智囊 / 知微・智過・絺疵
張孟談因朝智伯而出,遇智過轅門之外,智過入見智伯曰:「二主殆將有變?」君曰:「何如?」對曰:「臣遇孟談於轅門之外,其志矜,其行高。」智伯曰:「不然。吾與二主約謹矣,破趙,三分其地,必不欺也,子勿出於口。」智過出見二主,入說智伯曰:「二主色動而意變,必背君,不如今殺之。」智伯曰:「兵著晉陽三年矣,旦暮當拔而饗其利,乃有他心,不可。子慎勿復言。」智過曰:「不殺,則遂親之。」智伯曰:「親之奈何?」智過曰:「魏桓子之謀臣曰趙葭,韓康子之謀臣曰段規,是皆能移其君之計。君其與二君約:破趙,則封二子者各萬家之縣一。如是,則二主之心可不變,而君得其所欲矣。」
新字:張孟談因朝智伯而出,遇智過轅門之外,智過入見智伯曰:「二主殆将有変?」君曰:「何如?」対曰:「臣遇孟談於轅門之外,其志矜,其行高。」智伯曰:「不然。吾与二主約謹矣,破趙,三分其地,必不欺也,子勿出於口。」智過出見二主,入説智伯曰:「二主色動而意変,必背君,不如今殺之。」智伯曰:「兵著晋陽三年矣,旦暮当抜而饗其利,乃有他心,不可。子慎勿復言。」智過曰:「不殺,則遂親之。」智伯曰:「親之奈何?」智過曰:「魏桓子之謀臣曰趙葭,韓康子之謀臣曰段規,是皆能移其君之計。君其与二君約:破趙,則封二子者各万家之県一。如是,則二主之心可不変,而君得其所欲矣。」
書き下し
張孟談が朝して智伯に因って出ると、智過に轅門の外で遇った。智過は入って智伯に見え、曰く、「二主は殆ど変有るのではありませんか」と。君は曰く、「どういうことか」と。対えて曰く、「臣は孟談に轅門の外で遇いましたが、その志は矜り、その行いは高うございました」と。智伯は曰く、「そうではない。吾は二主と約すること謹んでいる。趙を破れば、その地を三分する、必ず欺かない。子は口に出すな」と。智過は出て二主に見え、入って智伯に説いた、「二主は色が動き意が変わっております、必ず君に背きましょう。今これを殺すに如かず」と。智伯は曰く、「兵が晋陽に着いて三年になる。旦暮に当に抜いてその利を饗けようとするのに、他心が有るなど、あってはならない。子は慎んで復た言うな」と。智過は曰く、「殺さなければ、遂にこれに親しむべきです」と。智伯は曰く、「これに親しむとはどうするのか」と。智過は曰く、「魏桓子の謀臣は趙葭といい、韓康子の謀臣は段規といい、この者らは皆その君の計を移すことができます。君は二君と約され、趙を破れば、二子に各々万家の県一つを封ずると。かくすれば二主の心は変わらずにすみ、君は欲する所を得られます」と。
現代語訳
張孟談は朝廷で智伯に会ってから出ると、智過に軍門の外で出会った。智過は入って智伯に会い、言った。「韓と魏の二人の主君は、もしかして変心しているのではありませんか」。智伯は言った。「どういうことか」。智過は答えた。「私は張孟談に軍門の外で会いましたが、その心は誇らしげで、振る舞いも高ぶっていました」。智伯は言った。「そうではない。私は二人の主君と堅く約束している。趙を破れば、その土地を三つに分けるから、決して裏切らない。お前は口外するな」。智過は出て二人の主君に会い、また入って智伯に説いた。「二人の主君は顔色が動き、心が変わっています。必ず君に背くでしょう。今のうちに殺すのが一番です」。智伯は言った。「軍が晋陽に着いて三年になる。まもなく落として利益を得ようというときに、裏切りの心を持つなど、あるはずがない。お前は慎んで、二度と言うな」。智過は言った。「殺さないのなら、いっそう親しく付き合うべきです」。智伯は言った。「親しくするにはどうするのか」。智過は言った。「魏桓子の参謀は趙葭、韓康子の参謀は段規といい、この二人は主君の計画を変えさせることができます。君は二人の主君と約束し、趙を破ったら、この二人に各々一万戸の県を封ずると言って下さい。そうすれば二人の主君の心は変わらずに済み、君は望みを得られます」。
解説
この章句が説くこと
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