智囊 / 知微・隰斯彌
隰斯彌見田成子,田成子與登台四望,三面皆暢,南望,隰子家之樹蔽之,田成子亦不言。隰子歸,使人伐之,斧才數創,隰子止之,其相室曰:「何變之數也?」隰子曰:「諺云:「知淵中之魚者不祥。」田子將有事,事大而我示之知微,我必危矣,不伐樹,未有罪也。知人之所不言,其罪大矣,乃不伐也。」〔馮述評〕又是隰斯彌一重知微處。
新字:隰斯弥見田成子,田成子与登台四望,三面皆暢,南望,隰子家之樹蔽之,田成子亦不言。隰子帰,使人伐之,斧才数創,隰子止之,其相室曰:「何変之数也?」隰子曰:「諺云:「知淵中之魚者不祥。」田子将有事,事大而我示之知微,我必危矣,不伐樹,未有罪也。知人之所不言,其罪大矣,乃不伐也。」〔馮述評〕又是隰斯弥一重知微処。
書き下し
隰斯弥が田成子に見えると、田成子は与に台に登って四望した。三面は皆暢びていたが、南を望むと、隰子の家の樹がこれを蔽っていた。田成子もまた言わなかった。隰子は帰って、人を使ってこれを伐らせた。斧がわずかに数創つけたところで、隰子はこれを止めた。その相室は曰く、「どうして変ずることの数なのですか」と。隰子は曰く、「諺に言う、『淵中の魚を知る者は不祥』と。田子は将に事を為そうとしている。事が大きいのに我がこれに微を知ることを示せば、我は必ず危うい。樹を伐らなければ、まだ罪は無い。人の言わざる所を知るのは、その罪は大きい。そこで伐らなかったのである」と。〔馮述評〕また隰斯弥の一重の知微の処である。
現代語訳
隰斯弥が田成子を訪ねると、田成子は一緒に高殿に登って四方を眺めた。三方はすべて見晴らしがよかったが、南を望むと、隰斯弥の家の樹が視界をさえぎっていた。田成子もそのことには何も言わなかった。隰斯弥は帰ると、人を使ってその樹を伐らせようとした。斧で数回傷をつけたところで、隰斯弥はやめさせた。家老が言った。「どうして急に考えを変えるのですか」。隰斯弥は答えた。「諺に言う、『深い淵の魚を見抜く者は不吉である』と。田子はこれから大事を起こそうとしている。大事を企てているのに、私が微かな兆しを察したことを示せば、私は必ず危うい。樹を伐らなければ、まだ罪はない。人が口に出さないことを知るのは、罪が大きい。だから伐らなかったのだ」。〔馮夢龍の評〕これもまた隰斯弥の、もう一重の知微のところである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
史記 呂太后本紀孝恵此を以て日々飲みて淫楽を為し、政を聴かず、故に病有るなり。二年、楚の元王・斉の悼恵王皆来朝す。十月、孝恵斉王と太后の前に燕飲す、孝恵以為へらく斉王は兄なりと、上坐に置き、家人の礼の如くす。太后怒り、乃ち両卮の酖を酌みて、前に置かしめ、斉王をして起ちて寿を為さしむ。斉王起つ、孝恵も亦起ち、卮を取りて倶に寿を為さんと欲す。太后乃ち恐れ、自ら起ちて孝恵の卮を泛(くつがへ)す。斉王之を怪しみ、因りて敢へて飲まず、詳(いつは)り酔ひて去る。問ひて、其の酖なるを知る、斉王恐れ、自ら以為へらく長安を脱するを得ずと、憂ふ。斉の内史士王に説きて曰く、「太后は独り孝恵と魯元公主とを有つ。今王は七十余城を有ち、而して公主は乃ち数城を食む。王誠に一郡を以て太后に上り、公主の湯沐の邑と為さば、太后必ず喜び、王必ず憂ひ無からん。」と。是に於て斉王乃ち城陽の郡を上り、公主を尊びて王太后と為す。呂后喜び、之を許す。乃ち斉の邸に置酒し、楽しみ飲み、罷みて、斉王を帰す。三年、方に長安城を築く、四年に半ばを就し、五年六年に城就る。諸侯来会す。十月朝賀す。七年秋八月戊寅、孝恵帝崩ず。喪を発す、太后哭すれども、泣下らず。留侯の子張辟彊侍中為り、年十五、丞相に謂ひて曰く、「太后は独り孝恵を有つのみ、今崩じて、哭すれども悲しまず、君其の解を知るか。」と。丞相曰く、「何の解ぞ。」と。辟彊曰く、「帝に壮子毋し、太后君等を畏る。君今請ひて呂台・呂産・呂禄を拝して将と為し、兵を将ゐて南北軍に居らしめ、及び諸呂皆宮に入り、中に居りて事を用ゐしめよ、此くの如くならば則ち太后の心安んじ、君等幸ひに禍を脱するを得ん。」と。丞相乃ち辟彊の計の如くす。太后説び、其の哭乃ち哀し。呂氏の権此より起こる。乃ち天下に大赦す。九月辛丑、葬る。太子即位して帝と為り、高廟に謁す。元年、号令一に太后より出づ。
-
史記 范雎蔡沢列伝此の時に当たり、秦の昭王、謁者王稽を魏に使はす。鄭安平詐りて卒と為り、王稽に侍す。王稽問ふ、「魏に賢人の与に倶に西游すべき者有るか」と。鄭安平曰く、「臣の里中に張禄先生有り、君に見えて天下の事を言はんと欲す。その人仇有り、敢へて昼見えず」と。王稽曰く、「夜与に倶に来たれ」と。鄭安平、夜張禄と王稽に見ゆ。語未だ究まらざるに、王稽、范睢の賢なるを知り、謂ひて曰く、「先生、我を三亭の南に待て」と。私かに約して去る。王稽、魏を辞して去り、過りて范睢を載せて秦に入る。湖に至り、車騎の西より来たるを望見す。范睢曰く、「彼の来たる者は誰と為す」と。王稽曰く、「秦の相穣侯、東して県邑を行く」と。范睢曰く、「吾聞く、穣侯は秦の権を専らにし、諸侯の客を内るるを悪むと。此れ恐らくは我を辱めん、我寧ろ且く車中に匿れん」と。頃有りて、穣侯果たして至り、王稽を労ひ、因りて車を立てて語りて曰く、「関東に何の変か有る」と。曰く、「有る無し」と。また王稽に謂ひて曰く、「謁君、諸侯の客子と倶に来たること無きを得んや。益無し、徒らに人の国を乱すのみ」と。王稽曰く、「敢へてせず」と。即ち別れ去る。范睢曰く、「吾聞く、穣侯は智士なり、その事を見ること遅し。郷者車中に人有るを疑ひて、これを索むることを忘る」と。是に於いて范睢車を下りて走りて曰く、「此れ必ずこれを悔いん」と。行くこと十余里、果たして騎をして還りて車中を索めしむ、客無し、乃ち已む。王稽遂に范睢と咸陽に入る。已に使ひを報じ、因りて言ひて曰く、「魏に張禄先生有り、天下の弁士なり。曰く『秦王の国は累卵より危ふし、臣を得ば則ち安からん。然れども書を以て伝ふべからず』と。臣故に載せて来たる」と。秦王信ぜず、舎して食はしむるに草具を以てす。命を待つこと歳余。是の時に当たり、昭王已に立つこと三十六年。南のかた楚の鄢郢を抜き、楚の懐王秦に幽死す。秦東のかた斉を破る。湣王嘗て帝と称し、後これを去る。数々三晋を困しむ。天下の弁士を厭ひ、信ずる所無し。
-
人物志・八觀天下の至精に非ずんば、其れ孰か能く其の実を得んや。
-
人物志・八觀八に曰く、其の聡明を観て、以て達する所を知る。
-
史記 呉太伯世家頌を歌ふ。曰く、「至れるかな。直にして倨らず、曲にして詘せず、近くして偪らず、遠くして攜れず、遷りて淫せず、復りて厭かず、哀しみて愁へず、楽しみて荒まず、用ひて匱しからず、広くして宣べず、施して費さず、取りて貪らず、処りて厎まらず、行きて流れず。五声和し、八風平らかに、節に度有り、守に序有り、盛徳の同じき所なり」と。象箾・南籥を舞ふ者を見て、曰く、「美なるかな、猶ほ感有り」と。大武を舞ふを見て、曰く、「美なるかな、周の盛んなるや其れ此の若きか」と。韶護を舞ふ者を見て、曰く、「聖人の弘きも、猶ほ慚徳有り、聖人の難きなり」と。大夏を舞ふを見て、曰く、「美なるかな、勤めて徳とせず。禹に非ずんば其れ誰か能く之に及ばん」と。招箾を舞ふを見て、曰く、「徳至れるかな、大なるかな。天の燾はざる無きが如く、地の載せざる無きが如し。甚だ盛徳なりと雖も、以て加ふる無し。観止まれり。若し他の楽有るも、吾敢て観ず」と。魯を去り、遂に斉に使す。晏平仲に説きて曰く、「子速やかに邑と政とを納めよ。邑無く政無くんば、乃ち難を免れん。斉国の政は将に帰する所有らんとす。未だ帰する所を得ざれば、難未だ息まざるなり」と。故に晏子は陳桓子に因りて以て政と邑とを納め、是を以て欒・高の難を免る。斉を去り、鄭に使す。子産に見ゆること、旧交の如し。子産に謂ひて曰く、「鄭の執政侈る。難将に至らんとし、政は必ず子に及ばん。子政を為さば、慎むに礼を以てせよ。然らずんば、鄭国将に敗れんとす」と。鄭を去り、衛に適く。蘧瑗・史狗・史鰍・公子荊・公叔発・公子朝に説びて曰く、「衛には君子多し、未だ患有らざるなり」と。衛より晋に如き、将に宿に舎らんとして、鍾の声を聞き、曰く、「異なるかな。吾之を聞く、辯にして徳あらざれば、必ず戮に加へらると。夫子、罪を君に獲て以て此に在り。懼るるも猶ほ足らず、而るを又以て畔す可けんや。夫子の此に在るは、猶ほ燕の幕に巣くふがごとし。君、殯に在りて以て楽しむ可けんや」と。遂に之を去る。文子之を聞き、終身琴瑟を聴かず。晋に適き、趙文子・韓宣子・魏献子に説びて曰く、「晋国は其れ三家に萃まらんか」と。将に去らんとして、叔向に謂ひて曰く、「吾子之を勉めよ。君侈りて良多く、大夫皆富み、政は将に三家に在らんとす。吾子は直なり、必ず自ら難を免れんことを思へ」と。
-
史記 黥布列伝山東は漢の有に非ざるなり。中計に出でば、勝敗の数未だ知るべからざるなり。下計に出でば、陛下枕を安んじて臥せん」と。上曰く、「何をか上計と謂ふ」と。令尹対へて曰く、「東のかた呉を取り、西のかた楚を取り、斉を并せ魯を取り、檄を燕・趙に伝へ、固く其の所を守らば、山東は漢の有に非ざるなり」と。「何をか中計と謂ふ」と。「東のかた呉を取り、西のかた楚を取り、韓を并せ魏を取り、敖庾の粟に拠り、成皋の口を塞がば、勝敗の数未だ知るべからざるなり」と。「何をか下計と謂ふ」と。「東のかた呉を取り、西のかた下蔡を取り、重を越に帰し、身は長沙に帰せば、陛下枕を安んじて臥し、漢事無からん」と。上曰く、「是の計将に安くにか出でんとす」と。令尹対へて曰く、「下計に出でん」と。上曰く、「何の謂ぞ上中計を廃して下計に出づるとは」と。令尹曰く、「布は故の麗山の徒なり。自ら万乗の主に致る。此れ皆身の為にして、後に百姓万世の為に慮ることを顧みざる者なり。故に下計に出づと曰ふ」と。上曰く、「善し」と。薛公に千戸を封ず。乃ち皇子長を立てて淮南王と為す。上遂に兵を発し、自ら将として東のかた布を撃つ。布の初めて反するや、其の将に謂ひて曰く、「上老いたり、兵を厭ふ。必ず来たる能はず。諸将をして使はしめん。諸将は独り淮陰・彭越を患ふるのみ。今皆已に死せり。余は畏るるに足らざるなり」と。故に遂に反す。果して薛公の之を籌るが如く、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る