智囊 / 遠猶・王鐸
王鐸為京兆丞時,李蠙判度支,每年以江淮運米至京,水陸腳錢鬥計七百;京國米價鬥四十,議欲令江淮不運米,但每斗納錢七百。鐸曰:「非計也。若於京國糴米,且耗京國之食;若運米自淮至京國,兼濟無限貧民也。」糴米之制,業已行矣,竟無敢阻其議者。都下米果大貴,未經旬而度支請罷,以民無至者也。識者皆服鐸之察事,以此大用。〔馮述評〕國初中鹽之法,輸粟實邊,支鹽內地。商人運粟艱苦,於是募民就邊墾荒,以便輸納,而邊地俱成熟矣。此鹽、屯相須之最善法也。自葉侍郎淇徇鄉人之請,改銀輸部,而邊地日漸拋荒,粟遂騰貴,并鹽法亦大敝壞矣。「見小利則大事不成」,聖言真可畏哉!
新字:王鐸為京兆丞時,李蠙判度支,毎年以江淮運米至京,水陸脚銭鬥計七百;京国米価鬥四十,議欲令江淮不運米,但毎斗納銭七百。鐸曰:「非計也。若於京国糴米,且耗京国之食;若運米自淮至京国,兼済無限貧民也。」糴米之制,業已行矣,竟無敢阻其議者。都下米果大貴,未経旬而度支請罷,以民無至者也。識者皆服鐸之察事,以此大用。〔馮述評〕国初中塩之法,輸粟実辺,支塩内地。商人運粟艱苦,於是募民就辺墾荒,以便輸納,而辺地倶成熟矣。此塩、屯相須之最善法也。自葉侍郎淇徇郷人之請,改銀輸部,而辺地日漸抛荒,粟遂騰貴,并塩法亦大敝壊矣。「見小利則大事不成」,聖言真可畏哉!
書き下し
王鐸、京兆丞たりし時、李蠙、度支を判し、毎年江淮より米を京に運ぶ。水陸の脚銭、斗を計るに七百。京国の米価は斗四十。議して江淮をして米を運ばしめず、但だ毎斗銭七百を納めしめんと欲す。鐸曰く、「計に非ざるなり。若し京国に於いて糴米せば、且つ京国の食を耗らす。若し米を淮より京国に運ばば、兼ねて無限の貧民を済うなり」と。糴米の制は、業に已に行われ、竟に敢えて其の議を阻む者無し。都下の米は果たして大いに貴く、未だ旬を経ずして度支は罷めんことを請う、民の至る者無きを以てなり。識者は皆な鐸の事を察するに服し、此を以て大いに用いらる。〔馮述評〕国初の中塩の法、粟を輸して辺に実たしめ、塩を内地に支う。商人の粟を運ぶこと艱苦にして、是に於いて民を募りて辺に就きて荒を墾かしめ、以て輸納に便にし、而して辺地は俱に成熟す。此れ塩・屯の相い須つ最も善き法なり。葉侍郎淇、郷人の請いに徇い、銀を部に輸するに改めてより、辺地は日に漸く拋荒し、粟は遂に騰貴し、塩法も亦大いに敝壊せり。「小利を見れば則ち大事成らず」、聖言は真に畏るべきかな。
現代語訳
王鐸が京兆丞だったとき、李蠙が度支(財務)を担当していて、毎年長江・淮水の地方から米を都へ運んでいた。水路と陸路の運賃は一斗あたり七百銭、都の米価は一斗四十銭だった。そこで、江淮から米を運ばせず、ただ一斗につき七百銭を納めさせようという案が出た。王鐸は言った。「それは良い策ではない。都で米を買い入れれば、都の食糧を消耗させる。米を淮から都へ運べば、同時に無数の貧しい民を救うことにもなる」。米を買い入れる制度はすでに実施されており、誰もその案を止めようとしなかった。やがて都の米価は果たして大いに高騰し、十日も経たないうちに度支が中止を願い出た。米を運んでくる民がいなくなったからである。見識のある人は皆、王鐸の事を見抜く眼力に感服し、そのために大いに重用された。〔馮夢龍の評〕明の初期の中塩法は、穀物を辺境に納めさせて、塩を内地で支給した。商人は穀物を運ぶのが困難なので、民を募って辺境で荒地を開墾させ、納入を便利にし、辺境の地は皆よく熟した。これは塩と屯田が互いに補い合う最もよい法だった。ところが葉淇侍郎が同郷人の頼みに従って、銀を戸部に納めるよう改めてから、辺境の地は日々荒廃し、穀物は高騰し、塩法も大いに壊れた。「小さな利益を見れば大事は成らない」という孔子の言葉は、本当に畏れるべきである。
解説
この章句が説くこと
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