智囊 / 迎刃・汪應軫
汪應軫當武宗南巡,率同館舒芬等抗疏以諫,廷杖幾斃,出守泗州。泗州民惰,弗知農桑。軫至,首勸之耕,出帑金,買桑於湖南,教之藝。募桑婦若干人,教之蠶事。郵卒馳報,武宗駕且至,他邑彷徨勾攝為具,民至塞戶逃匿。軫獨凝然弗動,或詢其故,軫曰:「吾與士民素相信,即駕果至,費旦夕可貸而集,今駕來未有期,而倉卒措辦,科派四出,吏胥易為奸,倘費集而駕不果至,則奈何?」他邑用執炬夫役以千計,伺侯彌月,有凍餓死者。軫命縛炬榆柳間,以一夫掌十炬。比駕夜歷境,炬伍整飭,反過他所。時中使絡繹道路,恣索無厭。
新字:汪応軫当武宗南巡,率同館舒芬等抗疏以諫,廷杖幾斃,出守泗州。泗州民惰,弗知農桑。軫至,首勧之耕,出帑金,買桑於湖南,教之芸。募桑婦若干人,教之蠶事。郵卒馳報,武宗駕且至,他邑彷徨勾摂為具,民至塞戸逃匿。軫独凝然弗動,或詢其故,軫曰:「吾与士民素相信,即駕果至,費旦夕可貸而集,今駕来未有期,而倉卒措辦,科派四出,吏胥易為奸,倘費集而駕不果至,則奈何?」他邑用執炬夫役以千計,伺侯弥月,有凍餓死者。軫命縛炬榆柳間,以一夫掌十炬。比駕夜歴境,炬伍整飭,反過他所。時中使絡繹道路,恣索無厭。
書き下し
汪応軫は武宗の南巡に当たり、同館の舒芬らを率いて抗疏して諫め、廷杖で幾んど斃れかかり、出て泗州を守った。泗州の民は惰けて、農桑を知らなかった。軫は至ると、まず耕すことを勧め、帑金を出し、桑を湖南に買い、これを植えることを教えた。桑婦若干人を募り、これに蚕事を教えた。郵卒が馳せて報じた、武宗の駕がまもなく至ると。他邑は彷徨して勾攝し供具を整えさせ、民は戸を塞いで逃げ隠れるに至った。軫はひとり凝然として動かない。或るひとがその故を問うと、軫は曰く、「私は士民と素より相い信じている。即ち駕が果たして至っても、費用は旦夕に貸して集めることができる。今駕の来るはなお期が有らず、倉卒に措辦して、科派が四方に出れば、吏胥は奸を為し易い。もし費が集まって駕が果たして至らなければ、どうするのか」と。他邑は炬を執る夫役を用いること千を以て計え、伺候すること弥月、凍え餓えて死ぬ者もあった。軫は命じて炬を榆柳の間に縛り、一夫に十炬を掌らせた。駕が夜に境を歴るに及ぶと、炬の列は整っており、他所よりも優れていた。時に中使は道路に絡繹し、恣に索めて飽くことがなかった。
現代語訳
汪応軫は、武宗の南巡のとき、同じ翰林院の舒芬らを率いて上疏して諫め、廷杖で死にかけ、地方に出されて泗州の長官となった。泗州の民は怠けて農業も養蚕も知らなかった。汪応軫は着任するとまず耕作を勧め、官庫の金を出して湖南で桑を買い、植え方を教えた。桑を扱う女性を何人も募り、養蚕を教えた。そこへ駅馬の使いが馳せてきて、武宗の行幸がまもなく至ると報じた。他の町は慌てふためいて人を徴発し物資を整えさせ、民は戸を閉ざして逃げ隠れる始末だった。汪応軫だけは落ち着いて動かなかった。ある人がその理由を尋ねると、こう答えた。「私は士や民と日頃から信頼し合っている。行幸が本当に来たとしても、費用はすぐに借りて集められる。今は来る日も決まっておらず、あわてて準備し、あちこちに割り当てを課せば、小役人がそれをいいことに悪事をはたらく。もし費用を集めたのに行幸が来なければ、どうするのか」。他の町は松明を持つ人夫を千人単位で用い、一か月も待たせて、凍え死にや餓死をする者まで出た。汪応軫は命じて松明を楡や柳の木の間にくくりつけ、一人に十本を受け持たせた。行幸の列が夜に領内を通ると、松明の列は整っていて、他の町より立派だった。このころ宦官の使者は道に絶えず往来し、勝手に要求して際限がなかった。
解説
この章句が説くこと
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