智囊 / 知微・管仲
對曰:「人之情非不愛其父也,其父之忍,又何有於君。」公曰:「諾。」管仲死,盡逐之。食不甘,宮不治,苛病起,朝不肅,居三年,公曰:「仲父不亦過乎?」於是皆復召而反。明年,公有病,常之巫從中出曰:「公將以某日薨。」易牙、豎刁、常之巫相與作亂。塞宮門,築高牆,不通人,公求飲不得,衛公子啟方以書社四十下衛。公聞亂,慨然歎,涕出,曰:「嗟乎!聖人所見豈不遠哉?」〔馮述評〕昔吳起殺妻求將,魯人譖之;樂羊伐中山,對使者食其子,文侯賞其功而疑其心。夫能為不近人情之事者,其中正不可測也。天順中,都指揮馬良有寵。良妻亡,上每慰問。適數日不出,上問及,左右以新娶對。上怫然曰:「此廝夫婦之道尚薄,而能事我耶?」杖而疏之。宣德中,金吾衛指揮傅廣自宮,請效用內廷。上曰:「此人已三品,更欲何為?自殘希進,下法司問罪。」噫!此亦聖人之遠見也。
新字:対曰:「人之情非不愛其父也,其父之忍,又何有於君。」公曰:「諾。」管仲死,尽逐之。食不甘,宮不治,苛病起,朝不粛,居三年,公曰:「仲父不亦過乎?」於是皆復召而反。明年,公有病,常之巫従中出曰:「公将以某日薨。」易牙、豎刁、常之巫相与作乱。塞宮門,築高牆,不通人,公求飲不得,衛公子啓方以書社四十下衛。公聞乱,慨然嘆,涕出,曰:「嗟乎!聖人所見豈不遠哉?」〔馮述評〕昔呉起殺妻求将,魯人譖之;楽羊伐中山,対使者食其子,文侯賞其功而疑其心。夫能為不近人情之事者,其中正不可測也。天順中,都指揮馬良有寵。良妻亡,上毎慰問。適数日不出,上問及,左右以新娶対。上怫然曰:「此廝夫婦之道尚薄,而能事我耶?」杖而疏之。宣徳中,金吾衛指揮傅広自宮,請効用内廷。上曰:「此人已三品,更欲何為?自残希進,下法司問罪。」噫!此亦聖人之遠見也。
書き下し
対えて曰く、「人の情として其の父を愛さぬことはありません。その父すら忍ぶ者が、君に対して何をするでしょうか」と。公は曰く、「諾」と。管仲が死ぬと、尽くこれを逐った。食は甘からず、宮は治まらず、苛病が起こり、朝は粛まらず、居ること三年、公は曰く、「仲父は亦た過ちではなかったか」と。ここにおいて皆を復た召して反した。明年、公に病が有り、常之巫が中から出て、「公は某日を以て薨ずる」と言った。易牙・豎刁・常之巫は相与に乱を作した。宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず、公は飲を求めて得られなかった。衛の公子啓方は書社四十を以て衛に下った。公は乱を聞き、慨然として歎じ、涕を出して曰く、「嗟乎、聖人の見る所は豈に遠からずや」と。〔馮述評〕昔、呉起は妻を殺して将を求め、魯人はこれを譖った。楽羊は中山を伐ち、使者に対してその子を食い、文侯はその功を賞しながらその心を疑った。そもそも人情に近からぬことを能くする者は、その中は正に測るべからざるのである。天順の中、都指揮の馬良に寵が有った。良の妻が亡くなると、上は常に慰問した。たまたま数日出なかったので、上が問い及ぶと、左右は新たに娶ったと対えた。上は怫然として曰く、「この廝は夫婦の道すら尚お薄いのに、よく我に事えるか」と。杖して疏けた。宣徳の中、金吾衛指揮の傅広は自ら宮し、内廷に効用することを請うた。上は曰く、「この人は已に三品、更に何を為さんと欲するのか。自ら残して進むを希う、法司に下して罪を問え」と。噫、これもまた聖人の遠見である。
現代語訳
管仲は答えた。「人の情として、自分の父を愛さない者はいません。その父まで見捨てる者が、君主に対して何をしないことがありましょうか」。桓公は言った。「分かった」。管仲が死ぬと、桓公はこの四人を追放した。ところが食事は美味しくなく、宮中は治まらず、病が起こり、朝廷の秩序は乱れた。三年が過ぎて桓公は言った。「仲父は間違っていたのではないか」。そこで四人をすべて呼び戻した。翌年、桓公が病に倒れると、常之巫が奥から出てきて「公は某日に亡くなられる」と言った。易牙・豎刁・常之巫は共謀して乱を起こした。宮門を塞ぎ、高い塀を築いて人を通さず、桓公は水を求めても得られなかった。衛の公子啓方は四十の村落を連れて衛に降った。桓公は乱を聞き、深く嘆息して涙を流し、言った。「ああ、聖人の見通しは何と遠いことか」。〔馮夢龍の評〕昔、呉起は妻を殺して将軍の地位を求め、魯の人は彼を讒言した。楽羊は中山を攻めたとき、使者の目の前で我が子の肉を食べ、魏の文侯はその功を賞しながらもその心を疑った。人情に外れたことをできる者は、その内心が測れないものである。天順年間、都指揮の馬良は皇帝の寵愛を受けていた。馬良の妻が亡くなると、皇帝は常に慰めた。たまたま数日出仕しなかったので尋ねると、側近は新しく妻を迎えたと答えた。皇帝は怒って言った。「この男は夫婦の情すら薄いのに、どうして私に仕えられようか」。杖で打って遠ざけた。宣徳年間、金吾衛の指揮傅広は自ら去勢して宮中で仕えたいと願い出た。皇帝は言った。「この者はすでに三品の官だ、これ以上何を望むのか。自ら体を傷つけて出世を求めている。法司に下して罪を問え」。ああ、これもまた聖人の遠見である。
解説
この章句が説くこと
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