茶の本 / 第六章 花・西洋の社会における花の浪費
西洋の社会における花の浪費は東洋の宗匠の花の扱い方よりもさらに驚き入ったものである。舞踏室や宴会の席を飾るために日々切り取られ、翌日は投げ捨てられる花の数はなかなか莫大なものに違いない。いっしょにつないだら一大陸を花輪で飾ることもできよう。このような、花の命を全く物とも思わぬことに比ぶれば、花の宗匠の罪は取るに足らないものである。彼は少なくとも自然の経済を重んじて、注意深い慮りをもってその犠牲者を選び、死後はその遺骸に敬意を表する。西洋においては、花を飾るのは富を表わす一時的美観の一部、すなわちその場の思いつきであるように思われる。これらの花は皆その騒ぎの済んだあとはどこへ行くのであろう。しおれた花が無情にも糞土の上に捨てられているのを見るほど、世にも哀れなものはない。
書き下し
西洋の社会における花の浪費は、東洋の宗匠の花の扱い方よりもさらに驚き入ったものである。舞踏室や宴会の席を飾るために日々切り取られ、翌日は投げ捨てられる花の数は、なかなか莫大なものに違いない。いっしょにつないだら一大陸を花輪で飾ることもできよう。このような、花の命を全く物とも思わぬことに比ぶれば、花の宗匠の罪は取るに足らないものである。彼は少なくとも自然の経済を重んじて、注意深い慮りをもってその犠牲者を選び、死後はその遺骸に敬意を表する。西洋においては、花を飾るのは富を表わす一時的美観の一部、すなわちその場の思いつきであるように思われる。これらの花は皆その騒ぎの済んだあとはどこへ行くのであろう。しおれた花が無情にも糞土の上に捨てられているのを見るほど、世にも哀れなものはない。
現代語訳
西洋の社会における花の浪費は、東洋の宗匠の花の扱い方よりもさらに驚くべきものです。舞踏室や宴会の席を飾るために日々切り取られ、翌日には投げ捨てられる花の数は、なかなか莫大なものに違いありません。全部つなげば一つの大陸を花輪で飾ることもできるでしょう。このように花の命をまったく物とも思わないことに比べれば、花の宗匠の罪は取るに足らないものです。彼は少なくとも自然の経済を重んじて、注意深い配慮をもって犠牲者を選び、死後はその遺骸に敬意を表します。西洋においては、花を飾るのは富を表す一時的な美観の一部、すなわちその場の思いつきのように思われます。これらの花は皆、騒ぎが済んだあとどこへ行くのでしょう。しおれた花が無情に汚れた土の上に捨てられているのを見るほど、世に哀れなものはありません。
解説
この章句が説くこと
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