智囊 / 知微・萬二
洪武初,嘉定安亭萬二,元之遺民也,富甲一郡。嘗有人自京回,問其何所見聞,其人曰:「皇帝近日有詩曰:『百僚未起朕先起,百僚已睡朕未睡。不如江南富足翁,日高丈五猶披被。』」二歎曰:「兆已萌矣。」即以家貲付托諸僕乾掌之,買巨航,載妻子,泛游湖湘而去。不二年,江南大族以次籍沒,獨此人獲令終。
新字:洪武初,嘉定安亭万二,元之遺民也,富甲一郡。嘗有人自京回,問其何所見聞,其人曰:「皇帝近日有詩曰:『百僚未起朕先起,百僚已睡朕未睡。不如江南富足翁,日高丈五猶披被。』」二嘆曰:「兆已萌矣。」即以家貲付托諸僕乾掌之,買巨航,載妻子,泛游湖湘而去。不二年,江南大族以次籍没,独此人獲令終。
書き下し
洪武の初め、嘉定の安亭の万二は、元の遺民にして、富は一郡に甲たり。嘗て人の京より回る有り。其の何をか見聞せしかを問う。其の人曰く、「皇帝は近日詩有り。『百僚未だ起きざるに朕先ず起き、百僚已に睡るに朕未だ睡らず。如かず江南の富足の翁の、日高きこと丈五にして猶お被を披るに。』」二歎じて曰く、「兆し已に萌せり。」即ち家貲を以て諸僕の乾掌に付托し、巨航を買い、妻子を載せて湖湘に泛游して去る。二年ならずして、江南の大族は次を以て籍没せられ、独り此の人のみ令終を獲たり。
現代語訳
洪武の初め、嘉定の安亭にいた万二は、元の遺民で、その富は一郡で第一だった。ある日、都から帰った人がいたので、何を見聞きしたかをたずねた。その人は言った。「皇帝は近ごろ詩を作られました。『群臣がまだ起きないうちに朕は先に起き、群臣がもう寝ているのに朕はまだ寝ない。江南の裕福な老人が、日が高く昇ってもまだ布団をかぶっているのにはかなわない』と。」万二は嘆いて言った。「兆しがもう現れた。」すぐに家産を信頼できる僕たちに預けて管理させ、大きな船を買い、妻子を乗せて湖南や湘江一帯へ旅に出て去った。二年とたたないうちに、江南の大きな家柄の者たちは次々と財産を没収されたが、ただこの人だけは天寿を全うした。
解説
この章句が説くこと
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