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智囊 / 知微・辛有・何曾

平王之東遷也,辛有適伊川,見披髮而祭於野者,曰:「不及百年,此其戎乎?其禮先亡矣!」及魯僖公二十二年,秦、晉遷陸渾之戎於伊川。〔馮述評〕猶秉周禮,仲孫卜東魯之興基;其禮先亡,辛有料伊川之戎禍。何曾,字穎考,常侍武帝宴,退語諸子曰:「主上創業垂統,而吾每宴,乃未聞經國遠圖,唯說平生常事,後嗣其殆乎?及身而已,此子孫之憂也!汝等猶可獲沒。」指諸孫曰:「此輩必及於亂!」及綏被誅於東海王越,嵩哭曰:「吾祖其大聖乎?」嵩、綏皆邵子,曾之孫也。

新字:平王之東遷也,辛有適伊川,見披髪而祭於野者,曰:「不及百年,此其戎乎?其礼先亡矣!」及魯僖公二十二年,秦、晋遷陸渾之戎於伊川。〔馮述評〕猶秉周礼,仲孫卜東魯之興基;其礼先亡,辛有料伊川之戎禍。何曽,字穎考,常侍武帝宴,退語諸子曰:「主上創業垂統,而吾毎宴,乃未聞経国遠図,唯説平生常事,後嗣其殆乎?及身而已,此子孫之憂也!汝等猶可獲没。」指諸孫曰:「此輩必及於乱!」及綏被誅於東海王越,嵩哭曰:「吾祖其大聖乎?」嵩、綏皆邵子,曽之孫也。

書き下し

平王の東遷に、辛有は伊川に適き、髪を披いて野に祭る者を見て、曰く、「百年に及ばずして、これは戎となるであろう。その礼が先に亡びたのだ」と。魯の僖公二十二年に及んで、秦・晋は陸渾の戎を伊川に遷した。〔馮述評〕なお周礼を秉るのに、仲孫は東魯の興る基を卜し、其の礼が先に亡びて、辛有は伊川の戎禍を料った。何曾は、字を穎考、常に武帝の宴に侍し、退いて諸子に語って曰く、「主上は創業して統を垂れるのに、吾は宴ごとに、経国の遠図を聞かず、ただ平生の常事を説くばかり。後嗣はそれ殆いか。身に及ぶのみ、これ子孫の憂いである。汝らはなお没するを獲よう」と。諸孫を指して、「この輩は必ず乱に及ぶ」と。綏が東海王越に誅されるに及び、嵩は哭して曰く、「吾が祖は其れ大聖か」と。嵩・綏は皆邵の子であり、曽の孫である。

現代語訳

周の平王が東へ都を移したとき、辛有は伊川に行き、髪を振り乱して野原で祭りをしている人を見て言った。「百年も経たないうちに、ここは異民族の地になるだろう。礼がまず失われたからだ」。魯の僖公二十二年に至って、秦と晋は陸渾の戎を伊川に移住させた。〔馮夢龍の評〕なお周の礼を保っていたことで、仲孫は東の魯が興る基を占い、礼がまず亡びたことで、辛有は伊川の戎の禍を見抜いた。何曾は字を穎考といい、常に武帝の宴に侍り、退出して子たちに語った。「陛下は創業して後世に継ぐべき基を築くのに、私は宴のたびに、国を治める遠大な計画を聞いたことがなく、ただ日常の話ばかりしている。後継ぎはあやういだろう。陛下の代だけで終わる、これが子孫への憂いだ。お前たちはまだ天寿を全うできよう」。そして孫たちを指して、「この者たちは必ず乱に遭う」と言った。やがて何綏が東海王司馬越に誅殺されると、何嵩は泣いて言った。「わが祖父はまさに大聖人か」。何嵩と何綏はいずれも何邵の子で、何曽の孫である。

解説

辛有は人々の風俗の変化という小さな兆しから、百年以内の異民族化を予見しました。何曽は宴での皇帝の話題が日常の雑談ばかりで、遠大な計画が語られないことから、王朝の短命と子孫の受難を見抜きます。いずれも、一見些細な習慣や会話の質に、組織の将来を決める本質が表れるという教えです。現代の管理職にとって、会議で語られる内容が目先の話題ばかりか、将来への構想を含むかは、会社の寿命を占う指標になります。また、価値観や礼節といった文化の劣化は、制度や業績の悪化より先に現れると考えるべきでしょう。

この章句が説くこと

披髪而祭其礼先亡経国遠図風俗予見組織文化

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