戦国策 / 韓咎立為君而未定
韓咎立為君而未定也,其弟在周,周欲以車百乘重而送之,恐韓咎入韓之不立也。綦母恢曰:「不如以百金從之,韓咎立,因也以為戒;不立,則曰來效賊也。」
新字:韓咎立為君而未定也,其弟在周,周欲以車百乗重而送之,恐韓咎入韓之不立也。綦母恢曰:「不如以百金従之,韓咎立,因也以為戒;不立,則曰来効賊也。」
書き下し
韓咎立ちて君と為るも未だ定まらざるなり、其の弟周に在り、周車百乘の重きを以て之を送らんと欲するも、韓咎韓に入るの立たざるを恐る。綦母恢曰く、「百金を以て之に從うに如かず。韓咎立たば、因りて以て戒と為さん。立たずんば、則ち賊を效しに來たれりと曰わん。」
現代語訳
韓咎が韓の君主として立ったが、まだ地位が定まらない状況にあった。その弟は周にいて、周は車百台という盛大な行列で見送ろうとしていたが、韓咎が韓に入っても即位が確定しないのではないかと恐れていた。綦母恢は言った。「それよりは、百金ほどの少額を持たせて従わせるのがよいでしょう。もし韓咎が即位に成功すれば、それを機に(後で)しかるべき対応を示せばよいですし、もし即位しなければ、『賊(反乱者)に加担しに来たのだ』と言い逃れができます。」
解説
この章は、不確実な政変の結果を見越して、周が過剰な支援を控え、事態がどちらに転んでも言い訳が立つよう小さな賭けにとどめておく知恵を描いています。盛大な車百台の見送りは、韓咎が即位に成功すれば功績になりますが、失敗すれば反乱への加担と見なされ、周自身が危険を背負うことになります。綦母恢は少額の支援にとどめることで、結果がどちらに転んでも自国の関与を最小限に見せかけられる柔軟性を確保しました。先行きが不透明な状況では、全面的にコミットするのではなく、結果を見てから態度を調整できる余地を残しておくことの重要性を教えてくれる逸話です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
韓咎綦母恢リスク分散不確実性様子見
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