智囊 / 知微・嚴辛
分宜嚴相以正月二十八日誕,亭州劉巨塘令宜春,入覲時,隨眾往祝。祝後,嚴相倦,其子世蕃令門者且合門。劉不得出,飢甚。有嚴辛者,嚴氏紀綱僕也,導劉往間道過其私居,留劉公飯。飯已,辛曰:「他日望台下垂目。」劉公曰:「汝主正當隆赫,我何能為?」辛曰:「日不常午,願台下無忘今日之托。」不數年,嚴相敗,劉公適守袁州。辛方以贓二萬滯獄,劉公憶昔語,為減其贓若干,始得戍。〔馮述評〕嚴氏父子智不如此僕,趙文華、鄢懋卿輩智亦不如此僕,雖滿朝縉紳,智皆不如此僕也!
新字:分宜厳相以正月二十八日誕,亭州劉巨塘令宜春,入覲時,随衆往祝。祝後,厳相倦,其子世蕃令門者且合門。劉不得出,飢甚。有厳辛者,厳氏紀綱僕也,導劉往間道過其私居,留劉公飯。飯已,辛曰:「他日望台下垂目。」劉公曰:「汝主正当隆赫,我何能為?」辛曰:「日不常午,願台下無忘今日之托。」不数年,厳相敗,劉公適守袁州。辛方以贓二万滞獄,劉公憶昔語,為減其贓若干,始得戍。〔馮述評〕厳氏父子智不如此僕,趙文華、鄢懋卿輩智亦不如此僕,雖満朝縉紳,智皆不如此僕也!
書き下し
分宜の厳相、正月二十八日を以て誕す。亭州の劉巨塘、宜春に令たり、入覲の時、衆に随いて往きて祝す。祝し後、厳相倦み、其の子世蕃、門者をして且く門を合わせしむ。劉出づるを得ず、飢うること甚だし。厳辛なる者有り、厳氏の紀綱の僕なり。劉を導き間道より其の私居に過ぎらしめ、劉公を留めて飯せしむ。飯し已わりて、辛曰く、「他日望むらくは台下、目を垂れよ。」劉公曰く、「汝が主は正に隆赫に当たる。我何ぞ能く為さん。」辛曰く、「日は常には午ならず。願わくは台下今日の托を忘るる無かれ。」数年ならずして、厳相敗れ、劉公適たま袁州に守たり。辛は方に贓二万を以て獄に滞る。劉公昔の語を憶い、為に其の贓の若干を減ず。始めて戍せらるるを得たり。〔馮述評〕厳氏父子の智は此の僕に如かず。趙文華・鄢懋卿の輩の智も、亦た此の僕に如かず。満朝の縉紳と雖も、智は皆な此の僕に如かざるなり。
現代語訳
分宜の厳嵩の誕生日は正月二十八日であった。亭州の劉巨塘は宜春の県令で、上京して拝謁した際、他の人々に混じって祝いに行った。祝いが終わると、厳嵩が疲れ、その子の厳世蕃は門番に命じてしばらく門を閉めさせた。劉は出られず、ひどく空腹になった。厳辛という者がいた。厳家の執事長格の僕だった。劉を抜け道から自分の私宅に連れて行き、劉公を留めて食事をさせた。食べ終わると、厳辛は言った。「いつか閣下には、私に目をかけていただきたい。」劉公は言った。「あなたの主人は今まさに権勢の絶頂にある。私に何ができよう。」厳辛は言った。「日はいつも真昼ではありません。どうか閣下は今日の頼みごとをお忘れにならないでください。」数年とたたないうちに厳嵩は失脚し、劉公はちょうど袁州の知事になった。厳辛はそのとき、二万の賄賂の罪で獄に留め置かれていた。劉公は昔の言葉を思い出し、その賄賂の額を何割か減らしてやった。そのおかげでようやく辺境の守備に送られるだけで済んだ。〔馮夢龍の評〕厳氏父子の知恵はこの僕に及ばない。趙文華や鄢懋卿の輩の知恵もこの僕に及ばない。朝廷中の高官たちでさえも、知恵はみなこの僕に及ばない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』見大・嚴震厳震、山南に鎮するに、一人有りて銭三百千を乞い、以て過活せんとす。震、子の公弼らを召してこれを問う。公弼曰く、「此は風を患うるのみ。大人、必ずしもこれに応ぜず」と。震怒りて曰く、「爾必ず吾が門を墜さん。只だ吾に力めて善事を行うを勧むべきに、奈何ぞ吾に金帛を吝惜するを勧むるや。且つ此の人、弁ぜざらんに、吾に三百千を乞う、的に凡ならざるなり」と。左右に命じて数に準じてこれに与えしむ。是に於て三川の士、心を帰すること恐後し、亦た造次にして過求する者無し。〔馮述評〕天下の窮まり無き不肖の事は、皆な銭を捨て得ざるより起こる。天下の窮まり無き好事は、皆な銭を捨て得て做さる。古より銭を捨て得ざるの好人無きなり。呉の魯粛、唐の于頔、宋の范仲淹は、都て肯えて大いに手を開く者なり。西呉の董尚書潯陽公份は、家富みて交接に勤む。凡そ衣冠の過賓には、延礼して厚く贈らざる無し。その孫、礼部の青芝公嗣成は、詩字に工みにして、往往にして手書の扇軸及び詩稿を以て人に贈る。尚書これを聞きて曰く、「我が家の勢を以てして、日に金幣を以て歓を為すと雖も、猶お人望を塞がざるを恐る。奈何ぞ清客の行事に效うや。且つ縉紳の家は、自ずから局面有り。豈に復た詩字を以て人の憐れみを得んや。将来吾が家を破る者は、必ず此の子ならん」と。後、民変の事起こるに、尚書已に老い、青芝公は世故に諳んぜず、自ら処分せんことを願い、愚民の望む処、一たび集まれば千人、遂に破産を致す。人始めて尚書の先見に服す。
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『智囊』遠猶・劉大夏劉忠宣、粛州に戍せられ、貧しきこと甚だし。諸司は逆瑾を憚り、敢えて館穀する者無し。三学の生徒、輪ごとに之に食わしむ。参将某有り、使を遣わして餽を致し、其の使に敕して受けずんば返る勿かれと。公曰く、「吾は老い、唯だ一僕のみ、日食は数銭に過ぎず。若し之を受けば、僕は竊みて逃げ、隻身此に陥らざらんや」と。尋いで同戍の鍾尚書の橐資は、果たして僕に竊まれて逃げ、人は公の先識に服すと云う。〔馮述評〕本と受けんと欲せず、患いを慮るは乃ち第二義なり。曹公、官渡に在りて、華歆を召す。賓客の送る者千余人、贈遺数千、皆拒む所無く、密かに各おの題識す。去るに臨みて諸君に謂いて曰く、「本と相拒む心無きも、受くる所は遂に多し。単車遠行を念えば、懐璧を以て罪と為さん」と。乃ち贈る所を還し、衆其の徳に服す。忠宣は蓋し此に本づく。
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『智囊』小慧・劉貢父劉貢父は館職たり。節日に、同舎は人を遣わして書筒に門状を盛れ、遍く人家に散ぜしむ。劉は之を知り、乃ち遣わす所の人を呼びて別室に坐らしめ、犒うに酒餚を以てし、因りて書筒を取りて之を視る、凡そ己と一面の旧有る者は、尽く易うるに己の門状を以てす。其の人は既に飲食し、再三致謝し、遍く巷陌を走り、実は劉の為に刺を投ず、而して主人の刺は遂に已む。〔評〕事は小なりと雖も、却って是れ人を損じ己を利するなり。
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