智囊 / 通簡・張永
張永授蕪湖令,蕪當孔道,使客廚傳日不暇給,民坐困憊。章聖梓宮南祔,所過都邑設綺紈帳殿,供器冶金為之,又閹宦厚索賂遺,一不當意,輒辱官司,官司莫敢誰何。永於瀕江佛寺,堊其棟宇代帳殿,飾供器箔金以代冶,省費不貲,而調度有方,卒無歡呶於境上者。
新字:張永授蕪湖令,蕪当孔道,使客廚伝日不暇給,民坐困憊。章聖梓宮南祔,所過都邑設綺紈帳殿,供器冶金為之,又閹宦厚索賂遺,一不当意,輒辱官司,官司莫敢誰何。永於瀕江仏寺,堊其棟宇代帳殿,飾供器箔金以代冶,省費不貲,而調度有方,卒無歓呶於境上者。
書き下し
張永、蕪湖の令を授けられる。蕪は孔道に当たり、使客の厨伝は日に給するに暇あらず、民は坐ろに困憊す。章聖の梓宮の南に祔するや、過ぐる所の都邑は綺紈の帳殿を設け、供器は金を冶して之を為り、又た閹宦は厚く賂遺を索め、一も意に当たらざれば、輒ち官司を辱め、官司は敢えて誰何する莫し。永は江に瀕する仏寺に於いて、其の棟宇を堊して帳殿に代え、供器を飾るに箔金を以て冶に代え、省く費は貲らず、而して調度に方有り、卒に境上に歓呶する者無し。
現代語訳
張永は蕪湖の県令に任ぜられた。蕪湖は街道の要衝にあたり、使者や旅客の食事や宿の世話は毎日手が回らないほどで、民は苦しみ疲れ果てていた。章聖皇后の棺を南へ運んで合葬するとき、通過する都市は絹織物で飾った仮宮を設け、供え物の器も金を溶かして作り、そのうえ宦官は多額の賄賂を要求し、少しでも気に入らなければ役人を辱めたが、役人は誰も咎めることができなかった。張永は長江沿いの仏寺を利用し、その建物に白い漆喰を塗って仮宮の代わりとし、供え物の器は金箔を貼って金鋳の代わりとした。省いた費用は数えきれず、手配にも筋道があり、ついに領内で騒ぎ立てる者はいなかった。
解説
この章句が説くこと
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