く師を用ゐること無からん」と。晉侯往かしむ。
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『韓非子』喻老第二十一飛ぶ無しと雖も、飛べば必ず天に沖せん。鳴く無しと雖も、鳴けば必ず人を驚かさん。
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『春秋左氏伝』昭公元年 信を以て本と為す國家罷れず、民に謗讟無く、諸侯に怨み無く、天に大災無きは、子の力なり。令名有り。而るに之を終ふるに恥を以てせんことを、午や是れ懼る。吾子其れ以て戒めざるべからず」と。文子曰く、「武賜を受けたり。然れども宋の盟に、子木は人を禍するの心有り、武は人を仁するの心有り。是れ楚の晉に駕せし所以なり。今武猶ほ是の心なり。楚又僭を行ふも、害する所に非ざるなり。武將に信以て本と為し、循ひて之を行はんとす。譬へば農夫の如し。是れ穮し是れ蔉へば、饑饉有りと雖も、必ず豐年有り。且つ吾之を聞く、『能く信なれば人の下と為らず』と。吾未だ能くせざるなり。詩に曰く、『僭せず賊せざれば、則と為らざること鮮し』と。信なり。能く人の則と為る者は、人の下と為らず。吾能くせざるを是れ難しとす。楚は患ひと為らず」と。楚の令尹圍牲を用ゐて、舊書を讀み、牲の上に加へんのみと請ふ。晉人之を許す。
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言志四録・言志録 第百八十条 大体の是非、久遠の利害一物の是非を見て大体の是非を問はず、一時の利害に拘りて久遠の利害を察せず。政を為すこと此くの如くんば国危ふし。