智囊 / 小慧・王姓官員
宋時有世賞官王氏,任浙西一監。初蒞任日,吏民獻錢物幾數百千,仍白曰「下馬常例」。王公見之,以為污己,便欲作狀,並物申解上司。吏輩祈請再四,乃令取一櫃,以物悉納其中,對眾封緘,置於廳治,戒曰:「有一小犯,即發。」由是吏民警懼,課息俱備,比終任榮歸,登舟之次,吏白廳櫃,公曰:「尋常既有此例,須有文牘。」吏齎案至,俾舁櫃於舟,載之而去。〔評〕不矯不貪,人己兩利。是大有作用人,不止巧宦已也。
新字:宋時有世賞官王氏,任浙西一監。初莅任日,吏民献銭物幾数百千,仍白曰「下馬常例」。王公見之,以為汚己,便欲作状,並物申解上司。吏輩祈請再四,乃令取一櫃,以物悉納其中,対衆封緘,置於庁治,戒曰:「有一小犯,即発。」由是吏民警懼,課息倶備,比終任栄帰,登舟之次,吏白庁櫃,公曰:「尋常既有此例,須有文牘。」吏齎案至,俾舁櫃於舟,載之而去。〔評〕不矯不貪,人己両利。是大有作用人,不止巧宦已也。
書き下し
宋の時に世賞の官の王氏有り、浙西の一監に任ず。初め任に蒞む日、吏民は銭物を献ずること幾んど数百千、仍お白して「下馬の常例」と曰う。王公は之を見て、以て己を汚すと為し、便ち状を作り、物を並せて上司に申解せんと欲す。吏輩は祈請すること再四、乃ち一櫃を取らしめ、物を以て悉く其の中に納れ、衆に対して封緘し、庁治に置き、戒めて曰く、「一小犯有れば、即ち発かん」と。是に由りて吏民は警懼し、課息は俱に備わる、終任を比びて榮帰するに、登舟の次、吏は庁の櫃を白す、公曰く、「尋常に既に此の例有らば、須く文牘有るべし」と。吏は案を齎して至る、俾いて櫃を舟に舁がしめ、載せて之を去る。〔評〕矯らず貪らず、人も己も両つながら利す。是れ大いに作用有る人にして、止だ巧宦のみならざるなり。
現代語訳
宋の時代に、世襲の恩賞で官を得た王氏という人物がいて、浙西のある監に任ぜられた。着任した日に、吏や民が金品を数百千ほども献上し、「下馬の慣例の祝儀」だと申し述べた。王公はこれを見て、自分を汚すものだと考え、書状を作って、物品とともに上司に届けようとした。吏たちは再三にわたり頼み込んだ。そこで王公は櫃を一つ持って来させ、金品をすべてその中に入れ、皆の前で封をして、役所の広間に置き、戒めて言った。「小さな過ちがあれば、すぐに開ける。」このために吏や民は警戒して恐れ、租税などの課目も利息もすべてきちんと納められた。任期が終わって栄転して帰るとき、船に乗る際に、吏が広間の櫃のことを申し上げた。公は言った。「通常、この慣例があるのなら、記録があるはずだ。」吏は帳簿を持って来た。そこで櫃を船に運ばせ、載せて去って行った。〔評〕偽らず貪らず、人も自分もともに利を得た。大いに働きのある人であって、ただの巧みな出世者というだけではない。
解説
この章句が説くこと
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