智囊 / 迎刃・王守仁
〔馮述評〕陽明於寧藩一事,至今猶有疑者。因宸濠密書至京,欲用其私人為巡撫,書中有「王守仁亦可」之語,不知此語有故。因陽明平日不露圭角,未嘗顯與濠忤。濠但慕陽明之才而未知其心,故猶冀招而用之,與陽明何與焉?當陽明差汀贛巡撫時,汀贛尚未用兵,陽明即上疏言:「臣據江西上流,江西連歲盜起,乞假臣提督軍務之權,以便行事。」而大司馬王晉溪覆奏:「給與旗牌,大小賊情,悉聽王某隨機撫剿。」陽明又取道於豐城,蓋此時逆濠反形已具,二公潛為之計,廟堂方略,已預定矣。濠既反,地方上變告,猶不敢斥言,止稱「寧府」。獨陽明上疏聞稱「宸濠」,即此便見陽明心事。
新字:〔馮述評〕陽明於寧藩一事,至今猶有疑者。因宸濠密書至京,欲用其私人為巡撫,書中有「王守仁亦可」之語,不知此語有故。因陽明平日不露圭角,未嘗顕与濠忤。濠但慕陽明之才而未知其心,故猶冀招而用之,与陽明何与焉?当陽明差汀贛巡撫時,汀贛尚未用兵,陽明即上疏言:「臣拠江西上流,江西連歳盗起,乞仮臣提督軍務之権,以便行事。」而大司馬王晋渓覆奏:「給与旗牌,大小賊情,悉聴王某随機撫剿。」陽明又取道於豊城,蓋此時逆濠反形已具,二公潜為之計,廟堂方略,已預定矣。濠既反,地方上変告,猶不敢斥言,止称「寧府」。独陽明上疏聞称「宸濠」,即此便見陽明心事。
書き下し
〔馮述評〕陽明の寧藩の一事は、今に至るもなお疑う者有り。宸濠の密書が京に至り、その私人を用いて巡撫にしようと欲し、書中に「王守仁も亦た可なり」の語が有ったことから、この語に故の有るを知らない。陽明は平生圭角を露わさず、かつて顕らかには濠に逆らわなかったからである。濠はただ陽明の才を慕って未だその心を知らず、ゆえになお招いて用いんことを冀ったのであり、陽明に何の関わりが有ろうか。陽明が汀贛巡撫に遣わされた当時、汀贛は未だ兵を用いていなかったが、陽明はすぐに上疏して言う、「臣は江西の上流に拠ります。江西は連年盗賊が起こっております。願わくは臣に軍務を提督する権を仮し、事を行うに便にさせて下さい」と。而して大司馬の王晋渓は覆奏して、「旗牌を給与し、大小の賊情はことごとく王某の随機の撫剿に任せよ」と言った。陽明はまた道を豊城に取った。思うにこの時、逆濠の反する形は已に具わっており、二公は潜かにその計を為し、廟堂の方略は已に預め定まっていたのである。濠が既に反すると、地方の変を告げる上奏はなお敢えて斥言せず、ただ「寧府」と称した。ひとり陽明の上疏のみ「宸濠」と称した。この一事に陽明の心事が見えるのである。
現代語訳
〔馮夢龍の評〕王陽明と寧王の事件については、今でもなお疑う人がいる。宸濠が京に送った密書に、自分の息のかかった者を巡撫にしたいとあり、その中に「王守仁でもよい」という言葉があったので、この言葉に裏があることが分からないのだ。陽明は普段から才気を表に出さず、濠にあからさまに逆らったこともなかった。濠は陽明の才能を慕うだけでその心を知らず、そのため招いて用いたいと願ったのであって、陽明にとっては関わりのないことである。陽明が汀贛巡撫に任じられた頃、汀贛ではまだ戦いは起きていなかったが、陽明はすぐに上疏して言った。「私は江西の上流に位置します。江西では毎年盗賊が起きています。どうか私に軍務を取り仕切る権限を貸し与え、行動しやすくして下さい」と。すると兵部尚書の王晋渓は、「旗と割符を与え、賊の大小にかかわらず、すべて王某が状況に応じて懐柔するか討つかに任せよ」と回答の上奏をした。陽明はまた豊城を通る道を選んだ。このときすでに逆賊濠の謀反の形は整っており、二人は密かに計画を立て、朝廷の方略はあらかじめ定まっていたのである。濠が謀反を起こすと、地方からの急変の報告はなお遠慮して名指しできず、ただ「寧府」と呼んだ。陽明の上疏だけが「宸濠」と呼んだ。この一事で陽明の心中が分かる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』靈變・陳平又、丘琥は嘗て丹陽を過ぐ。舟に附する者有り、屢々寝所を窺う。琥は心に其の盗なることを知り、佯りて簪を舟底に落とし、尽く其の衣篋を出し、鋪陳してこれを求め、又た自ら其の衣を解きて物無きを示す。明日、其の人は去り、未だ幾ばくならずして、人を城中に劫かされ、縛らる。人に語りて曰く、「吾は幾んど丘公を誤殺せんとす」と。此の二事は曲逆の衣を解きて船を刺せし智に相い似たり。
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『智囊』權奇・爰種・溫嶠・高歡爰盎、常に大体を引きて慷慨す。宦者趙談、数々幸せらるるを以て、常に盎を害す。盎これを患う。兄の子種、常侍騎と為り、盎に謂いて曰く、「君、衆の中にてこれを辱めよ。後に君を悪く言うと雖も、上は復た信ぜざらん」と。是に於て上、東宮に朝し、趙談驂乗す。盎、車前に伏して曰く、「臣聞く、天子の与に六尺の輿を共にする所の者は、皆天下の英豪なりと。今、漢乏人なりと雖も、陛下独り奈何ぞ刀鋸の余と共に載せたまうか」と。是に於て上笑い、趙談を下ろす。談泣きて車より下る。王敦、温嶠を用いて丹陽尹と為し、酒を置きて別れを為す。嶠、銭鳳の後言有るを懼れ、因りて酒を行るに鳳に至り、未だ飲まざるに、嶠偽り酔い、手板を以てこれを撃ちて幘を堕とし、色を作して曰く、「銭鳳何人ぞ。温太真酒を行る。敢えて飲まざるか」と。鳳悦ばず。敦以て酔いと為し、両つながらこれを釈く。明日、鳳曰く、「嶠は朝廷と甚だ密なり。未だ必ずしも信ずべからず。宜しく更にこれを思うべし」と。敦曰く、「太真昨は酔い、小しく声色を加えしのみ。豈に此れを以て便ち相讒貳するを得んや」と。是に由り嶠は都に還るを得、尽く敦の逆謀を以て帝に告ぐ。
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『鬼谷子』抵巇篇物に自然有り、事に合離有り。近くして見るべからざる有り、逺くして知るべき有り。近くして見るべからざる者は、其の辭を察せざればなり。逺くして知るべき者は、往に反して以て來を驗すればなり。巇とは、罅なり。罅とは、𡼏なり。𡼏とは、大隙を成すなり。巇始めて眹有らば、抵ぎて塞ぐべく、抵ぎて卻くべく、抵ぎて息むべく、抵ぎて匿すべく、抵ぎて得べし。此れを抵巇の理と謂うなり。
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