智囊 / 迎刃・沈演
萬曆年間,女真虜人阿卜害等一百七員進貢到京。內工孛羅、小廝哈額、真太三名為首,在通州驛遞橫肆需索。州司以聞。時沈演在禮部客司,議謂本東夷長,恭順有年,若一概議革,恐孤遠人向化之心。宜仍將各向年例正額賞賜,行移內府各衙門關出給散,以彰天朝曠蕩之恩;止將工孛羅等三名,革其額賞。行文遼東巡撫,執付在邊酋長,諭以騷擾之故,治以虜法。俟本人認罪輸服,方准補給。沈何山云:客司,古典屬國。郵人騷於虜,不能不望鈐束,然無以制其命。初工孛羅等見告,諭以罰服,驁弗受也。與賞以安眾,革三人賞以行法。三人頭目,能使其眾者,且積猾也,然離眾亦不能嘩,遂甘罰服。此亦處騷擾之一法。
新字:万暦年間,女真虜人阿卜害等一百七員進貢到京。内工孛羅、小廝哈額、真太三名為首,在通州駅逓横肆需索。州司以聞。時沈演在礼部客司,議謂本東夷長,恭順有年,若一概議革,恐孤遠人向化之心。宜仍将各向年例正額賞賜,行移内府各衙門関出給散,以彰天朝曠蕩之恩;止将工孛羅等三名,革其額賞。行文遼東巡撫,執付在辺酋長,諭以騷擾之故,治以虜法。俟本人認罪輸服,方准補給。沈何山云:客司,古典属国。郵人騷於虜,不能不望鈐束,然無以制其命。初工孛羅等見告,諭以罰服,驁弗受也。与賞以安衆,革三人賞以行法。三人頭目,能使其衆者,且積猾也,然離衆亦不能嘩,遂甘罰服。此亦処騷擾之一法。
書き下し
万暦年間、女真の虜人阿卜害ら一百七員、進貢して京に到る。内の工孛羅、小廝の哈額、真太の三名を首と為し、通州の駅逓に在りて横肆に需索す。州司以て聞す。時に沈演は礼部の客司に在り、議して謂う、「本は東夷の長にして、恭順なること年有り。若し一概に議して革むれば、恐らくは遠人の向化の心に孤かん。宜しく仍お各向の年例の正額の賞賜を将て、内府の各衙門に行移して関出して給散し、以て天朝の曠蕩の恩を彰らかにすべし。止だ工孛羅ら三名の額賞を革め、遼東巡撫に行文して、辺に在る酋長に執付し、騒擾の故を諭し、治むるに虜法を以てし、本人が認罪輸服するを俟ちて、方めて補給を准すべし」と。沈何山云う、客司は古の典属国なり。郵人は虜に騒がされ、鈐束を望まざる能わざるも、然れども以て其の命を制する無し。初め工孛羅ら告げらるるに、諭して罰服せしむれど、驁として受けず。賞を与えて以て衆を安んじ、三人の賞を革めて以て法を行う。三人の頭目は、能く其の衆を使う者にして、且つ積猾なるも、然れども衆を離れれば亦た嘩する能わず、遂に甘んじて罰服す。此れ亦た騒擾を処するの一法なり。
現代語訳
万暦年間、女真人の阿卜害ら総勢百七人が、朝貢して京に到着した。そのうち工孛羅、小廝の哈額、真太の三名を頭目として、通州の駅で横暴に物品を要求した。州の役所がこれを報告した。当時、沈演は礼部の客司にあり、議して言った。「彼らはもとは東夷の長で、年来恭順である。もし一律に罰して待遇を取り消せば、遠来の者が教化を慕う心に背くことになる。やはり各年の通例の正額の賞賜を、内府の各役所に通達して出させて支給し、天朝の寛大な恩を示すべきである。ただ工孛羅ら三名の額の賞を取り消し、遼東巡撫に文書を送り、辺境にいる酋長に引き渡して、騒ぎの理由を諭し、彼らの法で処罰させ、本人が罪を認めて服するのを待って、はじめて補給を許すべきである」。沈何山は言う。客司は古の典属国にあたる。駅の者は異民族に騒がされ、取り締まりを望まないではいられないが、その命を制する術がない。当初、工孛羅らが告発されたとき、諭して罰に服させようとしたが、傲慢で受けなかった。賞を与えて衆を安んじ、三人の賞を取り消して法を行った。三人の頭目は、衆を使える者で、しかも長年の悪賢い者であるが、衆から離れれば騒ぐこともできず、ついに甘んじて罰に服した。これもまた騒擾を処理する一つの方法である。
解説
この章句が説くこと
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