学問のすゝめ / 七編・国民の職分を論ず・思案にも及ばず快く運上を払うべき
世上の有様を見るに、普請に金を費やす者あり、美服美食に力を尽くす者あり、はなはだしきは酒色のために銭を棄てて身代を傾くる者もあり、これらの費えをもって運上の高に比較しなば、もとより同日の話にあらず、不筋の金なればこそ一銭をも惜しむべけれども、道理において出だすべきはずのみならず、これを出だして安きものを買うべき銭なれば、思案にも及ばず快く運上を払うべきなり。
書き下し
世上の有様を見るに、普請に金を費やす者あり、美服美食に力を尽くす者あり、はなはだしきは酒色のために銭を棄てて身代を傾くる者もあり、これらの費えをもって運上の高に比較しなば、もとより同日の話にあらず、不筋の金なればこそ一銭をも惜しむべけれども、道理において出だすべきはずのみならず、これを出だして安きものを買うべき銭なれば、思案にも及ばず快く運上を払うべきなり。
現代語訳
世の中のありさまを見ると、普請に金を費やす者があり、美しい衣服や食事に力を尽くす者があり、甚だしきは酒色のために銭を捨てて身代を傾ける者もあります。これらの浪費を税額と比べれば、もとより同列に語れるものではありません。筋の通らない金だからこそ一銭も惜しむべきですが、道理として出すべきものであるうえ、これを出して安いものを買える銭ですから、思案にも及ばず、快く税を払うべきなのです。
解説
税を惜しむ人が、普請や衣食や酒色には金を使っている、という対比です。金額の大きさではなく筋の通り方で比べるのが要で、筋の通らない金だからこそ惜しめ、と言います。裏を返せば、筋の通った出費は額を惜しむ対象ではない。快く払え、という結びは押しつけに見えますが、前段の計算が先にあるので、納得の上での気前よさとして読めるようになっています。
この章句が説くこと
浪費対比筋納得支出
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