智囊 / 知微・王禹偁・何心隱
丁謂詩有「天門九重開,終當掉臂入」,王禹偁讀之,曰:「入公門,鞠躬如也。」天門豈可掉臂入乎?此人必不忠。」後如其言。何心隱,嘉、隆間大俠也,而以講學為名。善御史耿定向,游京師與處。適翰林張居正來訪,何望見便走匿。張聞何在耿所,請見之。何辭以疾。張少坐,不及深語而去。耿問不見江陵之故,何曰:「此人吾畏之。」耿曰:「何為也?」何曰:「此人能操天下大柄。」耿不謂然。何又曰:「分宜欲滅道學而不能,華亭欲興道學而不能;能興滅者,此子也。子識之,此人當殺我!」後江陵當國,以其聚徒亂政,卒捕殺之。〔馮述評〕心隱一見江陵,便知其必能操柄,又知其當殺我,可謂智矣。卒以放浪不檢,自陷罟獲,何哉?王弇州《朝野異聞》載,心隱嘗游吳興,幾誘其豪為不軌;又其友呂光多游蠻中,以兵法教其酋長。然則心隱之死非枉也,而李卓吾猶以不能容心隱為江陵罪,豈正論乎?
新字:丁謂詩有「天門九重開,終当掉臂入」,王禹偁読之,曰:「入公門,鞠躬如也。」天門豈可掉臂入乎?此人必不忠。」後如其言。何心隠,嘉、隆間大侠也,而以講学為名。善御史耿定向,游京師与処。適翰林張居正来訪,何望見便走匿。張聞何在耿所,請見之。何辞以疾。張少坐,不及深語而去。耿問不見江陵之故,何曰:「此人吾畏之。」耿曰:「何為也?」何曰:「此人能操天下大柄。」耿不謂然。何又曰:「分宜欲滅道学而不能,華亭欲興道学而不能;能興滅者,此子也。子識之,此人当殺我!」後江陵当国,以其聚徒乱政,卒捕殺之。〔馮述評〕心隠一見江陵,便知其必能操柄,又知其当殺我,可謂智矣。卒以放浪不検,自陥罟獲,何哉?王弇州《朝野異聞》載,心隠嘗游呉興,幾誘其豪為不軌;又其友呂光多游蠻中,以兵法教其酋長。然則心隠之死非枉也,而李卓吾猶以不能容心隠為江陵罪,豈正論乎?
書き下し
丁謂の詩に「天門九重開き、終に当に臂を掉りて入るべし」有り。王禹偁之を読みて曰く、「公門に入るには、鞠躬如たり。天門豈に臂を掉りて入るべけんや。此の人必ず忠ならず。」後に其の言の如し。何心隠は、嘉・隆の間の大侠にして、講学を以て名と為す。御史耿定向と善く、京師に游びて与に処る。適たま翰林張居正来たりて訪う。何、望み見て便ち走りて匿る。張、何が耿の所に在るを聞き、見えんことを請う。何、辞するに疾を以てす。張少しく坐し、深く語るに及ばずして去る。耿、江陵を見ざる故を問う。何曰く、「此の人は吾之を畏る。」耿曰く、「何為れぞ。」何曰く、「此の人は能く天下の大柄を操る。」耿、然りとせず。何又た曰く、「分宜は道学を滅ぼさんと欲して能わず、華亭は道学を興さんと欲して能わず。能く興滅する者は、此の子なり。子之を識せ。此の人当に我を殺すべし。」後に江陵国に当たり、其の徒を聚めて政を乱すを以て、卒に之を捕えて殺す。〔馮述評〕心隠、一たび江陵を見て、便ち其の必ず能く柄を操るを知り、又た其の当に我を殺すべきを知る。智と謂うべし。卒に放浪不検を以て、自ら罟獲に陥るは何ぞや。王弇州『朝野異聞』に載す、心隠嘗て呉興に游び、幾ど其の豪を誘いて不軌を為さんとす。又た其の友呂光は多く蛮中に游び、兵法を以て其の酋長に教う。然らば則ち心隠の死は枉げられたるに非ざるなり。而るに李卓吾猶お心隠を容れざるを以て江陵の罪と為す。豈に正論ならんや。
現代語訳
丁謂の詩に「天の門は九重に開かれ、いずれ腕を振って堂々と入ってやる」という句があった。王禹偁はこれを読んで言った。「諸侯の門に入るときでさえ、身を屈めて恐れ慎むものだ(『論語』)。まして天子の門を腕を振って入ってよいものか。この男は必ず不忠者になる。」のちにその言葉どおりになった。何心隠は嘉靖・隆慶年間の大侠客で、学問を講ずることを看板にしていた。御史の耿定向と親しく、都で一緒に暮らしていた。たまたま翰林の張居正が訪ねて来たとき、何心隠は遠くから見るなり走って隠れた。張居正は何心隠が耿の家にいると聞いて会いたいと申し入れたが、何心隠は病気を理由に断った。張居正は少し座っただけで、深い話もせずに帰った。耿が会わなかった理由をたずねると、何心隠は「あの人は私が恐れる人物だ」と言った。耿が「なぜか」と問うと、「あの人は天下の大権を握る人だ」と言う。耿は納得しなかった。何心隠はさらに言った。「厳嵩(分宜)は道学を滅ぼそうとして果たせず、徐階(華亭)は道学を興そうとして果たせなかった。興すことも滅ぼすこともできるのは、この人だ。覚えておきなさい。この人は私を殺すだろう。」のちに張居正(江陵)が政権を握ると、何心隠が門徒を集めて政治を乱したという理由で、ついに捕らえて殺した。〔馮夢龍の評〕何心隠は、張居正に一度会っただけで、必ず大権を握ることを知り、さらに自分が殺されることまで知った。智者といってよい。それなのに、結局は身勝手で慎みがなく、自ら網にかかったのはどうしてか。王世貞の『朝野異聞』には、何心隠がかつて呉興に遊んだとき、土地の豪族をそそのかして謀反を企てさせかけたこと、また友人の呂光がたびたび蛮地に行って、兵法をその首長に教えたことが記されている。そうだとすれば、何心隠の死は無実の罪ではない。それなのに李卓吾はなお、何心隠を許容しなかったことを張居正の罪とするが、どうして正しい議論といえよう。
解説
この章句が説くこと
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説苑・說叢夫れ小快は義を害し、小慧は道を害し、小辨は治を害す。苟しくも心德を傷めば、大政險ならず。蛟龍神なりと雖も、白日を以て其の倫を去る能わず。飄風疾しと雖も、陰雨を以て其の塵を揚ぐる能わず。邑の名勝母には、曾子入らず。水の名盜泉には、孔子飲まず。其の聲を醜めばなり。婦人の口は以て走を出だすべく、婦人の喙は以て死敗すべし。
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説苑・君道孔子曰く、「文王は元年に似、武王は春王に似、周公は正月に似たり。文王は王季を以て友と為し、太任を以て母と為し、太姒を以て妃と為し、武王周公を以て子と為し、泰顛閎夭を以て臣と為す、其の本美なり。武王其の身を正して以て其の国を正し、其の国を正して以て天下を正す。無道を伐ち、罪有るを刑し、一動して天下正し、其の事正しきなり。春は其の時を致して万物皆生に及ぶ。君は其の道を致して万人皆治に及ぶ。周公己を戴きて天下之に順う、其の誠至れり」と。
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史記 管晏列伝晏平仲嬰は、莱の夷維の人なり。斉の霊公・荘公・景公に事へ、節倹・力行を以て斉に重んぜらる。既に斉に相たりて、食に肉を重ねず、妾に帛を衣せず。其の朝にあるや、君の語之に及べば、即ち言を危くし、語及ばざれば、即ち行ひを危くす。国に道有れば、即ち命に順ひ、道無ければ、即ち命を衡る。此れを以て三世、名を諸侯に顕す。
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説苑・立節宋の康公阿を攻め、単父を屠る。成公趙曰わく、「始め吾自ら知らざりき、以為えらく千乗に在らば則ち万乗も敢えて伐たず、万乗に在らば則ち天下も敢えて図らずと。今趙阿に在りて宋単父を屠る、則ち是れ趙以て自ら立つ無きなり。且つ往きて宋を誅せん」と。趙遂に宋に入り、三月見ゆるを得ず。或ひと曰わく、「何ぞ隣国の使いに因りて之に見えざる」と。成公趙曰わく、「不可なり。吾隣国の使いに因りて之を刺さば、則ち後世の使いをして信ぜられざらしめ、節を荷う信用いられず、皆趙之をして然らしむと曰わん。不可なり」と。或ひと曰わく、「何ぞ群臣道徒処の士に因りて之を刺さざる」と。成公趙曰わく、「不可なり。吾群臣道徒処の士に因りて之を刺さば、則ち後世の臣信ぜられず、辯士顧られず、皆趙之をして然らしむと曰わん。不可なり。吾聞く、古の士怒れば則ち理を思い、危うくして義を忘れず、必ず将に行いを正して以て之を求めんとするのみと」と。期年、宋の康公病みて死す。成公趙曰わく、「廉士は名を辱めず、信士は行いを惰らず。今吾阿に在りて、宋単父を屠る、是れ名を辱むるなり。宋王を誅せんことを事とし、期年にして得ず、是れ行いを惰るなり。吾是くの如くにして生くれば、何の面目ありて天下の士に見えん」と。遂に槁を彭山の上に立つ。
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『春秋左氏伝』文公二年 狼瞫、死所を得る瞫曰く、「《周志》に之れ有り、『勇にして則ち上を害するは、明堂に登らず』と。死して義ならざるは、勇に非ざるなり。共に用ゐらるる之を勇と謂ふ。吾勇を以って右を求む。勇無くして黜けらるるは、亦た其の所なり。上我を知らずと謂ふも、黜けられて宜ならば、乃ち我を知るなり。子姑く之を待て」と。彭衙に及びて既に陳し、其の屬を以って秦の師に馳せ、焉に死す。晉の師之に從ひ、大いに秦の師を敗る。君子謂ふ、狼瞫是に於いてか君子なり、と。《詩》に曰く、「君子如し怒らば、亂庶(こひねが)はくは遄(すみ)やかに沮(や)まん」と。又曰く、「王赫として斯れ怒り、爰に其の旅を整ふ」と。怒りて亂を作さず、而して以って師に從ふ、君子と謂ふ可し。秦伯猶ほ孟明を用ふ。孟明增して國政を脩め、重ねて民に施す。趙成子諸大夫に言ひて曰く、「秦の師又至らば、將に必ず之を辟けんとす。懼れて德を增す、當たる可からざるなり。《詩》に曰く、『爾が祖を念ふ毋からんや、聿(ここ)に厥の德を脩む』と。孟明之を念へり。德を念ひて怠らず、其れ敵す可けんや」と。
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