都鄙問答 / 卷之二・或人親へ仕之事ヲ問之段
如何トナレバ、紂王ハ、我ヲ助ケ諫ル者ノ胸ヲサク、汝ハ家ヲ思フ手代ノ心ヲ痛リ、是忠義ノ者ヲ害フコト、紂王ニ、ナンゾ替リアラン、恐ベキコトナリ、人タル道ヲ以テ云バ、其一日遣費ス金銀ヲ、家内ノ者ニ惠バ、汝ガ志ヲ神ノ如クニ思フベシ、家内ノ者ニ、神ノ如クニ思ハレナバ、主人ノ法ト成ベキニ、汝ゴトキ者ハ、必ズ內ニテハ吝キモノナリ、兩親ハ是ヲ見テ、アノ細サニテハ、多分ノ金ハ遣フマジト思ヒ居テ、津波ニ値タル如ク、家屋鋪一度ニ取ルヽ時ノイタマシサヨ、扠又右ノコトヲ、供ノ小者ヤ男ドモハ、家內ニテ物語ハ致サズ候ヤ、
新字:如何トナレバ、紂王ハ、我ヲ助ケ諫ル者ノ胸ヲサク、汝ハ家ヲ思フ手代ノ心ヲ痛リ、是忠義ノ者ヲ害フコト、紂王ニ、ナンゾ替リアラン、恐ベキコトナリ、人タル道ヲ以テ云バ、其一日遣費ス金銀ヲ、家内ノ者ニ恵バ、汝ガ志ヲ神ノ如クニ思フベシ、家内ノ者ニ、神ノ如クニ思ハレナバ、主人ノ法ト成ベキニ、汝ゴトキ者ハ、必ズ内ニテハ吝キモノナリ、両親ハ是ヲ見テ、アノ細サニテハ、多分ノ金ハ遣フマジト思ヒ居テ、津波ニ値タル如ク、家屋鋪一度ニ取ルヽ時ノイタマシサヨ、扠又右ノコトヲ、供ノ小者ヤ男ドモハ、家内ニテ物語ハ致サズ候ヤ、
書き下し
如何となれば、紂王は、我を助け諫むる者の胸をさく。汝は家を思ふ手代の心を痛ましむ。是忠義の者を害ふこと、紂王に、なんぞ替りあらん。恐るべきことなり。人たる道を以て云はゞ、其一日遣ひ費す金銀を、家内の者に恵まば、汝が志を神の如くに思ふべし。家内の者に、神の如くに思はれなば、主人の法と成るべきに、汝ごとき者は、必ず内にては吝きものなり。両親は是を見て、あの細さにては、多分の金は遣ふまじと思ひ居て、津波に値ひたる如く、家屋鋪一度に取らるゝ時のいたましさよ。扠又右のことを、供の小者や男どもは、家内にて物語は致さず候や。
現代語訳
「なぜなら、紂王は自分を助け諫める者の胸を裂きました。あなたは家を思う手代の心を痛めつけています。忠義の者を損なう点で、紂王と何の違いがあるでしょう。恐ろしいことです。人としての道から言えば、一日で使い果たすその金を家の者に恵めば、みなあなたの志を神のように思うでしょう。家の者に神のように思われれば、主人の手本となれるのに、あなたのような者は、決まって家の中ではけちなものです。両親はそれを見て、あの細かさなら大金は使うまいと思っているうちに、津波にあったように家屋敷を一度に取られる。そのときの痛ましさといったら。さて、このことを、お供の小者や下男たちは家の中で話さないのですか。」
解説
この章句が説くこと
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『学問のすゝめ』十六編・手近く独立を守ること・銭を制して銭に制せられずかかる夢中の世渡りに心を労し、身を役し、一年千円の歳入も、一月百円の月給も、遣い果たしてその跡を見ず、不幸にして家産歳入の路を失うか、または月給の縁に離るることあれば、気抜けのごとく、間抜けのごとく、家に残るものは無用の雑物、身に残るものは奢侈の習慣のみ。憐れと言うもなおおろかならずや。産を立つるは一身の独立を求むるの基なりとて心身を労しながら、その家産を処置するの際に、かえって家産のために制せられて独立の精神を失い尽くすとは、まさにこれを求むるの術をもってこれを失うものなり。余輩あえて守銭奴の行状を称誉するにあらざれども、ただ銭を用うるの法を工夫し、銭を制して銭に制せられず、毫も精神の独立を害することなからんを欲するのみ。
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『呻吟語』外篇・治道・要他何用而今民窮し財盡くるの時に當たり、動もすれば礦稅の害を稱す。以為へらく事君父に幹り、之を諫むるも行はれずんば、總て無可奈何に付すと。吾且く吾輩の民を安んじ用を節して以て自ら便とする者に就きて之を言はん。飲食腹に入るは、三分の銀もて之を用ひて盡きず。而るに食前方丈は、總て暴殄に屬す。他を要して何の用ぞ。僕隸二人、三十里として肉食せざる無き者は、飯桌を程せず、他を要して何の用ぞ。轎扛人夫、吏書馬匹は、寬然として餘り有り。而るに鼓吹旌旗は、他を要して何の用ぞ。下に莞し上に簟し、公座圍裙は、盡く物采を章にせり。而るに滿房に氈を鋪くは、他を要して何の用ぞ。上司新たに到らば、須らく參謁すべし。而るに節壽の日、各州懸の幣帛下程、庭に充ち門に盈つるは、他を要して何の用ぞ。前呼後擁、百人を減ぜず、巡捕聽事、官吏を缺かず。而るに司道府官の交界送接、到る處に追隨するは、他を要して何の用ぞ。隨巡の司道、拜揖の外、筵を張り互ひに款し、期會遑あらず。而るに帶道の文卷盡く取りて抬隨し、帶道の書吏盡く人をして跟隨せしむるは、他を要して何の用ぞ。官官此の如く、在在此の如し。民間の節省、一歲盡く多し。此れ豈に朝廷之を令して此の如くならざるを得ざらんや。吾輩以て深く省みる可し。
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