智囊 / 知微・陳良謨
陳進士良謨,湖之安吉州人,居某村。正德二年,州大旱,各鄉顆粒無收,獨是村賴堰水大稔。州官概申災,得蠲租,明年又大水,各鄉田禾淹沒殆盡,是村頗高阜,又獨稔。州官又概申災,租又得免,且得買各鄉所鬻產及器皿諸物,價廉,獲利三倍,於是大小戶屑越宴樂,無日不爾。公語族人曰:「吾村當有奇禍。」問:「何也?」答曰:「無福消受耳,吾家與鬱、與張根基稍厚,猶或小可;彼俞、費、芮、李四小姓,恐不免也。」其叔兄殊不以為然。未幾,村大疫,四家男婦,死無孑遺,唯費氏僅存五六丁耳。叔兄憶公前言,動念,問公:「三家畢竟何如?」公曰:「雖無彼四家之甚,損耗終恐有之。」越一年,果陸續俱罹回祿。〔馮述評〕大抵冒越之利,鬼神所忌;而禍福倚伏,亦乘除之數。況又暴殄天物,宜其及也!
新字:陳進士良謨,湖之安吉州人,居某村。正徳二年,州大旱,各郷顆粒無収,独是村頼堰水大稔。州官概申災,得蠲租,明年又大水,各郷田禾淹没殆尽,是村頗高阜,又独稔。州官又概申災,租又得免,且得買各郷所鬻産及器皿諸物,価廉,獲利三倍,於是大小戸屑越宴楽,無日不爾。公語族人曰:「吾村当有奇禍。」問:「何也?」答曰:「無福消受耳,吾家与鬱、与張根基稍厚,猶或小可;彼兪、費、芮、李四小姓,恐不免也。」其叔兄殊不以為然。未幾,村大疫,四家男婦,死無孑遺,唯費氏僅存五六丁耳。叔兄憶公前言,動念,問公:「三家畢竟何如?」公曰:「雖無彼四家之甚,損耗終恐有之。」越一年,果陸続倶罹回禄。〔馮述評〕大抵冒越之利,鬼神所忌;而禍福倚伏,亦乗除之数。況又暴殄天物,宜其及也!
書き下し
陳進士良謨は、湖の安吉州の人にして、某村に居る。正徳二年、州に大旱あり、各郷は顆粒も収まる無し。独り是の村のみ堰水に頼りて大いに稔る。州官は概ね災いを申し、租を蠲くを得たり。明年又た大水あり、各郷の田禾は淹没して殆ど尽く。是の村は頗る高阜にして、又た独り稔る。州官又た概ね災いを申し、租又た免るるを得たり。且つ各郷の鬻ぐ所の産及び器皿の諸物を買うを得、価廉にして、利を獲ること三倍。是に於いて大小の戸は屑越として宴楽し、日として爾らざる無し。公、族人に語りて曰く、「吾が村に当に奇禍有るべし。」問う、「何ぞや。」答えて曰く、「福の消受する無きのみ。吾が家と鬱、張とは、根基稍や厚ければ、猶お或いは小可なり。彼の俞・費・芮・李の四小姓は、恐らく免れざらん。」其の叔兄殊に以て然りとせず。未だ幾ばくならずして、村に大疫あり。四家の男婦は死して孑遺無く、唯だ費氏のみ僅かに存する者五六丁なり。叔兄公の前言を憶い、動念して、公に問う、「三家は畢竟何如。」公曰く、「彼の四家の甚だしきに無しと雖も、損耗は終に恐らく之有らん。」一年を越えて、果たして陸続として俱に回禄に罹る。〔馮述評〕大抵、冒越の利は鬼神の忌む所にして、禍福の倚伏も亦た乗除の数なり。況んや又た暴殄天物においてをや。宜なり其の及べるや。
現代語訳
進士の陳良謨は、湖州安吉州の人で、ある村に住んでいた。正徳二年、州に大干ばつがあり、どの郷でも一粒の収穫もなかった。ただこの村だけは堰の水に頼って大豊作となった。州の役人は一律に災害を報告し、租税の免除を得た。翌年は大水があり、他の郷の田畑はほとんど水没したが、この村はかなり高台だったので、またこの村だけが豊作だった。州の役人はまた一律に災害を報告し、租税もまた免除された。しかも他の郷が売りに出した田産や器物を安く買うことができ、三倍の利益を得た。そこで村の大小の家は、気ままに宴を開いて楽しみ、日々それが絶えなかった。陳公は一族の者に語った。「この村にはきっと思いがけない禍がある。」「なぜですか」と問われ、答えた。「福を受けきれないのだ。我が家と鬱氏、張氏は基盤がやや厚いから、まだ軽くすむだろう。だが俞・費・芮・李の四つの小姓は、恐らく免れまい。」叔父や兄はまったくそう思わなかった。まもなく村に大疫病が起こり、四家の男女は一人残らず死に、費氏だけが五、六人生き残った。叔父や兄は公の言葉を思い出し、はっとして、公に問うた。「他の三家は結局どうなるのか。」公は言った。「あの四家ほどひどくはないが、損害はやはり恐らくあるだろう。」一年たつと、果たして次々に火災に遭った。〔馮夢龍の評〕おおよそ、分を越えた利益は鬼神が忌むものであり、禍福が互いに寄り添い隠れ合うのも、増減の理である。まして天からの恵みを粗末にしたならなおさらだ。その禍が及ぶのも当然である。
解説
この章句が説くこと
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