智囊 / 迎刃・王欽若
王欽若為亳州判官,監會亭倉。天久雨,倉司以米濕,不為受納。民自遠方來輸租者,深以為苦。欽若悉命輸之倉,奏請不拘年次,先支濕米。太宗大喜,因識其名,由是大用。〔馮述評〕紹興間,中丞蔣繼周出守宣城,用通判周世詢議,欲以去歲舊粟支軍食之半。群卒惡其陳腐,橫梃於庭,出不遜語。僉判王明清後至,聞變,亟令車前二卒傳諭云:「僉判適自府中來,已得中丞台旨,令盡支新米。」群囂始息。然令之不行,大非法紀。必如欽若,方是出脫惡米之法。
新字:王欽若為亳州判官,監会亭倉。天久雨,倉司以米湿,不為受納。民自遠方来輸租者,深以為苦。欽若悉命輸之倉,奏請不拘年次,先支湿米。太宗大喜,因識其名,由是大用。〔馮述評〕紹興間,中丞蒋継周出守宣城,用通判周世詢議,欲以去歳旧粟支軍食之半。群卒悪其陳腐,横梃於庭,出不遜語。僉判王明清後至,聞変,亟令車前二卒伝諭云:「僉判適自府中来,已得中丞台旨,令尽支新米。」群囂始息。然令之不行,大非法紀。必如欽若,方是出脱悪米之法。
書き下し
王欽若は亳州の判官と為り、会亭倉を監す。天久しく雨ふり、倉司は米湿るを以て、受納せず。民の遠方より来たりて租を輸す者は、深く以て苦しみと為す。欽若は悉く之に命じて倉に輸れしめ、年次に拘わらず、先ず湿米を支給せんことを奏請す。太宗は大いに喜び、因りて其の名を識り、是れに由りて大いに用いらる。〔馮述評〕紹興の間、中丞蔣継周は出でて宣城を守り、通判周世詢の議を用い、去歳の旧粟を以て軍食の半ばに支えんと欲す。群卒は其の陳腐を悪み、梃を庭に横たえ、不遜の語を出ず。僉判王明清は後れて至り、変を聞き、亟やかに車前の二卒をして伝諭せしむ、「僉判は適ま府中より来たり、已に中丞の台旨を得たり。盡く新米を支給せよ」と。群囂は始めて息む。然れども令の行われざるは、大いに法紀に非ず。必ず欽若の如くして、方に是れ悪米を出脱するの法なり。
現代語訳
王欽若は亳州の判官として、会亭倉を管理していた。長雨が続き、倉庫の役人は米が湿っているとして、受け入れなかった。遠方から租税を納めに来た民は、深く苦しんだ。欽若は、すべて倉に納めさせ、年次にこだわらず、まず湿った米を先に支給するよう上奏して願った。太宗は大いに喜び、そこでその名を覚え、これによって大いに用いられた。〔馮述評〕紹興年間、中丞の蔣継周が宣城を治めたとき、通判の周世詢の提案を用い、去年の古い穀物を軍糧の半分に充てようとした。兵士たちはその古くて腐ったものを嫌い、棒を庭に横たえて不遜な言葉を吐いた。僉判の王明清は後から来て、変事を聞き、急いで車前の二人の兵に伝えさせた。「僉判はいま府中から来て、すでに中丞の指示を得た。すべて新米を支給せよ」と。騒ぎはようやく収まった。しかし命令が行われないのは、法紀の上から大いに問題である。必ず欽若のようにしてこそ、悪い米を処分する方法となる。
解説
この章句が説くこと
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