智囊 / 迎刃・呂夷簡
西鄙用兵』大將劉平戰死。議者以朝廷委宦者監軍,主帥節制有不得專者,故平失利。詔誅監軍黃德和,或請罷諸帥監軍。仁宗以問呂夷簡,夷簡對曰:「不必罷。但擇謹厚者為之。」仁宗委夷簡擇之。對曰:「臣待罪宰相,不當與中貴私交,何由知其賢否?願詔都知、押班,但舉有不稱者,與同罪。」仁宗從之。翼日,都知叩頭乞罷諸監軍宦官。士大夫嘉夷簡有謀。〔馮述評〕殺一監軍,他監軍故在也;自我罷之,異日有失事,彼借為口實,不若使自請罷之為便。文穆稱其有宰相才,良然。惜其有才而無度,如忌富弼,忌李迪,皆中之以小人之智,方之古大臣,邈矣!李迪與夷簡同相,迪嘗有所規畫,呂覺其勝,或告曰:「李子柬之慮事,過於其父。」夷簡因語迪曰:「公子柬之才可大用。」即奏除兩浙提刑,迪父子皆喜。迪既失柬,事多遺忘,因免去。方知為呂所賣。
新字:西鄙用兵』大将劉平戦死。議者以朝廷委宦者監軍,主帥節制有不得専者,故平失利。詔誅監軍黄徳和,或請罷諸帥監軍。仁宗以問呂夷簡,夷簡対曰:「不必罷。但択謹厚者為之。」仁宗委夷簡択之。対曰:「臣待罪宰相,不当与中貴私交,何由知其賢否?願詔都知、押班,但舉有不称者,与同罪。」仁宗従之。翼日,都知叩頭乞罷諸監軍宦官。士大夫嘉夷簡有謀。〔馮述評〕殺一監軍,他監軍故在也;自我罷之,異日有失事,彼借為口実,不若使自請罷之為便。文穆称其有宰相才,良然。惜其有才而無度,如忌富弼,忌李迪,皆中之以小人之智,方之古大臣,邈矣!李迪与夷簡同相,迪嘗有所規画,呂覚其勝,或告曰:「李子柬之慮事,過於其父。」夷簡因語迪曰:「公子柬之才可大用。」即奏除両浙提刑,迪父子皆喜。迪既失柬,事多遺忘,因免去。方知為呂所売。
書き下し
西鄙に兵を用い、大将劉平戦死す。議者は朝廷が宦者に委ねて軍を監せしめ、主帥の節制に専らにするを得ざる者有るを以て、故に平は利を失えりと謂う。詔して監軍黄徳和を誅し、或いは諸帥の監軍を罷めんことを請う。仁宗は以て呂夷簡に問う。夷簡対えて曰く、「罷むるを必とせず。但だ謹厚なる者を択びて之を為さしめよ」と。仁宗は夷簡に之を択ばしむるを委ぬ。対えて曰く、「臣は宰相の位に待罪す。当に中貴と私交すべからず、何に由りて其の賢否を知らん。願わくは都知・押班に詔し、但だ称わざる者を挙げしめ、与に同罪とせよ」と。仁宗は之に従う。翼日、都知は叩頭して諸監軍の宦官を罷めんことを乞う。士大夫は夷簡の謀有るを嘉す。〔馮述評〕一監軍を殺せども、他の監軍は故より在り。我れより之を罷むれば、異日失事あらば、彼は借りて口実と為さん。其れ自ら罷めんことを請わしむるの便なるに若かず。文穆は其の宰相の才有るを称す、良に然り。惜しいかな其の才有りて度無きこと、富弼を忌み、李迪を忌むが如きは、皆な之を中するに小人の智を以てす。古の大臣に方ぶれば、邈かなり。李迪は夷簡と同に相となり、迪は嘗て規画する所有り、呂は其の勝るを覚る。或る者が告げて曰く、「李子柬之の慮事は、其の父に過ぐ」と。夷簡は因りて迪に語りて曰く、「公の子柬之の才は大用す可し」と。即ち奏して両浙提刑に除し、迪父子は皆な喜ぶ。迪は既に柬を失い、事に遺忘多く、因りて免去せらる。方に呂の売る所と為るを知る。
現代語訳
西の辺境で戦いが起こり、大将の劉平が戦死した。議論する者は、朝廷が宦官に軍の監督を委ね、主帥が指揮を専らにできない場合があるので、劉平は不利を被ったと言った。詔を出して監軍の黄徳和を誅殺し、またある者は諸帥の監軍を廃止するよう願った。仁宗は呂夷簡に尋ねた。夷簡は答えた。「廃止するには及びません。ただ慎み深く厚みのある者を選んで務めさせてください」。仁宗は夷簡に選ぶことを任せた。夷簡は答えた。「臣は宰相の位にあり、宦官と私的に交わるべきではなく、どうしてその賢愚を知り得ましょう。どうか都知や押班(宦官の長)に詔して、不適格な者を推挙させ、その者と同罪とするようにしてください」。仁宗はこれに従った。翌日、都知は叩頭して、すべての監軍の宦官を廃止するよう願った。士大夫は夷簡に謀略があると称えた。〔馮述評〕一人の監軍を殺しても、他の監軍はもとのままである。こちらから廃止すれば、後日失敗があったとき、彼らは口実に借りる。彼ら自身に廃止を願い出させるのが便利に勝る。文穆(呂夷簡)は宰相の才があると称された。まことにそのとおりである。惜しいかな、才があって度量がなく、富弼を嫌い、李迪を嫌うように、いずれも小人の知恵で中傷した。古の大臣と比べれば、遠く及ばない。李迪は夷簡と共に宰相となり、迪はかつて計画を立てたが、呂は迪が勝るのを感じた。ある者が告げた。「李子の柬之の考えは、父を超えます」。夷簡はそこで迪に言った。「あなたの子の柬之の才は大いに用いるべきです」。すぐに上奏して両浙提刑に任じ、迪父子はみな喜んだ。迪は柬を失い、事に忘れが多くなり、そのため免職された。そこで初めて呂に売られたと知った。
解説
この章句が説くこと
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廟堂忠告・分謗第七夫れ共に署して事を聯(つら)ぬるに、一人努力して前まば、則ち餘の者は皆當に輔相して以て其の志を成すべし。苟くも彼前まば我卻き、彼行けば我止まり、動くに焉ぞ相隨わず、語るに焉ぞ相應ぜざれば、則ち事功の成る者、能く幾何ぞや。此れ古人推車同舟の喻え有る所以なり。其れ或いは舟を共にして以て濟るに、一人溺るれば、則ち凡そ舟に在る者、疏戚を論ぜず、宜しく力を并せて以て之を救うべし。此れ賢不肖の共に知る所なり。况んや同じく臣子為り、同じく天下國家の寄を受くる者、坐して一人の禍を被るを視て恤えざるべけんや。其れ一巳の私の為にして自ら伊(こ)の戚(うれい)を貽(のこ)すが如きは、固より恤うるに足らず。其れ或いは知りて言わざる無く、言いて盡さざる無く、公家の務め、一に大公至正を以て之に處すれば、彼、巳の為家の為にして罪を得るに非ず。則ち凡そ同官なる者、安んぞ身を挺んでて前み、之と難を共にせざるを淂んや。大拞一人不幸にして罪を得れば、長為る者は若しくは曰わん、「此れ我が罪なり」と。貳為る者も亦曰わん、「此れ我が罪なり」と。闔堂の人をして皆爭いて引きて己の罪と為さしめば、則ち彼の罪を獲る者、釋す能わずと雖も、亦必ずしも重論に至らず。古の敢えて諫爭する者は、其の遇のいまだ聽納せられざるに、「此の人を殺すよりは臣を殺すに若かず」と謂うに至る。尚お是くの如く解を求むるを為すに、其れ肯えて同官の冤抑を坐視して省みざらんや。嗚呼、謗を分ち咎を引く事、宰相為る者誠に能く今に力行せば、將に士大夫の名節愈々厲まし、民間の薄俗敦くすべきを見んとし、而して國家他日も亦其の仗義死節の士無きを患えざらん。一事の行、繫る所是くの如し、孰か任怨分謗を宰相の細行と謂わんや。
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『驢鞍橋』卷上然る間住持は檀那寺に参る度毎に、搆へて畜生に成りめさるゝなと是計り云ふべき也。亦御坊主に非行悪事あらば、檀那の過として過銭を出すべしと、急度申付くべき也。如是せば、住持威儀正く、師檀共に自ら成仏の道に達すべし。其上に亦御公儀より、寺目付と云ふ者を付け給ふ間、非行に於ては急度法度に行ふへしと相触れ、扨右の道理を寺方へも檀方へも、御公儀よりひしと仰付けられば、三宝の威光顕はれ国土明にして安楽世界と成るへき也。我若き時より仏法を以て国土を治むる事、胸に折籠めて居けるが、此畜生一つを以て治むる事を思出す也。是計りはよう思出したではをり無いか、世界の悪事は何事も愚癡より出づるなり。三毒の心と云ふも、我は愚癡一つと思ふ也。此道理御公儀へ申達し度、强う思へども時に逢はず、何と此中に用に立つる人あらんや、心元なし。御坊主達聞置いてくれめされよと也。
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『韓非子』難一第三十六郄子因りて曰く、「胡ぞ以て徇へざる」と。其の僕曰く、「曩には将に之を救はんとするにあらずや」と。郄子曰く、「吾敢て謗を分かたざらんや」と。或ひと曰く、郄子の言は、察せざる可からざるなり、謗を分かつに非ざるなり。韓子の斬る所や、若し罪人ならば、則ち救ふ可からず、罪人を救ふは、法の敗るる所以なり、法敗るれば則ち国乱る。若し罪人に非ざれば、則ち之に勧むるに徇ふるを以てす可からず、之に勧むるに徇ふるを以てするは、是れ不辜を重ぬるなり、不辜を重ぬるは、民の怨みを起こす所以の者なり、民怨めば則ち国危ふし。郄子の言は、危ふからざれば則ち乱る、察せざる可からざるなり。且つ韓子の斬る所若し罪人ならば、郄子奚ぞ分かたん。斬ること若し罪人に非ざれば、則ち已に之を斬れり、而して郄子乃ち至る、是れ韓子の謗已に成りて郄子且つ後れて至るなり。夫れ郄子の「以て徇へよ」と曰ふは、以て人を斬るの謗を分かつに足らずして、又徇ふるの謗を生ず。是れ子謗を分かつと言ふか。昔者紂炮烙を為る、崇侯・悪来又渉る者の脛を斬れと曰ふ、奚ぞ紂の謗を分かたん。且つ民の上に望むや甚だし、韓子得ざれば、且に郄子の之を得んことを望まんとす。今郄子俱に得ず、則ち民上に望みを絶たん。故に曰く、郄子の言は謗を分かつに非ず、謗を益すなり、と。且つ郄子の往きて罪を救ふや、韓子を以て非と為すなり。其の非と為す所以を道はずして、之に「以て徇へよ」と勧む、是れ韓子をして其の過を知らざらしむるなり。夫れ下は民をして望みを上に絶たしめ、又韓子をして其の失を知らざらしむ、吾未だ郄子の謗を分かつ所以の者を得ざるなり。桓公管仲の束縛を解きて之を相とす。管仲曰く、「臣寵有り、然り而して臣卑し」と。公曰く、「子をして高・国の上に立たしめん」と。管仲曰く、「臣貴し、然り而して臣貧し」と。公曰く、「子をして三帰の家を有たしめん」と。管仲曰く、「臣富めり、然り而して臣䟽し」と。是に於て立てて以て仲父と為す。
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『智囊』見大・呂夷簡〔馮述評〕介の為に雪がず、乃ち雪ぐより深し。介の頌を作る当時、正に呂許公の相を罷めたる時にして、晏殊・章得象は同じく升る。許公は私憾を念わずして国体を念う、真に宰相の度なり。李太后の服未だ除かざるに、夷簡は即ち仁宗に曹后を立てんことを勧む。范仲淹進みて曰く、「呂夷簡、又た陛下に一つの不好の事を教えたり」と。他日、夷簡、韓琦に語りて曰く、「此の事は外人知らず。上は春秋高く、郭后・尚美人は皆な寵を失うを以て廃され、後宮の色を以て進む者は勝げて数うべからず。亟かに后を立てずんば、以て之を正す無し」と。事ごとに自ずから深意有りて、多く此の類なり。
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