智囊 / 迎刃・沈啔
世宗皇帝當幸楚,所從水道,則南京具諸樓船以從。而上或改道,耗縣官金錢;具而上猝至,獲罪。尚書周用疑以問工部主事沈啔。啔曰:「召商需材於龍江關,急驛偵上所從道,以日計,舟可立辦。舟而歸直於舟,不舟而歸材於商,不難也。」上果從陸,得不費水衡錢矣。中貴人請修皇陵,錦衣朱指揮者往視,啔乘間謂朱曰:「高皇帝制:皇陵不得動寸土,違者死。今修不能無動土,而死可畏也。」朱色懾,言於中貴人而止。
新字:世宗皇帝当幸楚,所従水道,則南京具諸楼船以従。而上或改道,耗県官金銭;具而上猝至,獲罪。尚書周用疑以問工部主事沈啔。啔曰:「召商需材於竜江関,急駅偵上所従道,以日計,舟可立辦。舟而帰直於舟,不舟而帰材於商,不難也。」上果従陸,得不費水衡銭矣。中貴人請修皇陵,錦衣朱指揮者往視,啔乗間謂朱曰:「高皇帝制:皇陵不得動寸土,違者死。今修不能無動土,而死可畏也。」朱色懾,言於中貴人而止。
書き下し
世宗皇帝が楚に幸するに当たり、従う所の水道には、南京で楼船を具えて従わせることになっていた。しかし上が或いは道を改めれば、県官の金銭を耗す。具えても上が猝かに至れば、罪を獲る。尚書の周用は疑って工部主事の沈啔に問うた。啔は曰く、「商を召して材を龍江関に需め、急駅で上の従う所の道を偵い、日を以て計れば、舟は立ちどころに辦じます。舟を用いるなら直を舟に帰し、舟を用いなければ材を商に帰す、難しくありません」と。上は果たして陸に従い、水衡の銭を費やさずに済んだ。中貴人が皇陵の修理を請い、錦衣の朱指揮という者が往きて視た。啔は間に乗じて朱に謂った、「高皇帝の制では、皇陵は寸土も動かすことを得ず、違えば死とあります。今修めるのに土を動かさずにはおれず、死は畏るべきです」と。朱は色を懾え、中貴人に言って止めた。
現代語訳
世宗皇帝が楚の地へ行幸することになり、通る水路には、南京で御座船を用意してお供させることになっていた。しかし皇帝がもし道を変えれば、国庫の金を無駄にする。逆に用意しなくて皇帝が急に来れば、罪を受ける。尚書の周用は迷って工部主事の沈啔に尋ねた。沈啔は言った。「商人を呼んで龍江関で材料を調達させ、早馬で皇帝の通る道を探らせ、日数を計算すれば、船はすぐに作れます。船を使うなら代金は船に充て、使わなければ材料を商人に返せばよいのです。難しくありません」。皇帝は果たして陸路を取り、水衡の金を使わずに済んだ。宦官が皇陵の修理を願い、錦衣衛の朱指揮という者が視察に行った。沈啔は機会をとらえて朱に言った。「高皇帝の定めでは、皇陵は寸土も動かしてはならず、違反すれば死罪です。今の修理は土を動かさずにはできず、死罪は恐ろしいことです」。朱は顔色を変えて恐れ、宦官に伝えて修理を止めさせた。
解説
この章句が説くこと
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